2018年2月
雪消えと鳥たち。
晴れたり曇ったり、昨日に続いてやや温かった日。
一月半ばのどか雪以来、何度となく鳥たちが餌に不自
由しているのではないか、と書かせて頂いた。
それで雪の少ない道路や人家に鳥が近づく様子なども
載せてみた。
雪解けがすすんだ本日午後、特養の回診の帰り道に美
術館に近い田んぼを走り、鳥の影を探した。
早速目に入ったサギは高速道路下のフェンスで餌を探し
ている風だった。何があるのだろう、人の気配が近いこん
な場所にいるとは。
その田の一角、道路のすぐそばで餌をあさるコハクチョウ。
顔と長い首を泥だらけにして、食餌している。手前の鳥な
どはひどく痩せて見えた。
白鳥と一緒にマガモも食餌していた。人に敏感なこの鳥
が道路のそばにいるのも驚きだった。稲の株根などを食
べているのか。
短時間、車での鳥探しだったが、やはり普段と違うよう
に感じた。
サギが高速道路の土手下の道に、マガモが県道脇に、比
較的人と距離が近い白鳥にしても、車から数メートルの所
まで来ていた。
明日から3月、北への移動が次第に近づき、のんびりして
いると渡り鳥にとって苦手な暖気が来てしまう。
豪雪のため空腹だったであろう鳥たちは、食べるために人
など恐れていられない。
明日からひどい低気圧が近づき次第に嵐になるという。
気温は10度を越えるらしく、風雨が吹き付ければ雪はさら
に消えるだろう。
上下浜の野外造形は風が仕上げた?
このところ雪は止んでいて、樹下美術館の頸城区で最
大113㎝、仕事場の大潟区で100㎝だったのがそれぞ
れ58㎝と34㎝に減った。(各区総合事務所の計測)
本日たまたま上下浜で見た捨てられた雪が、面白い形
状になっていた。
横である南側から見ると、、、
きれいなツートン。
当初はごつごつ凸凹していたであろう塊が解けて、次
第に滑らかな形状になったと思われる。
ツートンの色分けは季節風の西風が砂を飛ばし、西側
部分だけに砂を付けた結果であろう。
それにしても、きれいに色分けされていて驚いた。
雪解けで全体が小さくなり、砂が密集したため色が濃く
なっていることもツートンを引き立てているかもしれな
い。
このおしゃれなアートは人が仕度をし、季節風が仕上げ
たという事で良いのではないだろうか。
この先また荒れ模様となるらしいが、風雨が主なら雪消
えが加速しよう。
魚のアラ料理。
アラ料理は美味しい。
大抵は子供のころ煮物が苦手だったと思うが、私も親や
年寄りがそれを喜ぶのを不思議な目で見ていた。
ところがアラ煮だけは別で、箸を運んだ。
骨から直に味が滲みているので、子供にも美味しかった。
アラ汁も同様に美味しかった。
ところで魚一匹から頭部分は一個しかとれない。
大家族だった子供時代では、多分上等な頭は父親と祖母
が独占し、子供と母は一生懸命背骨などをひっくり返し、
身を探しては食べていたことだろう。
今、核家族化して頭半分を心ゆくまで食べられるのは、長
生きと、何かそれなりのおまけみたいなもの、に思われる。
免状拝受の茶会 春の夕の海。
本日、長年の稽古によって茶道裏千家の准教授免
状を戴いた方達が師を招いてお礼の茶会をされた。
不肖私も参席させて頂いた。
お炭の後に食事、お茶は続き薄茶の流れで進められ
た。
床は「春入千林所々鶯」の一行書から椿とトサミズキの
蕾へと変った。
雑木が混じる庭の雪は50㎝ほどに縮まったのか、陽光
色を増し、雪解けの雨だれがずっと聞こえていた。
暖かな窯の湯気、桃、鶯、さわらび、春風、おひな様な
ど春の趣向に包まれて上気するのを覚えた。
温かな先生の眼差しと、お弟子さんの一生懸命さが一番
のご馳走だった。
本日お茶と厨房に精魂こめられたお二人様、お目出度う
ございました。そして本当にお疲れ様でした。個々隅々
楽しませて頂き、有り難うございました。
お茶を終えて今日も海へ行った。おぼろ風な夕陽が波と
遊ぶのを飽かず眺めた。
清々しいのがプロ。
終わろうとしているオリンピック。競技毎につぶさ
に見ることはできなかったが、平野選手のハーフ
パイプ、羽生、宇野両選手のフィギュア-、女子追い
抜きなどの山場を観ることが出来た。
野球やサッカーと違って普段あまり見ないスポー
ツなので、この世のものとは思われない異次元の
世界を見ているようだった。
若き半生を一心に捧げて取り組んで来た選手たちの、
溌剌さや清々しさには心洗われる。
だが他の競技には、条件や結果に愚痴、批難、言い
訳けを連発した選手もいたようであり、結果も思わし
くなく、見る者を幸福に出来なかった。
両者は何が違うのだろう
さて世界にはまだ新しい競技があるようだ。
以下はシンクロナイズド・スケート競技で2000年第1
回世界選手権大会がアメリカミネアポリスで開催され
今日まで続いているらしい。
いずれオリンピック種目になるかもしれない。
バルセロナ大会に於けるロシアの演技。音楽はタイース
の瞑想曲。シンプルなのでくつろいで見ることができ、こ
の先進化もしそうだ。
春の海 私なりのロコモティブ対応。
午後は9度ほどになり、暖かく感じられた昨日、い
つものように柿崎海岸を歩いた。
なぜ柿崎かと言えば、広い砂浜が残っているのと、
砂浜歩きは脚、私の場合右股関節のために良いから
と思っている。
もともと歩行の際、右足を出す時に痛みを感じていた
が、砂浜で敢えて右を大きく振り出して歩いた後には
楽になることが分かった。
関節や筋の痛みは休めるか、使うか(ストレッチやト
レーニング)の判断は原因によって別れる。
私のは加令現象で、休めると固まり、朝方の歩き始
めに痛みを伴うものだった。
それで砂浜では特に右股関節を支える筋と腱を伸ば
すよう意識して歩くようにした。
今の所1800~3000歩(風の有無で変わる)く
らいが、ちょうど合っていると感じている。
いずれにしても、少なくとも数年前には何の問題も無
かったことだった。
波には強弱があり、時折大きな波がやってきて、潮だまり
に海水を補給する。西の方角は日射しによって銀色に輝き、
とてもきれいだった。
さて老人の円滑な動作にはアキレス腱の柔軟さも重要で
あり、室内で十分だが、ストレッチは大切だ。
続ければ初めのころよりも痛み無く伸ばせるようになる。
中腰や前屈も制限されてくるので、屈伸や軽めのスクワ
ットは効果がある(軽いダンベルも役立つ)。
自分の各動作は、20回が過不足ないように感じている。
屋内の歩行はなるべく平均台を歩くように中心を決めて行
い、後ろ向き、斜め向きなどは階段昇降とともに役立つ。
やってみて少しでも痛みを感じる動作は、止めるのではな
く、体がストレッチの必要箇所を教えていると考え、そこ
の強化に取り組むと良いのではないだろうか。
但しいずれも疾患ではない老化を主因と仮定した対応なの
で一概に勧められるものではない。またそれぞれ年令によ
っても工夫が必要だと思われます。
私の場合、目的は少しでも仕事を続けたいのと、庭いじり
やゴルフができれば、ということで行っています。
こうなると自分の年令が問題になりますが、本意ではあり
ませんが、2月1日に76才になりました。
火力発電所の蒸気。
良く晴れた日、気温は4度までだったようだが雪解け
が進んだ。
昨朝ふんわりと積もったが、それも大方解けている。
本日午後、火力発電所から上っていた蒸気の迫力。
特段に寒かった訳でもなく、どんなことがあるとこの
ように大きな白煙になるのだろう。
まだエネルギーを沢山内包しているように見え、温
室などに利用できればいいのだが。
田んぼはまだ厚い雪の下。雁や白鳥たちを見ないが、
餌付けが行われている瓢湖へでも行ったのだろうか。
ふとオスロ冬期オリンピック 背景は常に色々。
かつて小学生だった私は映画館で、次々に飛ぶスキー
ジャンパーの映像をずっと見ていた。
1952年のオスロオリンピックの記録映画で、髙田
の松竹館(現髙田世界館)で父と観た。
遅れて入ったのか、記憶に残るのは延々と続くジャン
プだけだ。
調べてみるとノルウェーで開催された戦後二回目のこ
の冬期オリンピックは、ナチスによって徹底的に破壊
された国土復興がテーマだったという。
そのため大規模なドイツ参加反対の運動が起ったが、
最終的に日本、イタリアとともに西ドイツが参加した。
また大会の一週間前に英国王ジョージ6世が亡くなり、
開会式典は縮小され、葬儀に参加したノルウェー国王
に代わって甥が開会を宣言している。
当時我が家では、ドイツびいきだった父が鞍替えして
米国の雑誌「ライフ」を購読していた。
写真が沢山掲載されるライフを私もよく見た。
その中に英国国王の死とエリザベス王女の戴冠式の記
事が、まばゆい王冠などとともにしばしば載った。
死亡した王の写真を見て、この人はどうして死んだの、
と父に訊いた。
“脳に出来たオデキが大きくなって亡くなった”という
返事だった。
身近な「オデキ」がそんなに怖いものなのか。
豪華な王冠を戴く人も脳にオデキが出来れば死ぬ、とい
う話はとてもショックだった。それが腫瘍であることを
知ったのは後々だった。
ところでライフと言えば当時、朝鮮動乱の最中で写真を
よく見た。
1968年、フランスグルノーブルに於ける冬期オリンピッ
クとその記録映画のテーマ曲「白い恋人たち」。
透明感あふれるとてもいい曲。
こちらは口笛編。
こちらはダニエル・リカリの歌。
勝ち負けよりも選手と競技に注目して撮られた記録は映画
として美しく、テーマ曲も本当に良かった。
恐らくオリンピックは常に大きな背景を抱えているのだろ
う。
戦争、冷戦、民族問題、テロ、事情で開催中止まであ
る。
このたびのオリンピックは、67,8年も前にライフで見
たその戦争当事国の開催だった。
平和の祭典といえども、いえそれならばこそ、大国や隣国
の利害を越えて、いまだに敵対し分断のままの者同士が解
決の課題を話し合うのは、義務ともいえる自然なことでは
ないだろうか。
核を残さないようあらゆる時間と手立てを尽くしてもらいた
い。これは二国だけの協議では無理かもしれない。
雪道と車。
消えるかと思えばまた降るを繰り返す雪。
もう冬は終わつつあると書いたものの、まだ粘る。
本日訪問したお宅の窓際に畑があり、1メートル
は楽にあります、と主はあきらめ顔で仰った。
もう一軒のお宅は宅地の狭い枝道だった。
心配しつつ玄関前の小さな場所にギリギリ斜めに
車を停めた。
診察を始めると、すぐにプップーと表でクラクショ
ンが鳴った。
看護師が飛び出し、大きなトラックが、と言って帰
ってきた。
慌てて出てると道一杯にデンとトラックが来ている。
「そこにうちのカーポートがありますから入って」、
とお宅の奥さん。
10メートルほど先に3台分もの屋根付き駐車スペー
スがあった。
出て行くとすぐにトラックはバックを始め、私の駐
車を見て運転手は手を挙げて通り過ぎた。
狭い雪道での駐車では、なんとか乗用車一車線分を
空けているつもりだが、大きなトラックまでは考え
が及ばない。
冬道のお宅で笛を鳴らされ、出て行ったのは初めて
かもしれない。たしかに今年は大雪だ。
かって昭和j時代の大雪の時、自分の車では無理と思
い、何度か往診にタクシーを頼んだ。
ある雪の日、行ったり来たりの悪路で車が亀になり、
動かなくなった。
運転手は毛布や板を敷いたがダメで、近所の人たちと
一緒に押して脱出したことがあった。
タクシーがいくらチェーンを履いても、RF車では当
邸無理な雪だった。
何時かの忘年会で当時始まったばかりの代行車を頼ん
だこともあった。
迎えに来た会社の軽自動車が、凍った富岡線で滑り始
め、途中で止まった。
押しますからハンドル握ってと頼まれた。
私がハンドルを握り、会社の人二人が押して切り抜け
た。
驚いたことに、車に乗ってみるとクラッチのかかとが
当たる部分にぽっかり穴が空いていた。
車検スレスレ?の車という事だったが、客の運転とい
い、代行黎明期の何とも危うい冬の帰り道だった。
ある年、冬だけ4駆のトレディアをレンタルしてとても
助かり、後オールシーズン4駆に乗るようになった。
昨日のお宅で。遅くなりましてとチョコレートを頂いた。
この4駆も10数年、16万キロを越えた。
本日無事、運転免許証の更新をした。
倉石隆と「ネージュ・雪」と「珊瑚」。
樹下美術館で常設展示している画家倉石隆氏は、美術
団体では、自由美術協会を経て主体美術協会に所属し
ていましたが、個人的な仲間同士によるグループ発表
も行っていました。
これらの一つにネージュという名のグループがありま
す。
ネージュはフランス語で雪、雪国出身者である賀川隆、
倉石隆、末松正樹、舟見検二、筑波進、矢野利隆、
堀内菊二らの画家が集まっていました。
第1回ネージュ展は1972 年に「銀座・土夢画廊」で行
われ、倉石氏が亡くなった78年まで年1回、計16回
続けられました。
“倉石はグループ・ネージュの人達とのお付き合いを大
切にしていた”と夫人からお聞きしたことがあります。
ところで、まだそこここに戦後色が残る時代の若き芸術
家たちの日常の一端が、画家・堀内菊二氏の倉石隆氏へ
の追悼文「粉雪が舞う」の中に垣間見られます。
ー前文略ー私が倉石さんに初めて会ったのは、当時、自
由美術の先輩達の溜まる「珊瑚」です。未だ戦後の臭い
漂う池袋駅前には小さな酒場が群落のように密集する迷
路にあり、狭い店の中は、毎夜、画家、詩人、役者など
雑多な面々が止まり木にひしめき合う人間関係が濃密な
時代でした。
(途中略)そして倉石さん得意のシャンソン、TOMBE
LA NEIGE 雪が降る・・・あなたは来ない・・・の歌
声が聴こえてくるようです。
1963年発表、サルバトーレ・アダモ自作の「雪が降る」。
この曲も当時本当に良く聴かれ、また歌われました。
黒革のロングコートが似合っていたという長身、巻き毛
の倉石氏に、曲はピッタリだったことでしょう。
当時カラオケなどはありませんでしたから、倉石さんお
気に入りの流しがいて、彼が現れるとやおら立ってギタ
ーに合わせて歌ったのでしょうか(一度で良いから聴い
てみたかった)。
以下は同じく夫人のお話です。
画家仲間は池袋のバー「珊瑚」の常連だった。隆氏は遅く
帰ると「珊瑚では早く帰った人の悪口を言い合う。だから
悪口を言われないように、いつも最後まで居るんだ」とよ
く聞かされました。
以上のような倉石隆の逸話などは、樹下美術館が昨年11
月に発行しました「樹下美術館の倉石隆」に「倉石隆のコ
ラージュ」として7ページに亘って掲載されています。
努力とくったく無さ リスペクトと呼称など。
再び冬型の気圧配置となり風が強く吹いた日。
一歩も外出しなかったのは珍しい。
お陰で羽生選手と宇野選手のフリーブログラムなど
を見ることが出来た。
二人とも手を付きそうになったり。尻もちをついたり
ヒヤッとしたが金銀のメダルを分け合った。
もう一人の若き時の人、藤井総太5段が朝日杯オー
プン戦準決勝で羽生善治竜王に勝って最年少6段
の記録も打ち立てた。
インタビューで、敗れた竜王が年下の対戦相手を藤井
さんと「さん」づけしていて、さすがの品格を感じた。
オリンピックでメダルに輝いた二人も新6段も、テレ
ビなどの一般メディアでは「羽生クン」「宇野クン」
「藤井クン」などと、時として軽く呼ばれるのだろう。
ちゃんと「さん」づけで呼べば良いのに、敢えて自他
を貶めてしまう残念な文化だ。
本日の将棋後、加藤一二三第40期名人への観戦インタ
ビューがあった。
最後に女性のインタビュアーが先生にとって将棋とは?
と質問した。
加藤さんが“人を感動させる点で芸術ではないでしょう
か”と素晴らしい応答をした。
それなのに彼女は“さすがアスリートですね”と訳の分か
らない締めくくりをした。
(オリンピックのせいで、アーティストと言い間違えた
のか、それとも私の聞き違いか?)
羽生選手の復活、スポーツ医学への貢献を。
スポーツ選手にとって怪我は最も障害になるが、競
技と練習には常にそのリスクは付いて回る。
羽生結弦選手の、オリンピックまで3ヶ月余を残した
時期に於ける利き足関節の靱帯損傷は極めて大きな
ダメージだったに違い無い。(障害は骨にも影響して
いたらしい)。
団体戦を欠場して迎えた本日SPの競技は、綱渡りの
ように思われたが、競技前のインタビューは意外なほ
ど自信にあふれていた。
本当かな、こんなに自分を追い込んで大丈夫か、とい
ぶかしくさえ思われたが、実際の演技は全く完璧をも
越えていた。
試行錯誤はあったはずだが、今日までを正確に逆算し
て行われたと考えられる周到なリハと、トレーニング
の綿密さを驚かない訳には行かない。
羽生選手の治療とリハにどのような人が関わったのか知
らないが、このたびの経験の詳細をいずれ公表し、是非
ともスポーツ医学の進歩に貢献してもらいたいと思った。
用いられたクリスティアン・ツィマーマンのピアノによ
るショパンのバラード1番が緊張を和らげ、とてもよく
合い、成功の一因に思われた。
2015年の11月、柏崎市で氏のピアノリサイタルを聴いた
が、いずれもシューベルトのソナタで非常に重厚だった。
人に恵まれているのは選手の人柄の良さの現れであろう。
誰が何と言おうと春はそう遠くない。
晴れ間の無い日だったが雪も降らなかった。
この一両日で雪は急に減り一時の半分近くにまでなった。
各戸では家まわりの雪を掻いて辺りをきれいにし始めた。
まだ降るかも知れないが、それぞれの暦と勘で一種春を
迎える仕度をしているように見える。
私も老腰(ろうよう、造語です)にむち打って、除雪機
がうず高く積んだ診療所駐車場の片隅の雪を崩してみた。
一定の感じが出たので、無理は禁物、後日の楽しみとし
た。
午後休診の本日の歩行のためいつもの柿崎海岸へ。
波打ち際に前後が無い不思議?な足跡。
渚を帰る時に見た私の行きの足跡。15分ほどの間に波が
上手に前後を消していました。
本日の海岸には私の足跡だけしかありませんでした。
帰りの時計が4時50になろうとしていた。
冬至から間もなく二ヶ月になる。
明るい。
空と海に覗いた色と私の時計から春はそう遠くはない。
いえ、誰が何と言おうと、お天気にどんな都合があろうと、
冬は終わろうとしている、と考えながら帰った。
心理戦もあるスノボー競技 平野選手に感謝。
昨日書いた平野歩夢選手の決勝があった。
カリスマに決められ二位に終わった。
さすがにクールな平野選手も競技前に頂点まで達し
ていた重圧には耐えられなかったように感じられた。
その点優勝者のショーン選手は、予め平野選手を
プッシュし、自らのプレッシャーを和らげ、温存した
力を爆発的に発揮したように思われた。
さすがベテラン、戦いは何ヶ月も前から心理戦とし
て始まっていたのかもしれない。
「(ホワイトとジェームズと)3人で争って、今まで
で一番の大会だったんじゃないのかなと思います」と
爽やかに競技を振り返った平野選手。
オリンピックを一番の大会だったとしたコメントに新
たな成長を感じ、とても頼もしかった。
ハラハラドキドキ楽しませてくれて感謝したい。
独特なスノーボードの選手たち 賢い平野歩夢選手。
オリンピックのスノボー競技でハーフパイプの一部を
面白く観た。
新潟県から村上市の平野歩夢選手が優勝候補として出
場しているので気になる。
競技前、言葉を選びながら、オリンピックだけが全て
では無いという微妙な表現に、彼が生きている広い世
界の哲学が込められていて、賢いインタビューだと思
った。
この競技には若者らしさといえばいいのか、普段のコ
スチュームもラフさが漂い、とてもおしゃれで個性的だ。
また緊張の中で選手たちが漂わせる楽しさや、ライバ
ル同士が示しあう特有な文化の共有者という幸福なイメ
ージも清々しい。
選手はみなくったくが無くて親しめるがOARの選手たち
は気の毒だ。
クールな平野選手の決勝ははたしてどのようなものだろ
う。
春の特別展「桜のレクイエム 塩﨑貞夫 展」。
数日晴れ間が見えたり気温が上がった日が続いたが昨
日から再び寒くなり、本日は吹雪を交えた雪模様。
寒明けとはとても思われないが、2月は中旬を迎え、
樹下美術館の2018年開館までほぼ一ヶ月となった。
今年度の展示は齋藤三郎「染め付け」展、倉石隆「瞑
目する人」展が決まっている。
ところで今年、春の特別展として「桜のレクイエム 塩﨑
貞夫展」を開催することに致しました。
場所は陶芸ホールとカフェを用い、陶芸作品は出来るだ
けそのままで、背後の壁面に14,5点の作品を展示す
る予定です。
塩﨑貞夫:糸魚川市出身、国画会を経てフリーとなり、東
京、鎌倉、新潟市を中心に発表。2014年2月14日永
眠(享年80才)。
氏はガブリエル・フォーレのレクイエム(死者のためのミサ
曲)に深く触発され、日常の遠くあるいは近くにある鎮魂
を、昼夜独特の空気感で描いています。
↑「女人午睡」。昨年3月、新潟市の砂丘館で最初に
掛けられていたこの作品を観て、すーっと心が安らぎ、
「ああ、いいなあ」と思いました。
「樹下午睡」。女性が淡く気持ちの良い桜色に包まれて
いる。タイトルの樹下から、作品は当館での展示を待っ
ていたかのようです。
氏の作品はおよそ静謐ですが、時には囁きや呟きが聞
こえるように感じられます。
倉石隆の「瞑目する人」、齋藤三郎の「染め付け」の
展示と馴染み、自然な調和が期待されます。
入場料はいつものように200円です、どうかお越し下
さい。
以下はフォーレのレクイエムからキャスリーン・バトル
のピエ・イェズ(Pie Jesu)です。
今から30年近く前のサントリーホールでこの曲を聴き
ました。パリから来たコーラス付きの室内管弦楽団の
演奏でした。
当時レコードですり切れるほど聴いていましたので、
フォーレの国から来たオーケストラの演奏にとても感動
しました。
同じ頃だったと思いますが、上越文化会館にキャスリ
ーン・バトルが来演し聴きに行きました。
当時の上越には今とは少し違った文化の香りがしてい
ました(昔だけがいい、というわけではありませんが)。
怒りや残酷さが控えられたフォーレのレクイエムは、鎮魂
歌らしくない、と当時批判されたそうです。それに対して
本人は“楽しむために書いた”と述べているようです。
桜の季節の鎮魂、、、塩﨑氏の作品もどうか“楽しむよう
に”ご覧ください。
今夜、明日は三回目でしょうか、大雪の予報です。
こうなるといっそう桜が待たれます。
樹下美術館には一本のソメイヨシノが咲き、続いて7,8
本の山桜が咲きます。
長くなりました
恐れを忘れ始めた野鳥、小さくなって行く群。
本日日曜日は風強く曇っていたが、午後にいっとき晴れ
間が覗いた。
一月も前からツグミが来ていたが写せないでいた。
本日吉川区は長峰の農道に居て車がかなり接近しても
飛ばずにこちらを見ていた。お腹が空いているのだろう。
雪が降り始めた蜘蛛ケ池の農道に10羽ほどのスズメ。
すでに大きな群は見られなくなった。厳しい環境下では
小さなグループに分かれて、全体の生存を図ろうという
野性の戦略かもしれない。
このところ道路に降り、車輌や人影への距離が縮まった野
鳥たちが眼につく。子育てと同じ、必死なのであろう。
猫と犬も、厳冬や飢餓のたびに人間に近づき、長い時を経て
いつしかペットにまでなったのだろうか?
。
暖かかった日 空腹の鳥たち フードロス。
気温が10度を少し越えた本日、雪消えが進んでいた。
午後の海は柿崎を40分ほど歩いた。
海を離れ、新-柿線の周囲で鳥を探した。
海は穏やかだったが、時折強い波が来てはこの様に砂浜
に上がってくる。
水田の鳥マガンが舗装した農道に集まっているとは、と
ても驚いた。近くに農場の作業所があり、そこの人が鳥
の空腹を見かねて飼料などを撒いたものか。
電柱はタカたちに人気がある。可愛い目のこの鳥はチョウ
ゲンボウでしょうか、私にはノスリなどと区別が付きませ
ん。この距離なら飛び立ってもいいのに、じっとしていま
した。
水田も野も林も深い雪に被われてしまい、鳥たちは餌を
探せず困っている。
空腹の彼らが地面が露われている道路や家の周囲に向か
おうとするのは仕方がないことだ。
おしなべて動作や反応が鈍く感じられたり、細く見えたり
するのも食べていないからであろう。
一方で、売れ残った恵方巻きを前に、もうこんなことは止
めよう、と言った業者の呟きは色々な意味で聴くに値する。
諸事情により、ピント外れが多くて申し分けありません。
キジは直近でしたので、かなりピントが合いました。全てコ
ンパクトデジカメ(いつものパワーショット)でした。
あのトキはどこに居るのでしょうか。
本日、雪の晴れ間。
本日概ね晴れて少々気温が上った。
大きくなりつつあったつららが解け,屋根の雪も減った
ように感じられ、有り難い。
上越市大潟区の県道(浜線)沿いは懐かしい風景が随所
にある。雪が懐かしさ(あるいは親しさ)をつのらせる。
この所、路上で餌を探すスズメやハクセキレイをよく見る。
車を恐れないのは、豪雪で餌に不自由しているからに違
い無い。このキジバトは痩せて見えた。
明日も気温が上がり晴れ間があるという。
以下は一昨日の樹下美術館と駐車場。
妙高山を見に行って。
本日日中は澄んだ青空が見られた。
仕事場の大潟区は早朝に降り、雪は1メートルを越え
たようだ。
こんな日は妙高山を見よう、というので板倉の針を目指
して車を走らせた所、中腹までの姿しか見えない。
時間が経てば見えるかも、ということでパインバレーへ
と足を伸ばした。
スキー場は閉鎖されているはずだが、道路は非常にきれ
いに除雪されている。
私たちのためにだけ除雪されている、と錯覚するほど気
持ち良く、もったいない道路。
だれが利用するのだろう、ホテル、スキー場駐車場など様
々なエリアへのパースがしっかり除雪されていた。
ホテルを出たすぐの通り。正面の妙高の山頂は相変わら
ず見えないがスケール感は期待どおり。
その昔ゴルフやスキー、そして食事に来た懐かしい場所
だけに寂しさを禁じ得ない。開場するイルミネーションシ
ーズンには訪ねてみたい。
施設を出て西側の道を関山まで走った。思わぬ下りの急な
曲がりが続き、日陰は氷り、浅からぬ谷沿いでもあり、肝
を冷やした。
せっかくだからということで、ロッテアライリゾートへ向か
った。
妙なアングルだが、かっての様子と随分変わっている印象
を受けた。
今冬は浜雪、里雪になっているがやはりスキーリゾートは
豊かな積雪。春めいててきたら一帯の散策や食事などに寄
りたい。
雪空かし、さすが旧源(みなもと)村の人 福井県の大渋滞とヘリ。
現在除雪,雪かきが一般的だと思うが、以前家庭で
は「雪空かし」や「雪どかし(退かし)」などの呼
び名で行われていたことが思い出される。
地域によってはまた別の言い方があるかもしれない。
本日在宅訪問で伺った先は旧源村から来られて長い
お宅だった。
驚くほどきれいに除雪され、出入りは本当に楽だった。
前後左右とも十分な余裕。
向こうの坂道を行く車はデイサービスの送迎車。
久し振りに履いたというカンジキ。これで脇道からゴミ収
集場まで奥さん(おばあさん)が道を付けたという。「なに、
これくらい普通ですわ」と仰った。
美術館の近く、雑木林のニセアカシアに付いた雪が淡
い桜色に見えたのが不思議だった。
さて、越後の雪は寒を過ぎてから本番、とは古老の話。
だが越後ではなく、越前福井県の大渋滞など、現状は
深刻だ。
大渋滞は先頭や要所要所にスリップや転倒などを起こし
た車輌が原因していることが多くあろう。
無理かと思うが、自衛隊の大型ヘリで要所の車輌を次々
に吊り上げて退かし、前後に余裕を作り、そこへ大型除
雪車を下ろすなどすれば半分以下の処理時間で解消さ
れるもしれない。
長期化した閉じ込めは、ドライバーに思わぬ事故が危惧
される。
食品、医薬品はじめ物流、通勤も深刻な状況のようだ。
こんがらがった糸のように一度手がかりがつけば、混乱は
一気に解消されるのではないか。まず半日でも良い、まと
まった作業が出来る晴れ間と大規模な救援が待たれる。
冬の道と除雪。
予報をなぞるように昨夜から静かに雪が降って積もった。
昨年11,12月に樹下美術館は3回降雪し、胸騒ぎが
して急いで除雪機を購入した。
海が近いせいか例年雪は多くて40㎝程度で済んでいた
のが、1月半ばからどんどんそれを越えて降る。
朝夕2回の日もあり、仕事場の駐車場の除雪にすでに機
械は何度も活躍している。
昨夜からの雪で道路事情がさらに悪化した。
公の除雪車は通る度に道路両脇に除けた雪を大量に置いて
行くため、ちょっとした路地などは入れなくなることがし
ばしば生じる。
在宅訪問の一コマ。
本日の訪問と往診で二度引き返しを余儀なくされ、最後は
空いている場所を借りて車を置き歩いて伺った。
このような日、救急車はどう対応しているのだろう、問題
があるに違い無い。
平成になってこんなに降った年があっただろうか。
第二の寒波 無事で居ておてんばトキ276。
数日間の穏やかなお天気の後、予報通り本日は降っ
た。
夕刻まで静かに降ったため新たに30㎝は積雪した
と思う。
それまでと足せば、沿岸の当地でも4、50㎝にはな
ろう。
一生懸命行われている除雪だが、県道はともかく宅
地や市道ではまだ一車線が精一杯の所が多い。
仕事場の近くの様子。Y字路の左の道はスピードを落
とせばすれ違いができる。右側の市道には入って行く
のも困難な状況。
インフルエンザの疑いで二軒のお年寄り宅を往診した。
そのうちの一軒では一車線の道路に駐車して、掛け足
で行き帰りをした。
寒さとともにインフルエンザは大流行の様相となって
いる。昔の豪雪年における大規模な流行を思い出した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本日早く環境省の佐渡自然保護官事務所から丁寧なメ
ールが届いた。
一昨日の目撃を報告したトキは、放鳥N0276の個体
だということ。
このトキは長岡市、長野県、妙高市で確認され昨年10
月に上越市の目撃以後、情報が途絶えていたため、貴重
な連絡だったと、書かれていた。
環境庁のサイトに、NO276番は2015年生まれのメス
で、2016年9月24日の放鳥と載っていた。
お嬢さんはその年10月中旬、早々と海を渡り弥彦、そ
して長岡市へと飛来したというのだから、かなりのお転
婆さんだ。
今日まで1年3ヶ月余、外敵から逃れ、食餌し、佐渡に
比し保護環境の薄い本土で一生懸命頑張っていることに
なる。
現在確認されている本土のトキは富山県のオス一羽のよ
うなので、この度の目撃で二羽目の生存になるのか。
富山のオスと出合えば本土初のカップルとなるはず、実
現すれば大変なことだ。
276お嬢さんに豪雪は初めてと思われる。
上越地域はじめ新潟、富山両県とも大雪で餌は望めない。
こうなれば長野県それも長野市付近まで行って無事生き
抜いて欲しい。
今の所二月の方が良いお天気 夕刻の風景を顔にしてみた。
本日日中は予報よりも良く、風はあったが晴れ間の
多い空だった。
今の所前月よりも今月のほうが良いお天気になって
いるようだ。但し明日から4,5日は寒波が続く模
様。
現在20:30を回った所で、さっそくヒューヒュー
と空が鳴りだした。
陽は眼を思わせたので簡単な加工ソフトで顔
にしてみました。
左下の権現山を唇に使わせてもらいました。
お眼汚しとなり、申し分けありません。大きく
してみると少しだけ優しくなるようです。
何かの恩寵か、眼前にトキ飛来。
本日土曜日午後の休診時間にしばらく見ていない
ハクガンを探しに車を走らせた。
数日晴れが続き水田の雪が融け積雪は10~15
㎝に減っていた。
場所の詳細は書けないが、上越市北部のある場
所で淡いピンクの大きな鳥が車の前を横切った。
まさかトキではないのか、行方を見ると近くの水田
に降りた。持参していたカメラはコンパクトカメラ
だった。
一枚目のモニターからトキに違い無いと思った。
驚きと感動と強風で手にしたカメラが震える。目一
杯ズームを効かせ、狭いあぜ道でよろけながらシ
ャッターを押し続けると、一定のピントが合ってい
るものが混じった。
ちゃんと撮れた最初の1枚、まさかのトキだった。
写真のデータが示す時刻14:26。
間もなく水田脇の雪解けしている小さな水路(水
溜まり?)に降りて餌を探し始めた。
ぼんやりしているが写真をトリムすると複数の足
環を付けているのが分かる。
歩いた先でサギ(ダイサギ)とメスのキジ?に出合う
(矢印)。14:39.
サギがくわえていたのはウシガエルか?トキは羨ま
しそうに見えた。(写真をトリミング拡大していま
す)
その先で飛んだ。
適当にカメラを向けたらぼんやり写った。
夢を見ているような時間だった。14:40.
放鳥トキは個体識別のため様々に着色されている。
しかしこの鳥に明確な着色は確認出来なかった。
トキの放鳥に感動して、かって佐渡から「トキ米」
を取り寄せささやかな支援をした。いつか佐渡で
飛翔するトキを見たい、は長い念願だった。
それが本日突然車を横切り水田に降りるとは。
一昨日の誕生日、欲しくない年を取ったと少々不満
だった。
だが夢に似たプレゼントが待っていようとは、何の
恩寵なのか、本日ばかりは年の愚痴を言うまい、と
思った。
佐渡の保護センターに連絡したところ、長岡に飛来
していた個体ではないか、と当直?の方から聞いた。
長岡市から60キロ、強い逆風のなか当市までやって
来たのか。
感動と勇気をもたらす生き物を保護し、伝えるのも
格調の文化国家として大切な務めにちがいない。
無事餌に恵まれ、この先を生き長らえて欲しいと、祈
った。
カメラはキャノン パワーショット SX720HS。
写真は全てトリミングし拡大しています。
2018齋藤三郎の展示は「染め付け」です。
昨日に続いて本日は終日気持ち良く晴れました。
誕生日が私と一日違いの人や、二日違いの患者さん
が見えて親しみを覚えました。
今年の開館は3月15日ですが、昨日の倉石隆に続い
て齋藤三郎(陶齋)のの展示予定「染め付け」につい
て掲載します。
陶齋は染め付けを「染附」と書いていました。酸化コ
バルトを主原料とした絵の具(顔料、うわぐすり)で
地や模様を描き、青く発色させる手法を染め付けとい
います。
爽やかで上品な風合いによって古くから食器や茶道具
で人気があり、格調高く扱われるものもありました。
齋藤三郎は髙田以前の早い時代から染め付け作品を製
作していました。
本日は焼き物に多くの草花文様(模様)を描いた
陶齋の作品の中から、今年の展示に見られる草花
(植物)を以下に挙げてみました。
柔軟な手で素早く描いた齋藤三郎。
不断の観察力によて植物の軟らかさと各々の特有
な魅力を描き出しています。
ご来館の際には近くにも寄ってご覧下さい。
早速晴れた二月初日は誕生日。
時に素晴らしい晴れの日の訪れがある2月となり、
本日さっそくそのような空に恵まれた。
柿崎区は江島を飛ぶ白鳥。辺りに多くのマガンも
食餌していた。
今日は誕生日。
遠く中国(旧満州)の奉天(現瀋陽市)で命を授
かり、以来四分の三世紀を生きた。
弱いと言われた割に一度も入院をしたことがない
のが不思議だが、これからが問題。
長く生きている事で傲慢はないか、注意をして暮
らしたい。
さて本日つまらない事を三つ考えた。
●今後、実年に二つ足したものを年令と考える。
(多少若く錯覚しようが、自己暗示が難しい)
●プロの将棋で二人一組のペア戦を導入してみ
る。(内輪もめの懸念もあるが、羽生-藤井ペアな
どは、楽しいやり取りが浮かぶ)
●インフルエンザに対して軽めの抗ウイルス薬、
あるいはワクチンを仕込んだマスク。(耐性が問題
だが注射ワクチンより有効かも?)
斯くみると、長年の幼稚さから全く脱却していない
し、晩成もまた望めそうにない。
明日も晴れるらしく有り難い。
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