2016年3月
飛行機雲がよく見えた日 忙しくなった花。
暖かかさが続くようになった日、飛行機雲がよく見えた。
飛行機雲は晴れば見えるものではないようだ。
本体は氷の粒であり、上空が冷えその上一定の湿度も
必要らしい。
今日はこんなに、というほど次々と飛行機雲が現れた。
↑くっきり見えるのは3本だが、帯のような雲も元は飛行機雲だった
と思われる。
庭の花はクリスマスローズを追うように忙しく個性的に開き始めた。
愛らしい芽も次々と土中から現れ、つい踏んでしまいそうだ。
洞爺丸事故と羊蹄丸。
去る26日は昭和29年、中学一年生の時に北海道は道南、木古内
へ行った事を書かせて頂いた。
その折り青函連絡船の乗船に触れた。
行き帰りはどっちだったか、忘れたが乗ったのは摩周丸と羊蹄丸
だったと思う。
なかでも羊蹄丸には間接的だがやや特別な印象が残った。
前回記した木古内行は昭和29年の夏休み。
その休みを終えた二学期の9月21日、青函連絡船「洞爺丸」の大海
難事故が起った。
台風通過の夜、躊躇の末出港し、まだ函館湾内にあって苛烈な暴風
に襲われた洞爺丸。
投下した錨が効かず鎖も切れて漂流。
なんとか浅瀬に座礁させ停泊を試みるも失敗、夜中に転覆沈没した。
困難な通信、関係者の思い違いなどもあって1100数十人の犠牲者が
出た。
洞爺丸はその夏、昭和天皇皇后の北海道ご訪問の際、お召し船の栄
誉に浴したばかりだった。
場所は七重浜。
函館を出た江差線は五稜郭、七重浜と停まる。
駅名や漁村らしい一帯の風景がよみがえり、当時とても暗い気持ちに
なった。
その夜混乱した函館湾内で4隻の青函連絡船ほか多数の船舶が遭難し、
一夜にして1400名を越える犠牲者を出す大惨事になった。
一連の経過中、同日青森側から出港予定だった羊蹄丸は熟考のすえ出
港を取りやめていた。
羊蹄丸は洞爺丸とは同期に製造された兄弟船の中の一隻だった。
羊蹄丸船長の判断は暗澹たる事件の中でわずかな光明として伝えられ
た。
特に羊蹄丸が少年時代の脳裏に刻まれたのも、このようなことがあった
ためだと思っている。
↑乗船した初代羊蹄丸(日本海事科学振興財団のホームページから)。
以下の切符は中一夏から5年後、高校三年生で再び木古内を訪ねた
時の帰路のものです。
↑上は昭和34年発行の木古内から柏崎行き切符。
直江津まで行くより柏崎乗り換えで便利な列車があったのだろう。
下は翌日の青森駅発の急行券(羊蹄丸の発行になっている)。
三等乗車券630円、急行券350円、計980は今では信じがたい運賃だ。
洞爺丸の海難が契機となり、戦前からあった青函トンネルの構想が現実
化に向けて動いたということです。
新しい巣箱。
以前インターネットで買った巣箱を本日昼、美術館の庭に掛
けた。
昨年シジュウカラが営巣した巣箱はぼろぼろになっているの
で場所を少しずらして替えた。
↑昨年ヤマザクラにかけた巣箱はシジュウカラが使った。
子育て中に若い雀が餌を運ぶのが見られ、,とても驚いた。
↑今日かけた巣箱は果たして使われるだろうか。
使われたらどんな光景が見られるだろう。
よく見えるが低すぎること、人の気配が多いことから
果たして鳥が入るかどうか、、、。
以前もっと近くのモミジにシジュウカラが巣を作ったこと
があった。
箱のしっかりした作り、東向きなどは好条件だが、、、。
景勝を通して描かれる謙信 民守党でいいのでは。
小説や戯曲に於いて、エピソードごとに人物の個性を
その通りに表現することは重要なことだ。
その点で真田丸は見ていておもしろい。
(但しある女性の役どころがよくわからないのだが、、、)
毎回めまぐるしく襲い来る難題への対応で波乱の連続。
その中で人物たちは複雑に立ち回りながら、結果とし
てそれぞれの個性が見事に一貫している。
今年の大河ドラマは文字通り「ドラマ」あるいは「芝居」
の要素が濃く興味深い。
本日、信繁が上杉の人質として春日山城に入った。
そこで信繁、景勝、兼続の三人が一挙に深く描かれた。
三者は文字通り三様に振る舞いながら切迫した問題を
乗り越えていく。
その中で特に景勝が体現している上杉謙信像がこれほ
ど丁寧に演じられるとは思ってもみなかった。
劇中、景勝の心情が強く民に向かっている事が強調され、
非常に新鮮だった。
“民の安心なくして国作りは無い”
“民の暮らしを守り民の心を支える”
景勝はこのような主旨を述べ、信繁は感化されていく。
兄との今後の乖離も景勝の薫陶が動機の一つになるのか。
↑謙信を育てた春日山は林泉寺の山門にかかる
「第一義」の額。
ところで本日民進党が発足した。
調査によれば不支持が支持を大きく上回る。
当然であろう、政権時代の民主党は瞬く間に権勢に
おぼれ、ついには官に操縦されるが如く衰弱した。
だが党名は変わろうと本来の立場は不変であろう。
地元としては景勝の言葉のように「民守」を肝に銘じ、
惰することなく懸命に働いてもらいたいと思う。
冷たいと寒いの続き 思い出の木古内、北海道新幹線の開業。
昨日は「冷たい」と「寒い」を考えた。
違いを自分の外部と内部の感覚の区別で想定してみた。
人の体に触れて「冷たい」と言うが「寒い」とは言わない。
そんなことから外部の感覚が冷たい、内部の感覚は寒いと
仮定してみた。
しかしどう見ても自分の額や頬を「冷たい」と感じる。
それを冷たいは他者の感覚を自分に置き換えて感じる、
というのはまわりくどく、相当無理がありそうだった。
ならば本日「冷たい」は身体の知覚で「寒い」は心や精神
のものなのか?
あるいは「冷たい」は表面的かつ物理的な反応で、
「寒い」はやや深部的、あるいはやや抽象的な反応なのか?
冬の風に手足や頬は冷たく感じる。
一方冬の外出で「おお寒い!」と言い、「おお冷たい」とは言
わない。
あるいは、
低温の風呂に入った途端「冷たく」感じ、すぐに「寒く」なり、
手足が「冷たく」なっている。
「冷たい」は外部に対する即時的な反応、続いて深部が
「寒い」と感じ、最後に「冷たくて寒い」への対応を考える?
ということで、
冷たいは本能的かつ反射的→古い脳幹、大脳基底核の反応。
寒いは深部的また情動的→少し進んで大脳辺縁系?
それらへの対応→新しい大脳皮質の出番。
と我田引水を試みて、自信はないが一応終わることにした。
最後に「冷たい言葉」や「冷たい人」は深い印象がある。
しかしそれらには恐れや攻撃を司る原始的な古い脳(脳幹、
大脳基底核)が反応しているのかも、、、。
こうなると無理を否めません。
結果的に「冷たい」より「寒い」が難しく感じられました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
北海道は道南、木古内(きこない)の叔父さんの牧草地で。
1954年、中学一年の夏休みに中三の姉と小六の弟と
三人で行った。
直江津から乗った私たちの席は京大の医学生さんと一緒
だった。
その人には車酔いした弟を介抱してもらって助かった。
朝出発して夜に青森、青函連絡船で泊まり、翌朝函館着。
青函連絡船は親戚の上等航海士の世話で船員用の個室
ベッドだった。
非常に興奮して眠れず、一晩中デッキや船内を歩き回った。
秋田の夕陽、五稜郭の海洋大博覧会、江差線沿線のスルメ
の匂い、トラピストのバター飴、牧草地の土器、震えながら
泳いだ海、、、。
なにより叔父さんが自分の口に手を入れて吐くのを見た時、
この仕事は大変なのだと思った。
北海道新幹線が本日開業した。
北海道最初の駅が人口5千人に届かない木古内になって
いる。
寒いと冷たい You Must Believe in Spring。
このところ寒のもどりが続いて挨拶は「寒いですね」や「風が
冷たい」になっている。
同じ気温のもとで表現が「寒かった」り[冷たかったり]する。
風は冷たく心は寒い。
外部の現象に対しては冷たいと言い、
自身の現象は寒いと言うのだろうか?
水が冷たい、貴方は冷たい、、、。
心が寒い、懐が寒い、、、、。
だが「手足が冷たい」と「「手足が寒い」は両方ありそうなので
難しい。
しかし相手の手足を触って「寒い」とは言わず「冷たい」と言う
にちがいない。
それがなぜ自分の手足は冷たかったり寒かったりするのだろう。
どっちかが間違いなのだろうか。
もしかしたら冷たい時は「他者のものの如く感覚させられ」てい
て寒い時は自分のものとして実感している、という理屈が成立し
ているのか。
自分を自らとするのは勿論、他者のように感じたり、人間は忙
しい。
時間があればもう少し考えてみたいところだ。
「You Must Believe in Spring」
シェルブールの雨傘のミシェル・ルグランの曲で、
1967年の映画『ロシュフォールの恋人たち』の挿入歌だという。
春はちゃんと来ると、かみしめるように歌われています。
早春の庭を見ながらSPレコード パガニーニの課題曲。
全国的にインフルエンザは収束したと、昨日のニュース
が伝えていた。
しかし数日再びA型が盛り返すなど発症が続いている。
本日積もるほどではなかったが、雪が混じる寒い日と
なり、まだ気を許せない気がする。
そんな午後友人がSPレコードを抱えてやってきて、K氏
を交えてたっぷり2時間、蓄音機を聴いた。
コルトーのピアノ、ジンバリストのバイオリン、カザルスの
チェロ等々次々と早春の館内に響いた。
大家が天から降りてきて聴かせてくれる。
SPレコードにはそんな幸せ感がある。
人の悪口などまずしない人たちとの時間は爽やかだった。
「手回し蓄音機でSPレコードを聴く会」 5月14日(土曜日)
午後6時からから樹下美術館で催します。
大人お一人様500円、樹下美術館窓口あるいは
お電話025-530-4155でお気軽にお申し込み下さい。
ユリア・フィッシャーの「パガニーニ奇想曲13番。
「悪魔の微笑み」と呼ばれる3度重音の連続下降が難関。
今年、孫の一人がこの課題曲を弾いてある音大に合格した。
しっかり表情を付けなければ音楽にならない。
大勢の教官の前で緊張したが、心込めて弾けたという。
いつか当館のホールでぜひ彼女の演奏を聴きたいと思う。
ご夫婦のお客様が多かった日の庭仕事 村山陽ご夫妻。
春分の日の午後、気温は上がらなかったが陽射しに
恵まれた。
昨年から毎週火曜日の休館を止めたので、集中して
庭仕事が出来る日が無くなった。
開館している時に庭に出るのはかなり気が引ける。
とくにカフェから庭はほぼ丸見えなので、下手をすれ
ば皆様にお尻を向けることになりかねない。
現在買ったままになっている沢山のアヤメや届けら
れたシラネアオイが数株植えられるのを待っている。
大小50株のクリスマスローズに石灰も撒きたい。
意を決してやや遠目の場所で午後から閉館まで作
業をした。
終わる頃、本日最後のお客様ご夫婦と庭でお会い
した。
これまで東京にお住まいで、縁あって一昨年から
高田へ移住されたという。
上越の食べ物は美味しく花の色がみな鮮やか、東
京の花はくすんでいてこんなでなかったと仰った。
このような言葉はやはり嬉しい。
本日はご夫婦の方が多く、画家村山陽さんご夫妻
がお見えになった。
今年の当館の倉石隆作品は「倉石隆の朱色」。
「バーミリオン(朱色)は高価で、しかもほかの色とは
決してうまく混ざらない強い色です、とお聞きした。
倉石氏の「更紗」の前に長く佇まれ、当作品における
倉石氏の思わぬ製作手順を説明してくださった。
画家ならではのイマジネーションがとても新鮮だった。
若かりし日倉石隆氏とお会いした時、自分はいつ画
家に転身すべきかを尋ねたという。
「いますぐ始めなさい」
倉石氏の言葉は厳しくかつ明快だった、と貴重な思い
出を語られた。
村山先生、ご来館有り難うございました。
こざっぱりとした本日の米山と尾神岳、そして潟川(樹下美術館の近くで)。
肌寒でも春は歩む 富山県から食べログのお客様。
10度まで届かなかった肌寒く雨がちの日曜日。
心身を温めるようにぽつぽつぽつとお客様に来て頂きました。
午後、富山県の若い方が三重県のお友達とご一緒されと聞き
ました。
「食べログ」で検索されたそうですね、遠くから有り難うござい
ました。
デッキベンチで越後の田を眺めて頂いたともお聞きしました。
ところで今年の館内は以下のようになっています。
少し遅くなりましたが、写真を撮りました。
↑ホールというほど広くはない入ってすぐの絵画ホール。
今年は「倉石隆の朱色」です。
↑今年の陶芸ホールは「陶齋の赤」です。
当館は上越市の設計家・大橋秀三氏の設計で、
2009年度「日本建築家協会優秀建築選200選」に選ばれました。.
館内の廊下で辻村史朗氏の伊賀の花生けに椿と利休梅の枝。
これから利休梅の白い花が咲きます。
絵画系の館内で辻村氏の焼き締めが一点、良く合っています。
1947年生まれの辻村氏は陶齋と同じように画家を志し、後
に独学で陶芸に進み、今日クリーブランド美術館、ミネアポリス
美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、裏千家茶道
資料館などで収蔵される国際的な作家になられました。
一見何気ない器の厳しくも絶妙なバランスは驚くばかりです。
午後美術館の後ホームセンターへ紙や肥料などを買いに。
道すがらの川で軟らかなネコヤナギの芽吹きが見られました。
明日春分の日は本日と同じようなお天気のようです。
降らなければ庭仕事をしたい所ですが。
春雨の樹下美術館。
日中降り続いた春雨の日。
雨は花のつぼみと木々の芽に優しく注ぎ、つがいとなって
里に下りた雀たちは雨の中で餌を探し巣作りを始めている。
この日、地元の方々のほか新潟市から二組のお客様が
寄ってくださった。
↑雨中カフェの芝生で餌を探す雀はつがいに見えた。
美術館の軒下に出入りする雀もいて、巣作りが始っているようだ。
↑ブログをご覧になっていると仰った新潟市のご家族さんの器。
左は裏千家茶道を稽古している小学六年生の男子生徒さん、
真ん中はお父さん、右端はお母さんがそれぞれ選ばれた器。
静かな雨の土曜日、ご来館くださった皆様有り難うございました。
お天気とお客様に恵まれた日。
風も無く昼頃から次第に暖かくなった一日。
本日開館三日目の午後は皆様にお出で頂きました。
今年の展示テーマがシンプルで、いつもより熱心に作品をご
覧になる方が多いようです。
今年から展示観覧料は大人200円、中高生100円、
小学生50円、にそれぞれ値下げを致しました。
上越地域の浮上にはほくほく線の頑張りも一つの鍵。
北陸新幹線が開業して一年が経った。
当地上越市はおしなべてめざましい効果が見られず、苦戦を強い
られている様子が伝えられる。
一方で北陸は躍進し、終点先の福井県や能登まで広く効果が波
及しているらしい。
ところで必死の上越市にあって、殆どの乗客を新幹線に奪われた
ほくほく線の社長インタビューは驚くほど余裕があり、明るいもの
だった。
“焦りはない。そもそも北陸はうちの娘「とき号」の嫁ぎ先、またJR
には一部線路を使わせてもらっている”
“当面争わず自分たち独自でやり、いずれ日本一のローカル線に
しますよ”
にこやかな笑顔は自信にあふれていた。
切実さばかりが伝わる中、社長の肝のすわり方に驚いた。
特急はくたかでたっぷり貯えた余裕がこの構えを可能にしているの
だろう。
映画、雪見、温泉、、、これらを車内で可能にする特別列車の構想?
デメリットの「雪とトンネル」をメリットに逆転させる壮大な秘策がある
のかもしれない。
トンネルと多くの高架線はともに雪に強い。
そもそも付帯インフラは日本一のスーパーローカルの地力がある。
ほくほく線が集客すれば直江津、さらに高田も人が回る。
さらに上越妙高から新幹線、あるいは佐渡まで周遊可能だ。
足がかりは同社が目指す「絶対価値」。
目先に捕らわれず視野を広くする事が大切なようだ。
この度の新幹線や九州の取り組みは出かける楽しさをさらに広げた。
本日はまれに見る貴重なインタビューだった。
ほくほく線特急「はくたか」が去って1年。
本社駅で行われた記念イベントも懐かしい鉄ちゃんたちで賑わったよ
うだ。
私も近くの田んぼから夢中で撮ったほくほく線特急はくたか」の勇姿を、
お別れ一周年記念に掲載させて頂きました。
いまや影が薄くなった直江津駅。
その浮上にはほくほく線の頑張りが鍵になるかもしれない。
(恥ずかしながら小生が撮りましたほくほく線列車のポストカード4種を
樹下美術館で販売致してます)
お陰様で開館しました 追加されたカップ&ソーサー。
今期は予報通りの暖冬ということでしたが、寒い日も多
かった。
そんな本日3月15日樹下美術館も2016年のスタート
を切った。
庭や駐車場の雪処理もなくスムースな開館だった。
例年閑散で始まる樹下美術館だが、本年はほどよくお客様
に恵まれた。
展示も熱心にご覧いただけたそうで有り難かった。
さて本年のカフェにカップ&ソーサーを2客追加しました。
↑「ザンベジ」 ミッドウインター社(イギリス) 1客です。
1956年デザインのゼブラ模様にハンドルの赤が印象的な
ポイントです。
1940~60年代のミッドセンチュリーの雰囲気が濃く漂い
ます。
ところでミッドセンチュリーのデザインは樹下美術館のカフェ
の椅子(セブンチェアー/デンマーク)、カフェの照明(ペン
タントライト/デンマーク)、陶芸室のベンチ(ネルソンベンチ
/アメリカ)、絵画ホールのストゥール(マッシュルーム/日
本)などの家具にみられます。
展示作家の齋藤三郎、倉石隆の若き日もまさにミッドセンチ
ュリーでした。
そんなわけで当館には素朴モダンとも言える当時の雰囲気
が何気なく漂うかもしれません。
さてもう1客はブルーオーキッドで、これは計3客になりました。
↑「ブルーオーキッド」 マイセン社(ドイツ)
現代のものですが、マイセンのデザイナーが京都を旅行
中にインスピレーションを受けたそうです。
当館では時代物、作家物などの家具や食器を自然な形で
皆様にお使いいただいています。
せっかくの人生ですから遠慮なくご一緒に楽しみましょう。
今年度の展示ご案内その2 陶芸 齋藤三郎。
今年度の展示ご案内 その2 陶芸 齋藤三郎
【陶芸 齋藤三郎(陶齋)】
陶齋は「絵描きになりたかった」と述べた事がありました。大正2年、新潟県栃尾町(現
長岡市)に生まれ、18才で入門した富本憲吉と近藤悠三は絵付け陶芸で後に人間国
宝になっています。
草花を愛し、それらは様々な器に描かれました。伸びのびした形と洒脱な絵付けは見る
人の心を和ませ、使う人を楽しませました。昭和56年7月17日惜しまれながら68才で
没しました。
【展示のテーマ】 ー陶齋の赤ー
作品から赤系の色彩がほどこされた作品を選びました。その色は雪国の炭火のように
暖かくまた優しく心打ちます。この度は辰砂(しんしゃ・銅による発色)の桃紅色も混ぜ
ました。
【展示作品の概要】
1 色絵唐辛子文大皿 幅30センチを越えるいわゆる大皿です。赤い唐辛子は白い雪
とともに越後の冬の色ではないでしょうか。
2 赤絵金彩椿詩文文壺 白椿と金彩の詩文(陶齋を詠った詩)が赤地に映えます。
3 赤地金彩羊歯文陶箱 やや晩年の作ですが、鮮やかさと強さを感じさせます。
4 色絵更紗文湯呑 更紗文は同じパターンを繰り返す模様。ドクダミがよく描かれました。
5 色絵更紗丸文水指: 水指は茶道で用いられる器。ドクダミ更紗の中に水仙、萩、
セキチクなど四季の花が描かれています。
6 赤絵金彩牡丹文壺 金は焼く温度に敏感ですが、和の趣で鮮やかに焼成されてい
ます。
7 辰砂葉文ジョッキ
8 辰砂葉文珈琲碗皿 作品7,8ともに桃紅色の辰砂の地に葉が一枚。素朴で心癒や
されます。陶齋の食器は1セット6客がよく見られます。食器は用いられる事を願い心
込めて作られました。
9 色絵椿文鉢 鮮やかな赤い椿は陶齋のシンボルです。骨董屋さんでこの作品に出
会い、迷っていた美術館を決心しました。「露結為霜」は露が結ばれ霜になる初冬の現
象を表し、努力によって結実する、の意味があるようにも思われるのですが。
10 赤絵金彩酒器セット 赤に金色の梅。めでたさあふれる酒器です。
11 赤絵銀彩石榴文茶器セット
12 色絵番茶器セット 作品11,12ともに赤を使った茶器セット。陶齋には早い時期
は地味め、晩年は鮮やか、という傾向が感じられます。
13 寸雪庵好雪花文金彩屏風香合 香合は茶道でお香を入れる器。寸雪庵は写真
家濱谷浩の夫人が営んだ茶室の庵号です。夫人のお好みだった雪の結晶が描かれ
た屏風を模した器と考えられます。
14 色絵蕪文皿 赤いかぶの背景の大きな白地は訪れる雪のイメージでしょうか。
15 赤絵金彩秋草文陶箱 作品6と同じ様式の華やかな器です。錦秋が伝わります。
16 赤絵金彩のばら文壺 作品6に似ていますが、文様の味わいは洋風です。
17 赤絵どくだみ文小壺 昭和20年代、陶齋の初めての弟子の独立に際して贈られ
た器です。18 赤絵搔落石榴文壺
19 赤絵搔落石榴文壺 作品18とともに赤い地の表面を削いでざくろを描き出してい
ます。褐色に近い赤が秋の深まりを伝えます。
ありし日の齋藤三郎
高い教養と美意識の陶齋は多くの人に人気がありました。
2016年3月 樹下美術館
今年度の展示ご案内その1 絵画 倉石隆。
本日は開館を前に手伝って下さる方と庭の手入れをしました。
また展示する作家と作品について観覧者様にお出しする作品案内文を作りま
した。
本日は倉石隆の展示について掲載させて頂きました。
今年から展示の観覧料は大人200円、中高生100円、小学生50円と値下げ
の予定です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今年度の展示ご案内 その1絵画 倉石隆
2016年 樹下美術館
【絵画 倉石隆】 大正5年(1926年)上越市旧高田生まれ。父は第13師団を
高田に導いた初代高田市長。
高田中学校時代から絵を好み東京の太平洋美術学校に進み、同校で毎年デッ
サン賞を取りました。
兵役後、郷里の上越市高田に復員、1950年に再度上京を果たしました。
生涯人間をテーマに人の内面と存在を描き、少年少女向け小説の挿絵も生き
生きと描きました。
1999年9月14日~10月22日まで新潟市美術館で「倉石隆展」が開催され、
1998年11月19日、惜しまれながら82才の生涯を閉じました。
展示作品のテーマ ー倉石隆の朱色ー
作品から朱色(バーミリオン)系が施された作品を展示しました。朱色は倉石隆が
好んだ色の一つです。
バーミリオンの主成分は貴重な硫化水銀のため大変高価な絵の具です。1970年
代からこの色がよく使われるようになりました。雪国で育ったためか華やかな色使い
が苦手と話したことがある作者が、強く暖かい朱色に精一杯心を込めて描いてい
ます。
向かって左から
●黄昏のピエロ:樹下美術館では倉石隆のシンボル的な一枚と考えています。
孤独なピエロを暖かい色が包んでいます。ピエロは作者自身かもしれません。
●鳩:世間から開放され、無心な鳩を楽しんで描いているようです。
●室内の裸婦:ふんだんにバーミリオンが使われた大作です。作者はよく裸婦を描き
ましたが、女性の原型、あるいは母として見ていたのかもしれません。
●更紗:白を混ぜた軟らかなバーミリオンで書かれた更紗(さらさ)の衣が気持ちよさ
そうです。女性を肉感的ではなく、安定した存在として描いています。
●朱色のチューブ:朱色を好んだ作者。その人が愛情こめて丁寧に朱色のチューブ
を描いています。
チューブに見られるWNのイニシャルから英国の名絵の具メーカーであるウインザー・
ニュートン製と思われます。
ありし日の倉石隆
背が高く、ファンによると強いオーラがあったそうです。
2016年3月 樹下美術館
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明日は齋藤三郎(陶齋)の方を掲載させて頂きます。
3ヶ月半がんばったクリスマスローズ。
当欄で何回も書かせて頂いたクリスマスローズ、ニゲル。
最初の記載が11月30日だったので本日で約3ヶ月半
が経った。
実は花はまだ付いているが、もう咲いているとはいい難い
姿になった。
↑何度も雪をかぶって頑張った花はシミだらけになった。
切った方が良かったかもしれないが、開館の15日を一
緒に迎えたいと思うようになった。
↑11月30日、この株だけ蕾を点けて開花に向かった。
さてほかのクリスマスローズの蕾が膨らみ、一部はすでに
満開を迎えています。
樹下美術館で春一番に咲くクリスマスローズはほかの
花が無いのでとても目立ちます。
しかし庭で育てて20年経ちましたが、いまだに難しく、
まだまだ工夫が必要です。
そもそも簡単な花など無いようで、オオイヌフグリやヒメ
オドリコソウなど野の花でも、大繁殖の後数年でほかの
草花に替わられていることもありますね。
開館が近づいて花たちも忙しくなりそうです。
東北の大災害から5年が経った。
本日は5年目の大震災の日だった。
当日も金曜日であり、夕刻近く当地もただならぬ揺れに見舞われた。
ゆさゆさ、ゆさゆさと不吉な揺れの後テレビは宮城、岩手県はじめ一帯の
前代未聞の大地震を告げた。
仙台市に妻の子と私の義理の弟が、南三陸町には弟が、それぞれ家庭を
持って住んでいた。
仙台市との電話は最初だけ繋がったが南三陸町の音信は最初から途絶した。
同地の姪たちはともに小学校に通っている。
テレビの映像は想像を絶するもので、津波が下校時間と重なっていたため
安否がとても気になった。
同夜遅く南三陸町が壊滅したという情報に接した。
災害が超巨大であることが次第に明らかになっている。
翌日夜、仙台の甥から電話があり、姪達はほぼ全員高台の学校に残り一
夜を明かして無事らしい、と電話があった。
数日後、インターネットの安否確認サイトを通して弟一家は全員無事らしい
ことが分かってきた。
サイトでそのことを知らせてくれたのはフォークシンガーの小室等さんと、
お仲間の歌手のネットワークであり、有りがた味は心に沁みた。
後日臨時に開設された公衆電話所から弟の声を聞いた。
自分の事より、町の防災庁舎の痛ましい犠牲は行政の怠慢と憤慨した。
三週間ほど経って妻が子供達を訪ねた。
あまりの惨状に帰ったあともしばらくショックをひきづっていた。
そしてかねて忌まわしかった原発が本当に事故を起した。
悪夢は地獄の出来事のようであり、異次元感覚を引き起こさせた。
失敗が広大な地域を汚染させ、十万を越える人に故郷を捨てさせる。
いつかこうなる予感はあったし、さらに先に絶望的な廃炉と廃棄が待っ
ている。
生活のために得体の知れない魔物を使い同居することをどうしても肯
定できない。
「他者とその犠牲を本気で心配する人」と、「風評としてお上に付く人」
事故は肝心な点で人が二通りに分かれることを示した。
人間はこんなに違うものかと実感するのは淋しいことだった。
願わくば両者は根底で繋がっていれば、と一縷の望みを託したい気持ち
だ。
幸福、不幸の根拠が互いに対極とはどういうことだろう。
政治は高い理想を掲げ、行政はその方法論を練る、願わくばそうあって
ほしい。
だが今日それは入り口から便利不便の現実論に後退して始まる
理想理念が漠然としたまま、いつしか政治は行政の代弁者の如く漫然
となる。
大災害ほど政治家の勇気や希望や慎みの言葉が期待されるものはない。
5年経ても現場の無念と必死が伝わるだけに、心打つ言葉が期待される。
健診と目標、春が来ている。
5年前から今頃になると夫婦してドッグ健診
を受けるようになり、本日午後上越医師会
館へ行った。
身体計測でBMR20、2、体脂肪率18、6%
は昨年とほぼ同じだった。
5年前、BMRが22代、体脂肪率21%代で
一応標準範囲だったものの血液などに問題
があった。
体型だけでも30代へと食事と運動につとめ、
体重は平均57→52キロ代になった。
心身の指標の詳細は個人個人かなり異な
る。
環境とともに、遺伝的特性も大きい。
私の場合、一定以上を過食すると血糖値、
肝機能、脂質、さらに腎機能から心電図ま
で敏感に反応することが分かった。
基本的に虚弱なのであろう。
(小中時代、少々荒れた海で何時間も泳げ
たのに)。
それで筋力を保ちつつエネルギーを減らす
事にした。
腎に余力がないのでタンパク質摂取はぎりぎ
りを狙わなければならない。
加齢による基礎代謝の低下を考慮して実質
10から15%のエネルギー摂取を減した。
その結果、3年前から現在の体重に近づき、
数値がおよそ30才代の平均に入ると、上記
5つのカテゴリのうち4項目が正常化して安定
した。
一般に健康指標の平均値などは極めておお
ざっぱな目安であり、健康の取り組みは文字
通り一人一人で異なる。
内蔵や血液はある程度の異常まで紳士的に
黙っているが、先に厳しい限界が待っている。
また比較的小さな異常でも、積算されて突然
疾病を発症することも少なくない。
ならば薬ということになる。
しかし薬への一方的な依存は原因の改善を
遅らせ、疾病の進行と薬剤追加という望まし
くない循環に陥りやすい。
反省も込めて、身体の改善は何より摂取物
の改善が肝要でかつ日々実行可能な運動
が推奨される。
こんなことから世の中が進み、市中にも身近
な栄養士が居てコミュニケーションが取れる
日が待たれる。
ストレスは風の如く日常にあり、
人生後半のある日から身体は想像以上の逆
風に見舞われる。
近時90才、100才以上のスーパー老人が取
り上げられる。
だが彼らは厳しく選ばれた一種遺伝的エリート
でかつ健康努力を続けた希な人達ではないだ
ろうか。
明日のことは分からずとも、目標だけは持って
いたいと思う。
健診の後ホームセンターで草花の種を買い、
スターバックスでお茶と食事をした。
一階の奥に飾られた桜とお城の絵に目を奪われた。
絵の前の椅子にリクルートスーツの若い女性が二人
座った。
春らしい眺めだった。
樹下美術館の開館が近づいた。
(悪い癖でとても長くなりました。)
ギザギザした西頸城(糸魚川市)の山へのあこがれ。
以下の写真は柿崎、大潟、など頸北地区の海
岸部から西を見た山々の一部です。
同地の西方と言えば先ず妙高山、火打山、焼山
の連山と手前の南葉山の大きな山塊が目に入り
ます。
しかしそれらの更に右、つまり南葉山の裾をより
西方に目を移すと遠くに写真のようなギザギザし
た山並みが見えるのです。
これまで何度か西頸城方面へ用事やゴルフで足を
運んだ事があります。
しかし写真のような特徴ある山々を目の当たりにした
ことはありませんでした。
遠くからよく分かるのに、近づくとどこにあるのか分か
らない。
いずれにしても西頸城地域の遠いギザギザは子供の
ころから不思議で、魅惑的な眺めでした。
ところで2月28日に記載しましたシャルマン火打スキー
場へ行った時初めて権現岳を目の当たりにしました。
当地から西頸城地域に入ると最初に出会う大きな山
です。
冒頭の写真で右端に写っている山が権現岳ではない
かなと思いました。
さる5日、二回目のスキー場訪問で間近に見た権現岳の
山塊(鉾ケ岳と繋がっています)。
大変に存在感のある山でした。
5日のスキー場の後、早川の上流で念願のギザギザ山
と出会いました。
とてもエキゾチックで、冒頭の写真にあった山の一つでは
と思い、感激しました。
調べてみますと正面が烏帽子岳でその右が前烏帽子岳、
左肩に掛かった小さなトンガリは阿弥陀山というのでしょう
か(自信がありりません)。
さらに上った焼山温泉の背後の山。
妙高山を小ぶりにしたような山容ですが、前掲の
烏帽子岳、前烏帽子岳と左奥の小さな阿弥陀山?
がこのように見えていたのでしょうか。
あたりには尖った山がいくつもありました。
さて短時間車に乗っての山見物でした。
しかし漠然とあこがれていたギザギザ山の一部と
思われる所へ行くことが出来ました。
糸魚川市には東西二つの海谷(うみたに)山塊が
あり、今回見たのは東の一角だったようです。
山に詳しい人なら直ちに全て分かる事でしょう。
何も知らない私はいつかもっとよく見える場所に
行ってみたいと思いました。
新潟焼山の緊迫感 水文字など能生谷早川谷の民家の違い。
昨日は、午後から出かけた糸魚川市は能生川
を遡って着いたシャルマン火打スキー場と、
リフト終点の眺めなどを書かせて頂いた。
その後能生ICへ戻り高速道路を糸魚川で降り、
国道8号を梶屋敷まで走り、早川沿いを上った。
行った先の焼山温泉付近から見た焼山は眼
前に迫りもくもくたる噴気の動きが見てとれた。
焼山温泉付近で見た噴気に活火山の緊迫感が
あった。
(ズームレンズで撮りさらにトリミングして拡大し
ています)
上の写真を撮った温泉付近の民家。
大棟の合わせの下部にある「和」に似た文字は
「水」の崩し字。丸囲いは拡大です。
さて焼山が近い早川谷で見た民家の「水」文字
は興味深かった。
もともと防火祈願の現れとされるようだが、早川
では目の前にある焼山の安全も祈っているよう
に感じられた。
一方で「水」を書くのは関西に多い習わしのよう
だ。
一帯に及んだ関西文化の一つとみることが出
来るかもしれない。
民家で言えば能生谷の古い家も特徴的だった。
寄せ棟風?の妻側に台形の設えがあり、
明かり取りか風通しか、小窓が切られている。
同じく能生谷で見た小窓の設え。
二軒とも複雑な構造だが、なかなかの格調だっ
た。
上記いずれの民家も屋根の下に茅葺きをその
まま残していると思われる。
同じ茅葺き屋根でも川一筋違えば様式が異
なっていることは文化のあり方として大変に
興味深かった。
いずれの川も以前走ったことがある。
しかし当時何を見たていたのか、山も家もほと
んど記憶がない。
最後ですがもう一つ、長く自分の興味を引いて
いた西頸城のギザギザした山並みについて次
の機会に書かせていただければと思います。
二回目の能生谷 シャルマン火打スキー場へ。
去る2月28日日曜日に能生川沿いに運転して
シャルマン火打スキー場へ行った。
一応目的めいたものがあり、
1噴気を強めていると言われる焼山を見たいこと。
2当地の沿岸から見られる西頸城地方のギザギ
ザした山を間近に見たいこと。
3あるいは民家や石垣を見たいなどだった。
前回は日曜日のため早くスキー場のリフトが終了、
期待した肝心の山々を見ることができなかった。
そこで本日午後もう一度車を走らせた。
何日も経たない再訪だったが、楽しい午後だった。
ゴミ集積場にもなっている堂々たるお堂。
先日は気がつかなかった。
小見のお堂のバス停といい、不思議な文化だ。
二回目にして入場したスキー場は本当に良かった。
リフト終点の向こうの大パノラマ。写真正面が火打山、
右方に焼山。写真にはないが左に大毛無山山頂、ほ
か名を知らぬ沢山の峰が見えて本当に素晴らしい。
何度も転びながら降りてきた女性。
キャーキャーと叫んで楽しそうだった。
スキー場とはこんなに気持ちが良い所だった
だろうか。
一種懐かしく遠くなった“健康的”という言葉。
それがここでは明るく生き生きと残っていた。
2本リフトのコンパクトなスキー場で、非圧雪、
パウダースノーを詠っている。
真っ白な自然に囲まれ看板やスピーカーなど
余計なものが見当たらない上品な施設だった。
関西ほか遠くの車輌で賑わっていて、常連を
集めそうな雰囲気を感じた。
スキーといえば20数年前、高校生の娘とその友
達と妙高パインバレーに行ったのが最後だった。
そして今日いつしかスキーを履かずリフトに乗る
年になっている。
「まだまだ-、ハイここで降りて!」
リフトの係員たちは私や妻をとても気遣った。
スキーをしない写真目的の人もいる模様だ
が、何より老人への配慮だったに違いない。
本日はこのあと梶屋敷から早川を遡り、笹倉温
泉まで足を伸ばした。
民家の様子や山々も雰囲気が変わり興味尽き
なかった。
続きを明日また書いてみたい。
ようやく暖かくなった日 ツグミと美術館。
3月に入ったものの、待っていた春とはこんなに寒い
のかと不平を言いたくなるような日が続いていた。
それが本日暖かくなった。
昼休みに先日来庭で行っている苔を矧ぐ作業を行った。
手強いスギゴケが大方終わり、容易に剥げるハエゴケ
を残すだけとなった。
手を休めると傍にりツグミが来ていた。
シベリア方面から秋に来て日本で冬を越すというツグミ。
普段から人との距離が案外近く感じられる鳥だ。
冬を越えたのに姿もきれいで何事も無かったような顔をし
ていた。
頸城区観光協会の方が見えた。
今年の開館15日が近づいて来ました。
時折冷たい小雨に見舞われた本日、頸城区の観
光協会の関係者さんたちがお見えになりました。
ちょうど一通りの開館準備が済み、カフェ窓外の雪
もありませんでしたので館内をご案内してお茶を飲
んで頂きました。
実は頸城区の観光協会は発足1年目のほやほ
やです。
ところでこれまでわが小さな個人美術館は地域
ではどんな立場にあるのか、時に迷いを覚える
ことがありました。
ちなみに上越市ホームページの文化施設欄
に当館の名はありません。
個人美術館などは市内に存在しないが如き印
象を与え、文化都市を自称する市の寂しい現実
に失望を禁じ得ませんでした。
(自治体によっては個人美術館が掲載されてい
ます)
しかしこのたび地域の観光協会に所属できるな
ら、幾ばくかのなごましさを感じる次第です。
訪ねて来られた協会の皆様は初年ということも
あり、どこか戸惑いぎみでした。
でも近隣一帯には酒蔵、ワイナリー、記念館、大
屋敷、風趣ある疎水の通り、県立公園、コッペル
号、ため池と里の風情、日本海と温泉、歴史的寺
院等々があり、なにより広大な水田を背景に四季
折々魅了的です。
どうか頸城区観光協会が他と手を取りあい、貴
重な「頸城野の田園文化」を通して地道にそして
力強く発展しますよう、心からお祈り致します。
今年の齋藤三郎(陶齋)は「陶齋の赤」です。
暖冬とはいえ昨日から小雪まじりの寒さが続いてます。
いつしか3月に入り、今年の開館15日が近づきました。
先日、今年度の倉石隆展示「倉石隆の朱色」をご案内
致しましたが、本日は齋藤三郎の「陶齋の赤」をお知ら
せ致します。
さて焼き物で赤を得るために鉄を主成分とする釉薬
(うわぐすり)が多く用いられます。
ベンガラ(紅殻)と呼ばれる酸化鉄です。
陶齋のシンボル的な赤々とした椿です。
平成10年頃、この作品と出会って美術館を決心しました。
鉄は焼く温度などで黄色、赤、褐色、黒などに変化します。
陶齋はモチーフのイメージによって色を使い分けました。
また赤系として陶齋が苦労して会得した辰砂(しんしゃ)が
あります。
これも血色のように濃厚なものから薄いピンク系まで多彩
です。
陶齋は後者の辰砂を得意としましたので今回の展示に混
ぜました。
今年の陶齋はこんな風におよそ20点を展示致します。
「倉石隆の朱色」の油絵とあいまって、小ぶりな樹下美
館の館内は赤々とした暖色に彩られることになりました。
開館の頃はどんなお天気になっているのでしょう。
どうかお楽しみにご来館下さい。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「好き」だった。
- 妙高市はいもり池の近く「ギャラリー峨々」を訪ねた。樹下美術館も紅葉。
- 再び良寛椿の苗。
- 1本の木にキンカンとカラタチの実が。
- 秋晴れの日のゴルフ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 本日ジョケラさん初日。
- 明日からジョケラさんの展示会 高宮あけみ展のご来館有り難うございました。
- 別れ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その2。
- 講演会「良寛さんに学ぶ」が無事終了した。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その1。
- 来たる11月7日からラッセル・ジョケラさんの展示会 晩秋の花 近隣のコハクチョウ
- 先週末の種々。
- 高田高等学校創立150周年の秋 いたくら桜園 近隣の秋。
- 「ラッセル・ジョケラ木工展」 可愛いお子さんとおじいちゃん。
- 本日今年最後の同業ゴルフ。
- 今夜のコンサート カッチーニの「アヴェ・マリア」。
- 信州は須坂で江戸時代の料理を食べる 満月、私達の奇跡。
- 失った1枚 栗。
- 2024年11月
- 2024年10月
- 2024年9月
- 2024年8月
- 2024年7月
- 2024年6月
- 2024年5月
- 2024年4月
- 2024年3月
- 2024年2月
- 2024年1月
- 2023年12月
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年9月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年9月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年6月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年3月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年9月
- 2021年8月
- 2021年7月
- 2021年6月
- 2021年5月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2021年1月
- 2020年12月
- 2020年11月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年6月
- 2020年5月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2020年1月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年4月
- 2019年3月
- 2019年2月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年9月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月
- 2018年4月
- 2018年3月
- 2018年2月
- 2018年1月
- 2017年12月
- 2017年11月
- 2017年10月
- 2017年9月
- 2017年8月
- 2017年7月
- 2017年6月
- 2017年5月
- 2017年4月
- 2017年3月
- 2017年2月
- 2017年1月
- 2016年12月
- 2016年11月
- 2016年10月
- 2016年9月
- 2016年8月
- 2016年7月
- 2016年6月
- 2016年5月
- 2016年4月
- 2016年3月
- 2016年2月
- 2016年1月
- 2015年12月
- 2015年11月
- 2015年10月
- 2015年9月
- 2015年8月
- 2015年7月
- 2015年6月
- 2015年5月
- 2015年4月
- 2015年3月
- 2015年2月
- 2015年1月
- 2014年12月
- 2014年11月
- 2014年10月
- 2014年9月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2014年4月
- 2014年3月
- 2014年2月
- 2014年1月
- 2013年12月
- 2013年11月
- 2013年10月
- 2013年9月
- 2013年8月
- 2013年7月
- 2013年6月
- 2013年5月
- 2013年4月
- 2013年3月
- 2013年2月
- 2013年1月
- 2012年12月
- 2012年11月
- 2012年10月
- 2012年9月
- 2012年8月
- 2012年7月
- 2012年6月
- 2012年5月
- 2012年4月
- 2012年3月
- 2012年2月
- 2012年1月
- 2011年12月
- 2011年11月
- 2011年10月
- 2011年9月
- 2011年8月
- 2011年7月
- 2011年6月
- 2011年5月
- 2011年4月
- 2011年3月
- 2011年2月
- 2011年1月
- 2010年12月
- 2010年11月
- 2010年10月
- 2010年9月
- 2010年8月
- 2010年7月
- 2010年6月
- 2010年5月
- 2010年4月
- 2010年3月
- 2010年2月
- 2010年1月
- 2009年12月
- 2009年11月
- 2009年10月
- 2009年9月
- 2009年8月
- 2009年7月
- 2009年6月
- 2009年5月
- 2009年4月
- 2009年3月
- 2009年2月
- 2009年1月
- 2008年12月
- 2008年11月
- 2008年10月
- 2008年9月
- 2008年8月
- 2008年7月
- 2008年6月
- 2008年5月
- 2008年4月
- 2008年3月
- 2008年2月
- 2008年1月
- 2007年12月
- 2007年11月
- 2007年10月
- 2007年9月
- 2007年8月
- 2007年7月
- 2007年6月
- 2007年5月
- 2007年4月