2016年1月17日

地域の盛衰。 

2016年1月17日(日曜日)

毎日、予報より幾分穏やかに推移している冬。
沿岸の雪は10㎝前後で一昨日は晴れ間が見えた。
そんな午後、ある所の写真を撮り同じ場所の昔と較べてみた。

 

1
去る15日の大潟区潟町は旭町から米山方面。
雪のお陰で風景がはっきりしている。

2
ほぼ同じ場所の1957年(昭和32年)3月28日の眺め。
60年ほど前のこの日は高校進学前の春休み中だった事になる。
道沿いに家は無く道は広大な松林を抜けて現吉川区長峰へと続く。
正面遠くの米山へ至るので「米山道」の道標が残っている。

img142
上の写真の裏に記載された自分が記した日付。
朝日池まで行ったらしい。
私がカメラを持っていたのか、父のを使ったのか分からない。

この先の松林は当時穏やかで本当に気持ちが良かった。

4
同じ日に撮ったと考えられる途中の松林。
早春の陽が射し散歩日和だったに違いない。
40年前、故郷に戻ったのはこの風景が忘れられなかったのもある。

撮影した年の8月に潟町村は大潟町になり、
人口は8300人と載っている。
この後すぐ一帯に天然ガスと石油、そして温泉が出た。
一気に工場誘致が進み人口が増えていく。
昭和50年に1万86人、同60年は1万11086人とある。

隆盛は一に帝国石油(株)の地下資源開発の成功だった。
ある井戸のガス噴出はアメリカから技師を呼んで止めたほど猛烈だった。
大音響が一帯にとどろいていた。

その後資源は縮小し、近年メガソーラーに替わった。
同時に人口も昭和50年レベルまで戻った。
この間、バイパス、団地、高速道路、工場などの建設で
閑静な林は切り裂かれ有志の手による海岸の防風林と、
ほかにゴルフ場の一部に残るだけになった。

高度成長の波にぴたりと乗った地域の発展。
写真の家並みもこの間に自然に生まれた。
だがもう二度と過ぎし日の幸運は無いだろう。

昭和62年(1987年)に町制施行30周年を祝っている。
記念に大潟町民憲章が制定されていた。
「たがいに学びあい、文化の高い町にしましょう」
冒頭の一文が美しい。

憲章は今でも心に生きていると思いたい。
私たちは夢を見たのではなく良い経験をしたのだと思う。

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