2016年5月1日

四度目の蜘蛛ケ池道(瑞天寺-十二神社) 独立自知 馬鹿野郎大居士という墓碑銘。

2016年5月1日(日曜日)

樹下美術館の近くに大潟スマートインターがあり、周
辺は雑木林に囲まれている。
その林の中に小径があり、十二神社から三つの鳥居を
経てほくほく線高架橋をくぐり、蜘蛛ケ池は瑞天寺へ
とジグザクに続いている。

昨年10月に偶然この道を見つけ、神仏をつなぐ静け
さと路傍の草花が気に入り何度か歩いた。
2015年10月22日

2916年1月3日

2016年4月17日

本日来館されたご夫婦は過去のブログで道に興味を持
たれ、急遽「行って見ましょうか」ということでご一緒した。
私が知らないことを教えてもらったり新たな発見もあり楽
しかった。
このたび勝手に蜘蛛ケ池道と呼んでみることにした。

 

車を停めて
↑車を降りて上ってきた道を振り返る。

十二神社
↑短い坂を上ってすぐ左に十二神社(この写真は本年正月です)

径
↑本日一段と緑深くなった道。
草刈りなどは蜘蛛ケ池集落の方達がされていると聞いた。

2
↑道中両脇のアマドコロは清潔感あふれる。

4
↑白く泡立つごとく咲いていたハナウドの群生。

3
↑ニホンタンポポ(ほかではおおかた西洋タンポポということですが、
この道のはみなニホンタンポポらしい)

5
↑開花が楽しみな立派なアザミ。

9
↑由緒ある観音堂が建つ瑞天寺に出る。

6
↑瑞天寺裏山の墓所にある笠原家の墓。
大傷みしていて非常にもったいない。

7
↑墓所にある笠原大川の墓碑(勝海舟筆による「大川笠原
君墓碑銘」の八文字(昭和63年発行大潟町史を参考)。

6b
↑墓所の小高い山に点々と三十三観音像。

6c
↑お気に入りの一体。

10
↑蜘蛛ケ池山から見る頸城野の水田。

8
↑驚かされた「独立 自知 馬鹿野郎大居士」と記された
墓碑。
瑞天寺の墓地は檀家衆の非常に立派な墓が多い。
その中の一つで、安政五年の年号があった。
自ら名乗ったものか、残された人の命名なのか。
どんな人だったのだろう、独立自知の言葉はとても
良い。
いずれにしてもこれ以上無い謙遜?の墓碑であろう。

 

11
↑笠原家墓地の入り口にあった二基の灯籠のうちの一基。
寄進者の名の中に曾祖父貞蔵(嘉永3年11月28日生まれ、
嘉永3年→1850年)の名があった。
貞蔵の父玄作は笠原大川(だいせん)の弟子の一人であり、
大川に勧められて医師になっている。
(玄作の娘トヨは小山作之助の母です)

本日はご一緒した方のお陰でニホンタンポポ、馬鹿野郎
大居士の墓、曾祖父の彫り銘など興味深い発見をさせて
もらった。
500メートルほどの短い小径だがいつもなにかしら楽し
める。
途中ほくほく線高架橋の真下を抜け、頭上を電車が通った。

百合の群生も見つかり夏にはどんな花が見られるだろう。
いつか皆様とご一緒にここを歩いてみたいと思いました。

拙ブログを楽しみにしていると仰る入院中のAさん、ご覧い
ただけましたでしょうか。
治療に専念され、ご快癒されることを心よりお祈りしていま
す。

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