寒いと冷たい You Must Believe in Spring。

2016年3月25日(金曜日)

このところ寒のもどりが続いて挨拶は「寒いですね」や「風が
冷たい」になっている。
同じ気温のもとで表現が「寒かった」り[冷たかったり]する。

風は冷たく心は寒い。
外部の現象に対しては冷たいと言い、
自身の現象は寒いと言うのだろうか?

水が冷たい、貴方は冷たい、、、。
心が寒い、懐が寒い、、、、。

だが「手足が冷たい」と「「手足が寒い」は両方ありそうなので
難しい。
しかし相手の手足を触って「寒い」とは言わず「冷たい」と言う
にちがいない。

それがなぜ自分の手足は冷たかったり寒かったりするのだろう。
どっちかが間違いなのだろうか。
もしかしたら冷たい時は「他者のものの如く感覚させられ」てい
て寒い時は自分のものとして実感している、という理屈が成立し
ているのか。

自分を自らとするのは勿論、他者のように感じたり、人間は忙
しい。
時間があればもう少し考えてみたいところだ。

 

雲
日射しが強くなり雲も白さを増したように見える。

 


「You Must Believe in Spring」
シェルブールの雨傘のミシェル・ルグランの曲で、
1967年の映画『ロシュフォールの恋人たち』の挿入歌だという。
春はちゃんと来ると、かみしめるように歌われています。

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