煙突女学校 心打たれた中卒の人のアルバム。

2016年11月2日(水曜日)

私のノート(ブログ)には「お年寄りや昔の話(聴老)
という欄がある。
日頃診療で出会う高齢者の若き日のご苦労は別世
界の如くだが、およそご本人は「当たり前だと思って
いた」と仰り、そのことがまた凄いなあ、と感心させら
れるのである。

ところで私の世代からしばらく先まで、中学校卒業で
就職した方は少なくない。
自分は村の小学校を卒業後、高田市の中学校に入
ってしまい、小学校時代の級友とは突然縁が薄くなり、
分けても中学校で就職した人たちの事は殆ど知ること
が無かった。

読み返せば2011年のノートに「煙突女学校 世が
世なら」
があり、中卒で就職した女性の事を書いてい
る。
その人は私より二つ上で、嫁ぎ先で超高齢の親を介
護されていた。
その介護ぶりが上手で感心して、書いた。

家にお金が無かったので高等学校ではなく、富山の
紡績工場へ行きました。
工場には煙突があったので、煙突女学校と呼んでい
ました、と聞かされた。
紡績というと、どこか女工哀史の古く悲惨な職場イメー
ジが浮かぶが、あっさりと語られた不思議な「煙突女
学校」に少々驚き戸惑った。

その人と診療でお会いするうち、職場が開けた場所
であった事、福利厚生のほか作法や修養教養の場
が整えられ、成長できる所だったことが分かってきた。
ただ具体的なイメージはうまく浮かばなかった。

持ってきました、と最近アルバムを持参された。
整理された白黒写真には、配慮された人間関係、ク
リスマス、メーデー、寮生活、歓送迎会、研修や旅行
など初めて接する世界が次々に現れ、まるで映画で
も観るような一冊だった。

昭和30年代、高度成長期へと入って行くまさにそ
の現場で、中学卒業の人々が前線の繊維産業を引
っ張り、生き生きと働ていたのを見て思わず感動を
おぼえた。

いま彼女は何の匂いもさせず、ごくごく普通に明るく
振る舞われる。
一方で世間には介護や透析を受ける人、あるいは障
害者をバッシングする無知傲慢な人も居て、(ある作
家のように)いずれ必ず悔い改める。
最初から物事が分かっている人と、そうでない人、、、。

分かっている人の中には、アルバムの主のように貧し
さが出発点にあった人が少なからずいるのではない
かと考えさせられる。

 

1
入社間もない頃、茶道にのっとった手の組み方を
している。

 

旅行先で
1960年20才のころ、静かな迫力を放ち、みなスタイリ
ッシュで大人に見える。

写真に添えられた文章も優しく立派で、自分が恥ずかし
くなった。

煙突女学校の卒業生さんたちに幸あれ。

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