2017年6月

梅雨の窓にアマガエル。

2017年6月30日(金曜日)

カラ梅雨と言って葉書を出していたところ、本日はよく降り梅雨本番
の空となった。

昼のカフェのお客様が窓枠でじっとしているカエルを見つけた。

窓辺
梅雨の窓辺にアマガエル(正式にはニホンアマガエルと呼ぶらしい)。

アマガエル
拡大したカエル。見える部分の体長はわずか1,5㎝ほど。
ミニチュアのオモチャのようで可愛い。

アマガエルは繁殖期に水田へ行くが、それ以外は近辺で生活し、水
中では過ごさない。
また、耕作中の水田周囲で生活するものの、放置されて荒れた田に
は寄りつかないらしい。
人の気配とともに過ごす点で雀に似ている。
樹下美術館は耕作されている水田に隣接しているのでとてもよく見
かける。

カワラヒワがオオキンケイギクの実を食べた。

2017年6月29日(木曜日)

昨日午後施設回診の日、道路脇にカワラヒワが飛来して熱心に植物
の実を食べるのを見た。

実は春に咲き終えたオオキンケイギクのようであり、これは早くから特
定外来生物に指定されていて、生態系に有害な植物として駆除が求
められている。
花は黄色のコスモスに似るが春に咲き、既に結実し始めている。

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実をほじって種を食べているのだろう、器用に2本の茎を掴んでいる。
食べられた種は消化されれば、駆除に一定の貢献をしている事になるが、
とても間に合わない。

ところで過日のブタナは生態系被害防止外来種の指定になっている。
この花も圧倒的な繁殖力を有していて、空き地や広場を占有しつつある。
眺めは美しかったが今後特定外来生物の指定になるのか気になる。

6月の庭は来年の仕度もしている  スジボソヤマキチョウという蝶。

2017年6月27日(火曜日)

6月もあと少しを残して終わろうとしている。
さほど降らず、風は穏やかで暑さもほどほど、朝夕涼しく6月らしく
過ごしやすかった。

元来6月が1年で最も好きな月だったので、樹下美術館の工事も6
月開館を目指して着工したほどだった。

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本日昼の静かな樹下美術館。
イトススキが細い葉を伸ばし、トクサの新芽も揃い始めた。
花を終えた植物は根だけになるか、周囲の草木に隠れて息を潜めている。
旺盛に繁る樹木といい、すでに庭は来年のことも考えているように見える。

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1年の前半の最後を飾るようにテッポウユリが開花した。
一見上品なこのユリは日長おしゃべりに夢中だ。
咲くのは梅雨時だが、何日も降られる場合の花はとても哀れだ。
週間天気予報を見るかぎり雨マークは少ないのでく、しばらくおしゃべり
を楽しめるにちがいない。

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本日昼、ふと目にしたダルマバノリウツギにあまり見かけない蝶が居た。
白くもなければ見慣れた黄色でもない。
調べるとスジボソヤマキチョウというらしく、翅(はね)の先端が尖っている
のが特徴のようだ。
〝ダルマバノリウツギにスジボソヤマキチョウ〟舌を噛みそうな取り合わせ
だったが、美しかった。

この蝶は県によっては絶滅危惧種の指定を受けているようであり、主に高原
や山岳など比較的高い所が生息地らしいが、新潟県では平地も一般的なの
だろうか。

今夕樹下美術館10周年の集い。

2017年6月25日(日曜日)

去る6月10日、樹下美術館は満10年を迎えていました。
樹下美術館には特別な日は似合わない、と日頃考えて
いましたが、皆様の後押しもあり本日10周年の集いを行
いました。

弦楽四重奏
若い親族に東京音楽大学の学生がいますので、会の最
初と最後にお仲間で弦楽四重奏の演奏をして頂きました。
初夏の夕べ、館内いっぱいに若々しく爽やかなアンサンブ
ルの調べが広がりました。

参会者様から心温まるお話をお聞きし感謝に堪えません
でした。
恥ずかしながら以下に小生の挨拶の要旨を掲載させて頂
きます。

ご挨拶
10年という歩みはあっという間でしたが、顧みますと何の
保証もないまま小さな舟で無謀にも未知の荒海へとこぎ出
したというのが実状でした。
しかし荒波にもまれるうち、いつしか何か貴重な潮流に乗っ
ていて、気がつけばすでに帰れなくなっていたというイメー
ジが浮かびます。
潮流は費用も労力もまま掛かりましたが、幸いにもそこに
は思ってもみなかった「張り合い」という風が吹いていまし
た。
幸運な潮流と風は以下のような事実の集まりではなかった
かと振り返られます。
倉石隆と齋藤三郎という親しみ易く貴重な作家に恵まれ
たこと。
設計家大橋秀三さんと久保田建築さんによって楽しく品
の良い建物に恵まれたこと。
樹下美術館を愛して下さる皆様の暖かな励ましのお力。
地域の文化のために日夜心砕かれている方々がいらっし
ゃるという心強い事実。
陰に日向に樹下美術館を心配して下さる心の友の存在。
最後に今日まで懸命に樹下美術館を支えてくれた美術館
と診療所スタッフの努力を挙げなければなりません。

ささやかな施設ですが、庭やカフェとの相性の良さと相俟って
昨今はわずかずつお客様が増えているやに聞いております。
また長く念願でした齋藤三郎と倉石隆の収蔵図録がそれぞれ
間もく刊行の運びと相なりました。
今後願わくば貴重な潮流から外れて漂流などすることなくしっ
かり帆を張り末長く航海を続けて参りたい所存です。
どうか今後も樹下美術館のことを宜しくお願い申し上げます。
平成29年6月25日 樹下美術館館長

弦楽カルテット演奏曲目
・モーツアルト:ディヴェルティメントK136より
・ドヴォルザーク:アメリカより
・モーツアルト:アイネクライネナハトムジーク
・ピアソラ:リベルタンゴ
・小山作之助 後藤丹編曲:夏は来ぬ

一首 俵万智さんから少しお借りしました。
〝一人でもここがいいねと言う人が訪ねたその日は樹下の記念日〟

 

男の像を気に入られたお客様 新潟市と村上市からのお客様 「紅」とテッポウユリ。

2017年6月24日(土曜日)

本日うすぐもりの土曜日、やや蒸し暑さを感じる一日だった。

このところ初めて当館をお訪ねになる方が多く、熱心に展示を
ご覧頂いている。
本日の親子さんは倉石隆の「男の像」をとても面白い、た顔が、
特に目が気に入ったと喜ばれたとお聞きした。

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↑大きな身体に小さな頭部、顔と手に落ち着かない表情が見ら
れます。

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↑その顔の拡大。何かを我慢している目は尋常ではなく、フラ
ストレーションで身体が膨らんでしまったのかもしれません。
ある時代の倉石隆氏の自画像と考えられます。

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↑午後新潟市と村上市からのお客様は樹下美術館オリジナル
のシーグラスのチョーカーをお求めになりました。濃いブルーと
薄黄色のものだったということですが、それぞれ2000円と1200
円でのお買い求めだったということ、「誠に有り難うございました」

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↑ついに真紅になった「紅」アジサイ。その向こうにテッポウユリ
が咲き始めました。

当館は新潟市から110キロ、村上市から140キロはあるので
はないでしょうか。
遠くからお訪ね頂いたのは、過日発行の新潟日報夕刊「Otona
プラス」をご覧になったからとお聞きしました。
あらためて新聞の影響の大きさに驚いています。

荒れ模様の一日 驚くべき昭和一ケタの人たち。

2017年6月21日(水曜日)

午前から雨模様となり畑をする人は口々に恵みの雨、と仰った。
およそ収穫の楽しみはタマネギ、ジャガイモから始まり、例年今頃
から苗の成長を見て枯れ始めたものから恐る恐る掘ってみるとい
う段取りのようだ。

良いと言う人より悪いと言う人が多く、悪いのは雨不足と日照の不
足が原因だという。

さて過日私より一回り高齢の方が、もう膝が滅茶苦茶と仰った。
嫁に来て未経験だった田畑の仕事を長年したのが第一の原因それ
に大家族で家事も尋常ではなかったらしい。
ちなみにお弁当は毎日9つ作った時があったという。
夜勤をする人には二つ必要だったとも。

もうお一人、同じく一回り上の方にご兄弟は何人とお訊きした時のこ
と。
「7人です、みんな女なんです」
「5女6女が生まれるあたりから一番上の姉は、もう嫁に行けないと
言って嘆いて怒ったそうです」

小生は5人兄弟で、戦争直後疎開で残った人達を入れて一時一つ屋
根の下に10人前後の人が住んだ時期があった。
当時風呂水、飲料水とも坂道を歩いて近所のつるべ井戸から天秤棒
の前後に水桶を下げて「水担ぎ」をした。
居候たちの誰も助けて呉れず、産後の義理の妹親子も居て洗濯物も
大量、毎日が地獄のようだったと嘗て看護師だった母が漏らしていた
(母は大正生まれでしたが)。

それにしても先の昭和一ケタのお二人の話は驚くべきもので、時代と
は言え絶句を禁じ得なかった。

 

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荒天の中、19:15過ぎに左方(西へ)下って行ったほくほく線の電車。
午後から強く風が吹いた。

 

一日2回お見えになったお客様 カシワバアジサイ こだわりない樹下美術館。

2017年6月19日(月曜日)

低温の日が続いていたが本日は暑さが戻った。
それでも朝晩は気温が下がり着たり脱いだり忙しい日だった。

本日はとても熱心なお客様がお見えになり、午前はお友達に案内
され、気に入ったと仰ると午後にはご主人をお連れして再度来館さ
れたという事でした(お家は40キロも遠い所のようでしたが)。

日を変えてこのようなことが時々ある樹下美術館ですが、同日に二
回もいらっしゃったのは初めてかもしれません。

さて庭ではカシワバアジサイが女王のように目立ってきました。
この花は開館以前からあったものを株分けをして増やしました。

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↑庭の入り口から見たもとからあるカシワバアジサイ。

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手前は増やして5年ほど経ったもの。
右奥に親の木が見えています。

さて当館は開館して10年が経ちましたが、次第に不思議な場所だと思
うようになりました。

手作りの庭、カフェ、ヨーロッパアンティークの食器にデンマーク家具。
メインにはちがいありませんが、もしかしたら建物と展示物さえ樹下美術
館という場所の要素の一つかもしれないという考えがよぎるのです。

和み楽しむ場所に難しい定義などは必要無いのかもしれません。
どうか今後もこだわりなくお気軽にお過ごし下さい、
(初めての方達には熱心に展示もご覧頂いています。展示だけご覧に
なる方の入館料は200円です。)

昨日金沢へ行き懐かしい大和で買い物をした 本日はI氏の花束。

2017年6月18日(日曜日)

2012年秋に減量を始めて以来当時よりも6キロは減って推移し
ている。
大昔の服が着られるようにはなったものの、多くは幾分ブカブカ
した感じを否めなかった。

せめて人前で着る一着くらいは新調しようということで、新潟や長
野、あるいは金沢か東京のデパートを考えたが、大和に行ってみ
たいと思うようになり、金沢に決めて昨日午後出かけた。
13:17に上越妙高駅のはくたかで往き、17:20には帰ってきた。

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黒部川は下流でも清流。新幹線は遮壁が多く風景を楽しめない
が、一瞬だが川だけは何とか見える。

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大和香林坊店とその通り。店も通りも賑やか。

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10分ほど時間が余ったので金沢港口(旧西口)を眺めた。
ここから港までは近いということ、いつか行ってみたい。

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ああ懐かしい大和の買い物袋。

上越大和の開店は昭和50年7月。
まさに自分が東京から当地へ帰った時だった。
一軒のデパートが希望の星のように写り、開店記念
に齋藤三郎の個展が開催された。
だが平成22年4月、惜しまれながら34年の営業を終了。
年を取ったが私は大和を超えて何とか仕事をしている。
7年が経ってその店は香林坊でとてもきれいになっていた。
一階のフロアは甘い香水の匂いで一杯だった。
金沢で再会した大和はとても懐かしかった。

その昔、上越大和の紳士服売り場で式服やスーツをあ
つらえたことがあったが、メーカーのものはトロージャン。
今回の売り場もトロージャンで上越時代と同じ店だった。
上越大和のことを話すると、想像以上に喜んでくださり、
値を引いてくれた。
このたびは、
13:17に上越妙高駅のはくたかで往き、17:20には帰ってき
た。
時間が無く大和のある香林坊は遠いのでタクシーを使い、デパ
ートだけの時間しかなかった。

 金沢のタクシードライバーさんは新潟と違って声が大きく元気
が良い。
〝金沢といっても実際は小さな街なので、新幹線で賑やかにな
ったが、観光客はみな歩く。
年寄りは100円の巡回バスに乗るので、タクシーはそれほど忙
しくなったわけではない。
また金沢でも家族や若者は車で郊外の大型店に行くため、観
光以外は伸びていない〟などと休み無く話して貰った。

街は人が多くきれいで、まるで銀座か渋谷にでもいる錯覚を覚
えたが、恩恵にムラがあるとは考えてもみなかった。

 

さて本日6月18日は日曜日でその夕刻、10周年お目出度うご
ざいます、と言ってI氏が花束を持って見えた。

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5周年の時も花束を頂いた氏は専業の畑農家。
その昔一緒にヨットに乗り佐渡にクルージングをしたり、レースに
参加した。
強くて敏捷、クルーはどんな時もスキッパーだった氏を信頼して
いた。
体を酷使しているはずだが、私より一回り若い氏はにこやかでス
マートなままだ。

閉館まで一緒にお茶を飲んだ。
「次は15年ですね」とI氏。
「そうだね、本当に有り難う」と私。

ユキツバキが描かれていた辰砂(しんしゃ)の壺 岩の原葡萄園の深雪花。

2017年6月16日(金曜日)

過日新たに齋藤三郎作品が樹下美術館にやって来た。

地に銅を含む辰砂釉を用い、大きな窓を開け、中に地色
で花を、枝葉を呉須(藍色の顔料)で描いた壺。
派手な赤や緑が控えられ、渋めのあずき色と言えばいい
のか辰砂(しんしゃ)が醸し出す壺は伸びやかな形と相俟
って落ち着いた魅力を湛えていた。

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辰砂窓絵椿文壺。 16,6×18,0(幅×高さ)㎝

居あわせた者で描かれた花の話になった。
これまで見ていた椿とちがい花びらは十分に開きかつ
乱れが見られ、花芯が短い。
枝も従来と異なり軟らかくたわんでいる。

2

野イバラやチューリップまで斬新な絵付けをした陶齋と
はいえ、花弁の数や芯が違うのでアメリカハナミズキで
はないでしょう、などとも語られた。

意識的に従来と異なる椿を描いているのは間違い無く、
結局「ユキツバキ」ではないかということで落ち着いた。
ユキツバキなら花びらが不揃いに広く開き、花芯はば
らついて短い。
花の不均衡さなどある種の逸脱感が茶人に喜ばれ、茶
室によく飾られる。
枝が細めで軟らいのは雪に耐えるため身につけたもの
らしい。

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多く見られる陶齋の椿の一例、バランス良い花びらや枝
のゴツゴツ感など上掲の花とは異なる。

所で我が上越市に名門岩の原葡萄園があり、同園で長
く愛されているワインに「深雪花」がある。

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「深雪花」のロゼ、白、赤。ラベルの椿図は陶齋の色紙
から取っている。
椿の花びらが不揃いで枝が細くしなやかに描かれて
いている。
「深雪花」はまさにユキツバキを描いたものであろう。

新潟県の花「ユキツバキ」。
この度の辰砂の壺からあらためて陶齋の観察眼と描写
力に敬服させられた。

花はマイペース ガクアジサイ、ヤマアジサイ。 

2017年6月14日(水曜日)

日中かなりの暑さになったが朝夕はさわやかだった一日。

梅雨なのか未だなのかよく分からないうちに、いつしか6
月も半ばになった。
人がお天気を云々する間にアジサイたちは自分たちのペ
ースで色を変えあるいは強めている。

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見頃になった「クレナイ」。
少しずつ足してあちこち5株くらいになりました。

2
少しトリミングしました。まだまだ赤くなっていきます。

3
クレナイと競うように咲いている青いアジサイは藍姫らし
い。
ヤマアジサイは産地によって色々な名が付いている。
買った時には名札があったのだろうが、それも見失い、た
だ育てているだけなので、大抵名を忘れている。
名は忘れても可愛がっていればいい、と思うのだが当人た
ちはどう感じているのだろう。
ただし、このアジサイの名は?と希にお客様に訊かれるこ
とがあるのでうろたえてしまう。

さて上記のアジサイはいずれもヤマアジザイの種類で、こ
れまで古い覚えのままガクアジサイと記していましたので訂
正させてください。

ガクアジサイは木、葉、花ともヤマアジサイより大型で、葉
には光沢あるということです。
樹下美術館の北側の庭に数本あるものが相当すると思わ
れます。
花期もヤマアジサイより半月~一ヶ月近く遅れるということ
ですが、その通りの順序で咲きますので、こちらがガクアジ
サイなのでしょう。

アジサイは土壌のPHで色が決まる(変わる)といわれます
が、ヤマアジサイにはそのような性質が無いという事、当庭
でも青、赤いずれも毎年同じ色で咲いています。

姫川の白濁と蛇紋岩。

2017年6月13日(火曜日)

一昨日11日日曜日に糸魚川へゴルフに行った事を書いた。
帰路駒ヶ岳方面へ国道148号を南下したが道すがら姫川が見え
た。

普段川は水が澄み上流の小滝川でヒスイが産出することもあり、
美しい川のイメージがあった。

ところが当日の様子はおかしかった。水が濁っていているうえ、ブ
ルーが薄まり全体が白っぽく、何があったのだろう「普通の川」の
印象を受け少々がっかりした。

そして昨日のニュースで〝6月7日以来見られている小滝川、姫
川の白濁はまだ続いていて、県の調査ではカドミウム、鉛、ヒ素な
ど6種の法定有害物質は検出されなかったと報じられていた。

調べてみるとネットに上流の姫川支流小滝川の流れが乳のように
真っ白になっている映像があった。
小滝川がこんなになるとは、ショックを受けた。

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6月11日午後、白く濁っていた姫川の下流域。

ところでヒスイ産地などの断層地帯でよく見られる蛇紋岩帯が
糸魚川一帯にも随所にある。
蛇紋岩はヒスイと異なり不規則で柔らかな性質のため、崩落を
起こすことがあり、必要な土木工事などは難渋するらしい。

ニュースによると、この度の河川の白濁は上流の蛇紋岩帯でな
んらかの変動があって川を濁らせている可能性が示唆されてい
る。

国際的な地質価値を有する一帯だけにその原因や変動の規模
などが気になる(調査中と考えられるが)。
緑色系の蛇紋岩が関係するならなぜ川が白く濁るのだろうとい
う事も聞いてみたい。

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蛇紋岩(糸魚川ジオパークのおじさんのブログから)。

さて本日昼、カフェのお客様が蓄音機に眼を止められ、掛けてみ
ましょ うか、ということでクランクを回した。 ラックにあった中から
ウイリアムテル序曲と青い山脈をかけた。

 170613蓄音機
沢山写真も撮られて満足そうだった蓄音機。

二人の若者を交え4人のお客様は、電気無しで聞こえる鮮や
かな音に感 嘆された。

糸魚川でゴルフがあった 6月の庭 宮里藍選手。

2017年6月11日(日曜日)

同業のゴルフがあり糸魚川へ行った。15名で参加して
104の成績はハンディのお陰で6番目。
20才ころから始めたゴルフは、その昔は80で回るなどして
何度か優勝した。
だが現在100を切れず、特にパッティングが駄目になったが、
戸外でボールを打ちながら半日を過ごすのは貴重で楽しい。

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ニアピン賞と当月賞を頂いた帰り道、路傍のアザミ。

2
駒ヶ岳を見るのに帰路寄り道した。右方の雨飾山の上部は雲
の中だった。
このように迫力ある山に囲まれた暮らしとはどんなものだろう、
平坦な自宅周囲で過ごす自分にはまるで外国のように見える。

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樹下美術館へ帰ると花が迎えて呉れる。

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花を撮っていると近くに下りたハクセキレイがこちらを見た。

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夕刻のニュースは今季で引退を発表した宮里藍選手の国内最
後?のツアー終了を報じていた。
試合終了後のインタビューではインタビュアーの男性が泣き
出すシーンがみられている。

宮里選手は沖縄の小さな村の出身。仙台の高校へ進学、高校
選手権2連覇、高校生でプロ入り、国内では通算15勝、米国で9
勝、ヨーロッパで2勝という偉業を誇っている。
とても小柄なのに技術は勿論、強靱なメンタルの持ち主だったに
ちがいない。
マナーも抜群で如何なる時も不快な表情を見せなかったといい、
頭が良いのだろういつも明瞭な言葉で語っていた。
後輩ばかりではなく先輩からも称賛や尊敬を集めるという選手(
人間)はそうそういるものではない。

去る人はまた美しい。
華やかなウエアばやりの昨今、本日のテレビの通り静かな服装
が多かったし、アクセサリーはいつも可愛くチャーミングだった。


引退発表後のダンロップトーナメント最終日、バーディを取った
1stホールの様子。

「子供に見せるならこの人」、あの解説者森口祐子プロが明言し
ている。

ヤマタケノコ 空豆の夕食 昔の池の平。

2017年6月10日(土曜日)

日中緩急をつけて降り続いた土曜日、午後の車外気温はおおむね17
℃を示し肌寒かった。
年取ると寒いのは自分ばかりか、と思うが、ほかの方も寒いと仰るのを
聞くとほっとする。

今夕、ご近所さんやスタッフから頂いていたヤマタケノコとソラマメが食卓
に乗った。
春から夏へ、花も食べ物も変わる。
動植物は季節で変化し、また入れ替わる。
人間にもそのような生態があったなら面白かろう。
祭は残るだろうが戦争などはなくなるのかもしれない。

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タケノコを取るひとは何処でとったか教えてくれない。秘密の場所があるに違
いない。

その昔昭和30何代中頃まで池の平のイモリ池から歩いて行くと、間もなく小
さな谷の周囲の笹ヤブで私たちでも沢山タケノコが撮れた。
やぶに分け入って、太く形の良いのを見つけると大声で自慢し合った。

取り終わると、父がコッヘルを取り出し川の水を汲んで味噌汁を作り、泊まった
池廼家さんで作って貰ったおにぎりをほおばった。
食べる前にみなで父が用意したアルコール綿で手を拭いた。

イモリ池周辺から上へ池の平はすっかり樹木が繁り、白樺混じる往時の清
々しくフラットな景観がなくなってしまった。

清々しい日中は巻雲のパレード。

2017年6月9日(金曜日)

春秋に多く見られる巻雲が、日中様々に形を変えて高い空を移動した。

一万㍍にも達するという高層の巻雲は良いお天気の前兆ばかりではなく、
崩れていく前触れでもあるという。

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昼休みに産業医をしているある工場の巡回とケース相談に行った。
工場の南西に毛羽だった巻雲が見られていた。

ところで古くからここの工場の衛生担当者は実質を大切にされ、作業
環境や従業員の心身健康管理に熱心だ。
担当者が交替しても代々の熱意が引き継がれているのもとても良い。

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遅い昼食を美術館で摂って出ると、動きのある雲が北東の空を縦横
に飾っている。

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上掲の方角よりやや西方面からは流れるようなスジを伴った巻雲のパレ
ードが現れた。真っ青な空に白いスジ雲の造形が刻々と変わり、胸が空く
ような眺めを呈した。

夕焼けを期待したが、夕刻には全体が雲に被われ青空も姿を消した。
明日雨マークも見られるが再び天候は持ち直しに向かうらしい。

淡交6月号巻頭言、利休百首 削った茶杓 新潟の茶会記事。

2017年6月8日(木曜日)

茶道裏千家の淡交社から発行されている月刊誌「淡交」
の6月号が手許にある。

家元による月々の巻頭言はテーマが平明に説かれ、とて
も読みやすい。
今月号は「もとのその一」だった。
如何に到達しようとも常に初心を忘れないようにという、利
休道歌(利休百首)の教えが説明されていた。

「もとのその一」は百首の中の以下の歌から取られている。
「稽古とは一より習い十を知り十よりかえるもとのその一」

ふとしたきっかけで昭和62年の今頃だったか、ご近所の裏
千家茶道教授である渡辺宗好先生の許に通い始めた。

普通毎週一回、月3回くらいが標準の稽古ではないかと思
われるが、元来長生きは出来ないという観念がある私は最
初の一ヶ月間は週二回をお願いして始めた。
週に1回追加の日は、ある地区の方達の稽古を終了した後、
残り火に炭を足して湯を沸かし、教えて頂いた。
その日は夕食を早くしてそそくさとお宅へ急いだ。

先生一人弟子一人、茶会であれば一客一亭の贅沢な、あ
る意味迷惑な稽古だった事だろう。
そんなはじめの頃、よくお聞きしたのが利休百首の言葉だっ
た。
基本となる茶道の精神、そして点前の手順や所作、および
道具の扱いなどの心得が詳細に述べられている。

「茶の湯とは只湯をわかし茶をたてゝ飲むばかりなる事と知
るべし」などはもっとも耳目にした言葉だった。当初は単純
過ぎてよく分からなかったが、仕度や所作で迷った時にこの
言葉を思い出すと、解決の糸口になることがよくあり、あらた
めて百首の凄さを知らされた。

当初、
「その道に入らんと思ふ心こそ我身ながらの師匠なりけれ」
もよく聞いた。
師範は「私は貴方の師だが、茶を始めようと決めた貴方の
心もすでに自分の師なのですと説明された。
なにやら禅問答のようで難解だったが、何故か心地良く響い
た。
そして「はぢをすて人に物とひ習ふべしこれぞ上手のもとゐ
なりける」は如何にも分かりやすかった。

稽古が進むと「稽古とは一より習い十を知り十よりかえるもと
のその一」が強調された。常に基本を忘れないように、という
意味に受け止めていた。

 

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巻頭言「もとのその一」が載っている淡交6月号。

さてデビューの茶会で点前の手が震えて泣きたくなるような
こともあったが、14年目に茶名を授けられる日が来た。
ともに頂くT氏に習って拝名の茶会では竹の原型を買ってき
て、自分で削った茶杓を用いた。

茶杓には銘を付けても良い。
出来上がったものに迷い無く「その一」と名付けた。

茶名から7年経った2008年春、誠に残念なことに先生が逝去
され、、稽古から遠ざかってしまい迷子のまま今日に至って
いる。

 

2
懐かしい「その一」。

淡交には各地で開催された数多くの茶会が記録されている。
今月号に4月9日、新潟市で行われた数寄者の会が掲載さ
れていて、お正客のお家元に薄茶を差し上げた時の写真が
あった。
光栄な事に皆様のに混じって会記(日時、場所、用いた道具
類と作者、花、菓子などについて記したもの)も載っていた。

3
上段が当日の記事。勿体なき日の冷や汗がよみがえる。
淡交6月号から入門の頃と去る4月のことを思い出した。

淡交は「荘子」の「山木篇」〝君子の交わりは淡きこと水の如
し 小人の交わりは甘きこと醴の如し 〟に由来しているという。
※醴(ライまたレイ:あまざけ)

梅雨を待ちきれないアジサイ 低温で不順な感じがする気候。

2017年6月7日(水曜日)

回りに寒いと言う人が多く、気候に寒さを感じるのは年のせい
ばかりではなさそうだ。
菜園をされている皆さんも育ちが悪いと、口々におっしゃている。

午後遅くぱらついてきた雨は肌寒さと相俟って梅雨かもと聞くと
とそうかもしれないと思ってしまう。

風邪でも引きそうな(事実風邪の方が多い)空の下で、一人順調
なのがアジサイだ。

樹下美術館のアジサイはカシワバアジサイ以外すべてヤマアジ
サイと額アジサイを植えている。
丸いタマアジサイよりも開花が早く、梅雨を待ちきれず我が世
の初夏を謳歌し始めた。

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去る6月3日には真っ白だった「紅(くれない)」アジサイ。

170607
本日の紅は薄紅というのか、ほんのり赤味を帯びていた。
これから真っ赤に、文字通り真っ赤になっていく。

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これは青い線香花火のようにパッパッと咲き始めた。

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成長が遅かったこのアジサイは場所に慣れたのか花を増やし
始めた。

春からお年寄り達の様子が優れない。
例年以上に発熱や咳や重篤な便秘に見舞われるが、何とか服
薬や注射で入院を回避できると、本当にほっとする。

年令を問わず密かにインフルエンザも続いている。

芝生がきれいになってきた 月は長いカウンセラー。

2017年6月6日(火曜日)

美術館の館長なのに連日庭いじりのことばかりで、恐縮を禁じ
得ない。
その庭で一昨日は男性スタッフに芝刈りをして貰った。
建物の周囲400㎡ほどある芝生は、随所に円形の抜けや、
白っぽいまだらを生じ、時間を見つけて手当を繰り返してきた。

一回目なので軽めに刈って頂いた。
昨年は最初から強めにお願いして失敗した反省がある。
こざっぱりと刈られ、弱りの見えていた場所も青々として気持ち
良い眺めになった。

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刈ってみると今後の手当が必要な場所がよく分かるので、仕事
後夕食まで肥料入りの土(とても便利)をくべて撒水した。

終えてふり仰ぐと、間もなく満月となる月が東の空に昇ってい
る。
今日は飛行機雲が賑やかだったので、午後からずっと彼らと
ちょっとしたインスタレーションの構成で忙しかったようだ。

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変化する何本もの飛行機雲に囲まれている。

さて月には色々と仕事があり、中でも地上の悩みや不満や
願い事、あるいは呟きなどを聴くのが重要な役目になってい
る。
三日月の頃は「ああそうなのね」と小声でうなづき、
半月の頃は「うん分かる、分かる」と相づちを打ち、
満月の頃は「本当!大変だったんだ」と心こめてねぎらう。

月はその昔らか聴き上手なカウンセラーだったにちがいな
い。
お天気や月齢によって気まぐれな所もあるが、無料なので
問題なく続けてこられたのだろう。

第7校の図録 柿崎海岸のカモメと海岸植物 美術館のホットサンドと食器。

2017年6月4日(日曜日)

間もなく校了となる第7校の図録が印刷屋さんから届いていて過

点検後、陶齋のご子息齋藤尚明氏に最終の監修をしてもらった。
末尾に立派な仕上がりを期待しています、としたためられていた。

午前中直しが入った校とともに、最後にしたい原稿シートを直した。
昼過ぎていつもの柿崎海岸(中央海水浴場)へ行ってみた。
本日やや肌寒く昼の浜は人気が無かったが清々しかった。

5
コウボムギの群生。海岸植物の中で最も海の近くて繁殖できる。
荒れた日はまともに波をかぶることもあろう。

3
↑ハマボウフウの群生。最近の雨に恵まれて勢いがある。

4
↑ハマボウフウの花。この段階はつぼみと言えば良いのだろうか。

7
カモメ(ウミネコ)。

8
大きくしてみると幼い感じを受ける。

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↑意識しているのか一列に並んでいる。

2
美術館で遅い昼食(半分サイズのホットサンド一イッチに2杯分のポット
珈琲で750円)。10周年を記念して使用しているシェリー社のアールデ
コ調デザインであるクインアンタイプの食器はとても人気がある。現在5
客だけですが、それぞれ柄が違っていて楽しめます。
写真は「サンライズ&トールツリー:朝日と高い木」という柄です。

昨日に続いてほど良くご来館いただき、皆様に感謝いたしてます。

60年ぶりの級友 嘗て上越に咲いた大輪の花 忘却来時道。

2017年6月3日(土曜日)

予報通り気温が下がった日、雲は多かったが夕刻に向かっ
て晴れ間が見えた。

本日は60年ぶりと言ってもいい懐かしい級友T君がご兄弟
やいとこさんたち9人の方々で来館された。
大きな会社を勤め終え、代替エネルギーの研究機関にいる、
ということ。
真面目でどこか人なつこさを感じさせるT君は60年経っても
当時のまま、長い時間と遠かった距離が一瞬にして縮まり、
互いに学生服を着て話をしているような錯覚を覚えた。

皆様の親御さんたちは戦後高田の文化興隆時代の最中に
生きた人々で、子供さんである皆さんもその影響下で育ってい
る。
当時の地域には著名な詩人、歌人、小説家、童話作家、俳人、
民俗学者や茶人、画家、彫刻家に宗教家、そして写真家など
極めてバリエーション豊かな人々が居て、さらにその友人たち
が遠くから訪ね来るので地元を巻き込み渦のごとき文化交流
が生まれていた。
その香り高い大輪の花が咲いた時代に酵母の如く人々を繋
なぎ若者を刺激し、地域を芳醇にした存在の一人が、他な
らぬわが陶芸家齋藤三郎だった。

T君のタブレットには三郎氏の陶芸作品や臈纈染めまで収めら
れている。
その中の一つに、円相が描かれ中に「忘却来時道」と描かれた
徳利があった。
意味を聞かれたので漢詩の一節で〝来た時の道を忘れてしまっ
た〟とお答えした。

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当館にある齋藤氏の水注ぎの絵にその言葉が書かれている。
唐代において天台山の自然に仙人の如く同化するように暮らし
たという奇僧寒山による詩で「十年帰不得(十年帰るを得ず)」に
続く一節。

来た道を忘れてしまった、は人それぞれに解釈が可能だ。
もう帰る気がしない、もう引き返せない、過去へ拘泥しない(前進
あるのみ)、今が一番、俗世を忘れたなどあろう。寒山詩では最
後の意味合いであろう。

私なら、来た時の道を忘れたい、が一番ピンときそうだ。

T君と話に夢中になり、館内の皆さんのスナップを忘れてしまっ
た。以下は今期の様子ですが、一行様には熱心に観て頂き有り
難うございました。

1
倉石氏の絵画ホール。

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齋藤三郎氏の陶芸ホール。

そして日が長い。
5時の閉館まじか、お客様がはけた頃合いから、庭仕事をした。
成長に問題がある二株のクリスマスローズを植え替えた。
庭は縦横に樹木の根が張っているので、移植は容易ではないが、
心だけは込めた。それから同じく心込めて芝に目土をして雑草を
取った。

約一時間半、終わってほくほく線の田んぼに寄り道をして夕焼け
電車を撮った。

3
7時頃にやってきた上り電車。

明日また寒さを交えたお天気だという。

晴れ間を交えた悪天候の日  米国の谷間に三つの鐘と年代。

2017年6月2日(金曜日)

仕事前の朝、大きな雷が幾つか鳴り、中でドカーンと大音響を轟か
せたのがあった。

強弱を付けて降った雨は午後から上がったが、昼などは明るい日
射しの中で激しく降ったりもした。
風も強く、夜も弱まる気配が無く、海は荒れ模様だった。

混乱のお天気の中、近い区内で火災が発生した。
「地震、雷、火事、おやじ」
「皆さんの親父(夫)さんは優しいはずですから、本日あと怖いのは
地震でしょうか、気を付けなければ」
という事になった。

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強風の昼、樹下美術館から東方の雲。

気温も下がり寒さを感じたが、明日はさらに下がる模様、もう一度スト
ーブが必要になった。

但し明日から当分晴れが続くという予報、しのぎやすいお天気が期待
される。

さて昨日の谷間に三つの鐘が鳴るの続きを少々。
私が中高生などで聞こえていたのはエディットピアフの歌ではなく、ブラ
ウンズというグループのものだった。


ブラウンズによる「谷間に三つの鐘が鳴る」  1960年代らしい。
自分の学生時代に流れていたのはこのグループによる曲。カントリ
ーミュージック風に歌われている。
時代も違うが昨日のエディット・ピアフのステージは素朴で、歌わ
れる内容にとても良く合っていた。


さらに時代が下ってブラウンズの1999年の映像らしい。
皆さん晩年となり歌われている三つ目の鐘を聞く年令に近づいている。
三人とも自然で、老人ならではの味わいを深めているように思われた。

初夏の昼のレコード A・ルービンシュタイン、F・クライスラー、エディット・ピアフ。 

2017年6月1日(木曜日)

昨日と打って変わって気温が下がり過ごしやすかった日。

昼休みにSPレコードを持参された方と蓄音機を回し、お客様を交え
て聴いた。

A・ルービンシュタインのピアノでショパンのノクターンから一曲、F・ク
ライスラーのヴァイオリンでヘンデルを、エディット・ピアフのシャンソ
ンは谷間に三つの鐘が鳴るだった。

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機能は単純だが加工の無いヴァイオリンやピアノの音が時代を超え
て館内に響きわたる。。
当時の演奏家たちの丁寧な音は6月第1日の庭の眺めとともに安心
で心地良かった。

 


谷間に三つの鐘が鳴るは自分の中学校時代にはほかのグループ
が盛んに歌い、ラジオからしばしば聞こえた。
一人の子供の誕生と結婚、そして晩年の死を告げる谷間の鐘が歌
われている。三つの鐘は人生で鳴らされる三回の鐘の事になる。

戦後間もなく発表され、日本におけるリンゴの歌と同様に大戦で疲
弊したフランス国民に安息と勇気を与えたという。

エディット・ピアフ (1915年 – 1963年)。フランスで最も愛されている
歌手の一人。貧しい生い立ちと比較的短命で波乱の人生だったが、
国民的象徴にまでなった人。

本日聴いた盤の状態はいずれも大変良く、およそ70年前の人々に
同化してゆくようなひと時だった。

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