2015年11月
早々と庭のクリスマスローズが蕾を膨らませている 田を覆う不思議な蜘蛛の糸。
日中は久し振りに暖かな陽が射した11月最後の日。
庭の一隅で落ち葉に覆われたクリスマスローズがもう蕾を膨らませている。
花の名から咲いても良い時期だが、当館の庭は毎年2月下旬~3月頃に開花が始まる。
このところ繰り返された暖かい日が花を急がせたのだろう。
今から咲くと厳しい季節風ですぐに大傷みする。
ああ、もう顔を出してきてしまった。
もっと落ち葉を盛ったり、風や雪をさえぎる手立てを考えなくてはならない。
さて昨秋、田んぼが一面細い蜘蛛の糸に覆われているのを見ました。
本日思い出して田を見ますと、それがあちらこちらにありました。
大抵は何も無い田ですが、何枚かに一枚の割合で糸が一面に掛かっているのです。
日射しに糸が光っています。
急いでいましたので近くで撮影出来ませんした。後日あらためて撮ってみます。
今は虫の時期でもないし、虫を捕れるほどの強さもない細い糸なのです。
昨年は、暖かな日に新天地を求めて小蜘蛛が糸を飛ばして旅立つのか、などと想像しました。
そういう例もあるようなのですが、何故ある田だけ一面に覆われるのでしょう。
何人か農家の人に尋ねてみましたがあまり見た事がない、ということでした。
いずれ晴れた日に、ご一緒などしてお尋ねしてみたい所です。
大阪のお客様 糸魚川市徳合地区でおそば。
本日日曜日、大阪から小山作之助の足跡を訪ねてある女性が樹下美術館へおより下さった。
妻がお会いし、私は所用のため帰り際でしかお目に掛かれなかったが、美しい方だった。
これから作之助の墓と生家を回ると立たれ、来年の卯の花音楽祭は是非訪ねたいと仰った。
遠くからわざわざのお訪ね、心から感謝いたしてます。
さて午後から念願の糸魚川市徳合地区の「古民家で地そばを味わう会」を訪ねた。
立派な毘沙門堂が迎えてくれる。
機会があれば像を拝観してみたい。
おそばは彦右衞門さんのお宅が会場。
黙々とお給仕される女性の赤いエプロンがお似合い。
おそばが来て、いよいよ食事、山の幸満載のご馳走です。
美味しい天ぷらも付きました。
食後は河岸を変えて景徳庵さんで一服。
いろりに畠春斎の穏やかな茶釜が掛かっている。
沢山の資料と共に樹下美術館の絵はがきコーナーがしつらえてあった(大感謝)。
見事な茅葺きの民家。
徳合が20年前から取り組むしだれ桜が見える。
海岸への道中で見られる豪快な砂岩泥岩互層と呼ばれるダイナミックな地層。
ところどころに細い滝が落ちている。
海が近づき、磯部小学校をぐるりと取り巻く石垣、下方の一部は20段近くある。
本廣寺と筒石郵便局の間の狭い坂道。
狭い坂道には詩情がある。
20年前、100年先を考えてしだれ桜の植栽から始まった糸魚川市徳合地区の地域活動。
適材適所の熱心な人材と何事も相談の年月が手応えをもって実っている。
眺めを良くするために要所の杉などのを伐採したという。
本気でなければこんなことは出来ないし、本当の愛郷精神が伝わる。
本日のおそばは最終組に入れて貰っていたが、美味しかった。
皆様さぞお疲れだったことだろう。
このあとすぐ反省会(慰労会でもあろうが本当に反省もするらしい)を始めるという。
数多い各地の地域おこしだが、いざイベント時の主役は客が相当しよう。
(主役には、ならではの張り合いがあるにしても)
主催者が主役で、はしゃぎ過ぎたり上から目線で来られると入りづらくなる。
本日の徳合は皆様一様に自然体で心安らいだ。
この調和は長く真摯な経験のたま物だろう。
〝回り道〟の控えめな名付けも気持ちが伝わった。
筒石へ出る途中の高い「砂岩泥岩互層」の露頭も非常に見応えがあった。
日本海に迫る山々、注ぐ河川と集落群、特異な地形に地質、密かな白山信仰、海彦山彦文化、歴史の起伏、愛郷精神、自然なもてなし、楽しい発見、、、。
一帯に長い可能性を感じた。
モミジの落葉、覆される拙説 愛おしいモミジ葉は赤ちゃんのお手々。
気温はますます下がり本日季節風が吹き荒れた日。
風はこの所の中では一番強かった。
昼カフェに寄り、先日来記載していたモミジの落ち葉を見た。
切れ込み鋭いモミジの葉は一気に遠く行かず、芝生や障害物に絡みしがみついている。
結果として自らの周囲に散らそうとしているように見える。
こんなことからモミジはケヤキなどよりも自己完結的に、自分を中心に栄養するのでは、が私の拙い説だった。
それが本日、芝生の落ち葉はおよそきれいに吹き払われ、一夜にして私の説は覆された。
もとの木からみな離れて行ってしまったのである。
きれいさっぱりとなっていた芝生。
現在の落葉は主に左の株立ちのモミジによって行われている。
本日落ち葉は芝生反対側のクリスマスローズなどに厚く集まっている。
私の説とはむしろ正反対、本日のモミジ葉はことごとく自分以外の各所に配られていました。
これは自己完結型などではなく、むしろ自己犠牲の様相でした。
そもそも落ち葉の分配は最後に風が決める事になるのでしょう。
但し但し、モミジの葉の複数の切れ込みにはやはり意味があると思いたいのです。
通常の季節、モミジは非常に密集して葉が茂ります。
その分明かりを通すように分裂し、また葉がとても薄くなっているように思われます。
一枚が薄い分、散った後はギザギザで絡み合って集まり濃い肥料になる、、、。
〝モミジ葉は皆で手を繋いで眠るため赤ちゃんのお手々になっている〟
いずれにしてもモミジはどこか愛おしい。
毎月伝えられる三ヶ月予報。12,1,2月も暖冬だという。この荒れ模様もそろそろ一段落してもらいたい。
めまいから一週間 木を切ったおばあさん。
めまいのため特養ホームでダウンして一週間が経った。
今ほとんど問題ないが、まだ頭のてっぺんにレコードの回転軸のようなものがかすかに回っているような感じがする。
さて本日来院されたおばあさんは90才が近い。
おぼつかない足取りで片手に杖、片手は手すりにつかまり倅(せがれ)さんが付き添われる。
もういやになっちゃった、どっこいしょっと言ってやっと体が動くんですわ、といつも嘆かれる。
そんな話の後、今日は木を切ったと仰った。
エッ、木!びっくりして聞き返した。
倅さんによれば差し渡し25㎝くらいの太さの木を本当に切ったらしい。
しかもこんな寒い日に。
最後の難しい所と枝きりは倅さんが行ったというが、驚いた。
前から落ち葉がいっぱいで、気になって、気になって。
爺ちゃん、今日は切るでね、と亡くなったおじいさんに告げて始めたという。
のこぎりを使うのは体力が要る。
往々にして途中で押すことも引くことも出来なくなる。
こんなお年よりがのこぎりとは、何よりその執念に驚かされた。
これに較べれば私の体調も日常もどれほどのものでも無いように思われた。
話を聞いた妻は、最後までつきあった倅さんも見事だと言った。
昼食に美術館で食べた果物とピックルスが付いたサーモンのホットサンドウイッチ。
一般には4切れですが、運動不足のため2切れ、700円にしてもらっています。
ポットの紅茶また珈琲付きです。
モミジの落葉は自己完結型? もしかしたら落ち葉は遠くへ行かない?
今日は気温が下がり、空がひゅーっと、海がどーと鳴る強風の日でした。
昨日に続いてモミジの落ち葉でとても恐縮です。
さて午後に寄った美術館ではやはりカフェの前のモミジの落ち葉に目が行く。
カフェに沿った芝生に散ったモミジは北風に吹かれて昨日より南に広がっていた。
しかし強風であるにもかかわらず葉はなぜか大きく移動していない。
見ていると風に吹かれて一つまた一つ、葉が立ったものが飛ばされるが近くに落ちて止まる。
その結果、遠くで吹き溜まることなく一様に分散しているように見える。
遠くへ飛ばないことは一つに雨が、もう一つは芝生のせいもあろう。
目に付いたことに、葉が芝生に刺さるような状態で散乱しているものが多い事だった。
モミジ(楓類)の葉は5裂、7裂などに裂けて先端がとがっている。
さらに長い葉柄が付いているのでよけい芝に刺さる、あるいは引っかかりやすくなっているようだ。
刺さる、引っかかる、あるいは抱きつくように落ちているモミジの葉。
たとえばこれが芝生以外の自然であれば、葉は他の落ち葉や枯れ枝、土塊あるいは草木の幹や茎の中に落ちることだろう。
その中でモミジのように鋭い切れ込みを沢山有しているものは、他(けやきなど)よりも障害物に引っかかりやすく思われる。
その結果さほど遠くへ飛ばず、しかも絡み合って集まりやすいのではないか。
強い風にもかかわらず落ち葉は樹の下で多く重なり合っている。
明日はどうなっているだろう。
そもそも落ち葉は朽ちて自ら木の肥やしになる仕事がある。
もしかしたらモミジは葉を遠く分散させず、もとの木に対する肥料効果を高める戦略を取っているのでは、と想像してみた。
その点、人間で言えば自己完結的なタイプなのか。
居合わせたスタッフに話してみたが、ハー、という低調な反応だった。
こうなるとケヤキやブナなどは落ち葉を広く融通しあい、集団で森全体を支える仕組みをとっているようにも見えてくる。
芝が乾燥した日の強風のモミジや、来季のケヤキの様子も見てみたい。
いよいよ名実とも冬入り、明日は更に冷え込むようです。
樹下美術館のモミジ 胸打たれた「見る人 ジャコメッティと矢内原(やないはら)」。
二日連休だった日が終わる本日は、爽やかな一日だった。
美術館の紅葉は木々によってほぼ順番が決まっている。
いま十数本のモミジのうち最後に残ったカフェの右横にある2本が落葉を始めている。
強い風の日ならどこかへ吹き溜まってしまうが、それほどでなければ満遍なく散る。
昨年のある日、弱い南風で樹下の北側に楕円状に散った。
本日は弱い北風で芝生の半分少々を均等に染めていた。
山本信さん作品の「少女」は庭の四季に溶け込むが、落ち葉にもとてもよく合う。
樹下美術館に馴染み一段と表情が柔和になった。
四季折々に楽しませてくれる樹木、わけてもモミジは新緑から紅葉まで見所を維持する。
ところで木と葉のことを何かに例えてみたい衝動を時々覚えるが、いつも答えが出ない。
葉は私たちで木は人類?それらを網羅して全てを一人DNAが貫いている?
これではまことに味気ない。
「大切なのは土地でもなく風景でもなく、文化や文明の質でもない。大切なのは創造に仕えること、仕事をとおして生成の鼓動をきき取り、世界と一体となることである。大切なのは人間であり、愛であり、中心を目指す方向、極限を生きつらぬくことである。胸にわきのぼるさまざまな思いを反芻しながら、私は涙に曇った眼で車窓が暮れてゆくのを見ていた。」
アルベルト・ジャコメッティの故郷であるスイスの山奥で最後に彼と会った「見る人 ジャコメッティと矢内原」の作者宇佐見英治は日本への帰路の列車で胸詰まらせる。
超人的な芸術家と親しく交流し、そのはるか遠い寒村の故郷で再会した後の別れだった。
私はその人達のことを何も知らないが、高みを生きる芸術家や文学者たちの心情や言葉が突然胸打つことがある。
先日記したみすず書房の「見る人 ジャコメッティと矢内原」をのろのろと読み進み、本日のカフェでようやく90ページ近くへ来た。
上記に抜粋したところでふと目頭が熱くなり本日の区切りにしました。
めまいは日によって波があり、昨日は不安定でしたが今日のほうが良かったです。
牧野富太郎の歌 賑やかに蕾をつけるハクモクレン。
本日新潟市の方が現在上越市で公開中の保阪邸を見学された帰路お寄り下さった。
古美術店を営まれている女性で、かって樹下美術館開業の際などで大変お世話になった。
草花の愛好家で、展示中の陶齋の絵付け陶器を熱心にご覧になった。
そのおり、牧野富太郎の詩歌がお好きだと仰り次の一首を書いて頂いた。
いつまでも生きて仕事にいそしまん また生まれこぬこの世なりせば
富太郎は自ら花の精かもしれないと述懐するほど草花を愛し、94年の生涯を植物学に捧げた。
小学校中退の最終学歴ながら博士号を取得し、ついに文化勲章受章まで受賞した民間出身学者。
1940年に大著「牧野日本植物図鑑」を著し、
〝日本の植物学の父〟と呼ばれた偉人だけあって歌には迫力がある。
もう一度生を受けても同じ道はないと言い切り、現世限りと決めて没頭した研究。
花との心中さえ思うほどの同一化ぶりだったらしい。
花は全てを教える、世の中の人等しく花を愛せば諍いも戦争も起きない。
自分が宗教家だったら花を教義に道を開いただろう、とさえのべています。
現在みられる蕾つきは大変良いのです。
今夏の気候の穏やかさが蕾を賑やかにしていると思われます。
ほかの花々も同じようであればと期待しているところです。
11月も終わらぬうちに来年の話でした。
一昨日に始まっためまい。
これまで多くの方のめまいを診てきましたが、一昨日11月18日私自身が強いめまいに襲われました。
体験を記して余計なご心配をお掛けするのは恐縮ですが、出来事として記してみました。
18日早朝、まだ暗い時刻に突然の強いめまいで目ざめました。
目を開けますと緑、赤、青、黄色、などエアコンのランプが反時計回りに激しく回転していました。
つらくて目を開けていられません。
めったにない右向き姿勢だったのをゆっくり仰向けに直すと再び眠りに落ちました。
さて起床時、頭の角度が上下左右30度ほどで途端にぐらぐらします。
特に用事の多い下向きで症状が誘発されるのです。
靴下などは出来るだけ下を見ないようにして履きました。
仕事も頭を動かさないよう、カルテなどはやや遠くに置いて書きました。
インフルエンザワクチンの方も多く忙しかったのですが、かろうじて午前の診療を終えるとベッドに横たわりました。
問題は午後からでした。
近隣の特養ホームのワクチン接種日。
なんとかなるだろうと出かけ、看護師さんたちにめまいがしていることを告げました。
立って行うベッドや車椅子の方の注射jは下向きが必要です。
始めるとまもなく辛くなりましたので、途中からひざまづくようして、前向きを心がけました。
予診票のサインは机上を避け、壁に紙を付けて行いました。
しかし後半に入るとゆっくり壁が回り出し、足もとが不安定になりました。
最後の方に注射をし終わると猛烈な回転が始まりました。
真っ直ぐになっていることが出来ず、しゃがみ込み必死にベッド柵につかまり目をつむりました。
体が右に飛ばされる感じがして、恐怖を伴い冷や汗がでて気が遠くなりそうでした。
看護師さんたちが集まり車椅子に乗せてくれました。
ひごろ出来れば皆さんを励ましたい自分が真っ青になり瞑目して車椅子で運ばれる。
まだこれはいつか来る日ではないだろう、と思いつつ辛さに耐えるだけでした。
運ばれて寝かされたのは霊安室。
そこは亡くなられた方を安置する部屋兼相談室で、半分ほどにご家族が休む畳が敷かれています。
そっと目を開けますと、法隆寺の夢殿観音と思われる仏像のプリントが見えました。
一瞬ですがいいなあ、と思いました。
部屋で何度も吐き気に襲われました。
一角ににシンクがあり、ペーパータオルが置かれていました。
伝わって近づきタオルを出してビニールカバーの中に吐きました。
間もなくやって来た妻は真っ青な私に驚きましたが、彼女の運転で帰宅しました。
家で我が方の看護師が点滴を刺し抗めまい薬も服用しましたが、めまいと嘔吐は続きました。
わずか5度前後しか頭の位置を変えることができません。
それをこらえて少しずつゆっくり振り幅を増やしてみました。
帰宅して7時間、ようやく左右45度ずつほど向けるようになり眠りにつきました。
昨日と本日はかなり改善され、きつい向きを避ければ仕事も往診も出来ました。
おそらく良性めまい(身体の傾き感覚を司る内耳の三半規管に、隣接する前後左右の加速度測定器官内にある細かな耳石が誤って流入しておこる平衡異常)。
本日一定の頭重感があり午後、念のため病院の脳外科を受診しました。
初めてのMRIで20分間、頭の周りでドードー、ガーガー、ポッポッという音を聞きました。
脳外科に紹介した患者さん達はみなこのような音を我慢して聞いていたのですね。
旧知の脳外科医の診察でした。
お陰様で出血や腫瘍はありませんでした。
ついでながら、目立った皮質の萎縮も無く、認知症にかかわる海馬はまあまあ充実、4年前のドック健診で動脈硬化が予想された左内頸動脈も順調な交通だということが分かりました。
おぼつかない自分の脳でしたが、形態的にひとまず維持されている様子に救いを覚えました。
ひと安心でしたが、もしかしたら伏線に前日の庭仕事があったかもしれない、と勝手に想像しています。
慣れない上向きの剪定作業のあと、強い下向き動作を繰り返し、朽ち木の根っ子をシャベルで掘ったのです。
ぐるぐる周りながらジャンプしてシャベルに飛び乗る。
もしかしたらこんな動作で耳石がずれ、明け方珍しく右向きの姿勢になった時に三半規管に流入したのかもしれません。
様々な方達が経験される激しいめまい。
今回その辛さがよくわかりました。
近時理学療法的な治療やリハビリもあり、治療の様相も変わったやにみえます。
にもかかわらず同じ人が繰り返される事も少なくありません。
最後に、多くの方にお大事に、無理をしないように、と仰って頂きました。
いたわりとして嬉しく思い深く感謝しています。
現在左右とも90度は大丈夫、上下もまあまあになっています。
生活を急に変えるわけにも行きませんが、庭仕事は当面加減し再発しないよう気を付けたいと思っています。
お世話になった皆様本当に有り難うございました。。
この暖かさはエルニーニョ現象だろうか。
暖かですねー、がこのところの挨拶がわりになっていた。
最高気温が18~19度になる日が続き、最低気温も10度を上回った。
本日昼美術館の庭で妻達はチューリップを植え、私は剪定やはびこりの手入れなどをした。
一時間ほどだったが体がほてり汗をかいた。
ところで世界気象機関(WMO)は16日、異常気象をもたらすとされるエルニーニョ現象が年末までに強まり、過去最大規模になるとの見通しを示した、とYahoo!ニュースが知らせていた。
10月のブログで11月から3ヶ月の気象予報とエルニーニョ現象を書いてみましたが、昨今の暖かさは既にそうなってきているのでしょうか。
例年なら冷たく時雨れる荒天の時期を迎えていますが、良ければ良いでこれで大丈夫かな、と思ってしまいます。
去る11月7日に上越市牧区付近で見た桜の開花。
沢山の小型の花が細い枝に咲いていました。
狂い咲ききでなければマメザクラかシキザクラの可能性があるようです。
この時期に桜を見るのは少々頭が混乱しますが、いっとき心は暖まりました。
齋藤尚明さんの作品展。
本日夕刻、上越市本町4丁目の遊心堂さんで開催されている齋藤尚明氏(二代陶齋)の作品展へ行ってきました。
先日掲載致しました冴え冴えとした唐辛子文様の香合やポットなど、やはり目を引きます。
また落ち着いた唐津風のお茶碗や水指も深い味わいを見せていました。
17日までの開催です、お出かけ頂き幸せな出会いをなさってください。
南風の日の落葉。
日中は南気の風が強く吹いた。
この風はフワ-と浮かす感じで葉を散らす。
本日は20度に近づく高温だったため特に乾燥して散った。
診療所のケヤキは昔の国道沿いにあり、こんな日は気がもめる
毎年の落ち葉が皆さんのご迷惑になる事を考えると身が縮む思いだ。
日中の美術館でも大小の落ち葉が大量に舞った。
コナラの葉は大きくてガサガサ言うし、枯れ松葉はへばりつく。
気になっていたスタッフが一度掃いたがすぐまたバーッと降った。
雨になってようやく諦めがついた。
本日午後の妙高連峰。
降水雲に陽が射しているのだろう、明るいカーテン状の雲が下までかかっていた。
明日も暖からしい。
モミジの植栽と歳月。
本日金曜日は日中はずっと高い雲に覆われた。
今夜は少し降って明日日中も曇るらしい。
さて先日モミジの小さな苗2本を移植をしました。
昨年植えたのですが、ほかの木などに近すぎたためでした。
私にはよくあることで、接近のほか日射しが後で問題になって移植ということもありました。
ヤハズススキに飲み込まれそうになっていて別の場所へ移動。
いずれも支柱が細いのですが、とりあえずこれで頑張ってもらうことに。
2011年11月10日に植えたモミジの苗。
背は160㎝くらいでした。
2015年11月10日の上記のモミジ。
4年経って背が倍近くなり木のボリュームが現れはじめました。
年とともに歳月はどんどんスピードアップし、どうにかならないものかと日頃文句を言っています。
但し植栽した樹木(特に雑木類)の成長で言えば、あっという間に大きくなりますので、
目に見える張り合いとしてスピード化にもメリット?があるのかなと、この時ばかりは思うのです。
頸城区の小径で赤とんぼに慕われる。
本日木曜日は爽やかな陽が射した。
休診の午後の車で美術館を出て上越市頸城区上増田に向かう途中で小さな用水に沿った道を見つけた。
右手に橋が見える場所に赤とんぼが沢山居ましたので立ち止まりました。
するとびっくりするようなことが起きたのです。
かって赤とんぼが一、二羽なら肩や頭に止まることはありました。
しかし本日、どうしたことか次々にやってきてズボンに止まったのです。
上はグレーのセーターに黒いベスト、ズボンは白でした。
白は太陽光を強く反射しますので暖かさを求めて集まったのだと思いました。
どちらかというと左足が太陽の方向に向いていたので多く止まったのでしょうか。
それにしましてもあっという間の出来事。
何か自分がトンボの神にでもなったような妙な気持ちになりました。
切りがないのと、遠くで人が見ていましたので止めました。
爽やかな日とはいえ冬の足音が聞こえ始めた季節。
トンボたちは少しでも暖かい場所を求めて夢中だったにちがいありません。
マイナンバー、本当はユアナンバー。
マイシューズ:私が履いている靴。
マイカー:私が乗っている車。
マイハウス:私が住んでいる家。
マイカード:私が使っているカード。
マイフレンド:私がつきあっている人。
言うまでもなくマイの付くものは自分が主体的に望み関係したり所有し用いているものです。
ところで本日私に届けられた「マイナンバー」と呼ばれるものは、国が決め管理し国自治体が用いる「あなたの番号」です。
どうみても「ユアナンバー」以外に呼びようがありません。
日常、自治体が付けた記号、番号で医療保険が浮かびました。
これは私たちが実際に使いますので、マイナンバーと言えるかもしれません。
しかし同じ番号でも本日のものの持ち主は国、しかも当面私たちに用事のないものです。
どこがマイナンバーなのでしょう。
ほとんどの先進諸外国にこのような制度があるという言われ方がされています。
但しこのたびの日本のように多くの項目が一気に網羅照合される国はそう多くはないようです。
しかも果たして外国でそれをマイナンバーなどと呼んでいるのでしょうか。
親が付けた名(マイネーム)なら誇りもありますし、どれだけ使ったことでしょう。
それを横から国がユアナンバーであるマイナンバーだなんて。
むしろちゃんと断って頂き、ありのまま「ユアナンバー」とされるほうがまだ納得出来るかもしれません。
名付けや言葉は文化そのもので、このたびのは特に国のシステムを体現する新たな法制の一般名でした。
それが文法、用法の基礎においてもおかしく、騙されているようでもありなんだか次第に恥ずかしくもなってきました。
本日午後在宅周りの帰路に見た米山と雲。
ずいぶん日が短くなりましたが暖かいので助かります。
胸打たれた東京吹奏楽団名誉指揮者・汐澤安彦氏の記事。
今朝の上越タイムス「首都圏」は一面全て指揮者汐澤安彦氏でした。
音楽界とくに吹奏楽、ウインドオーケストラ界では一種カリスマとなられた汐澤氏。
本日サブタイトル「故郷〝潟町〟に思い出」の紙面をを読んで思わず目頭が熱くなりました。
本日の上越タイムス「首都圏」紙面から〝世界の舞台で指揮〟の汐澤安彦氏の記事。
私の小中学生時代、汐澤安彦さんは飯吉靖彦の本名でおられました。
当時の潟町中学校(現大潟町中学校)は器楽演奏が盛んで、
特に3つ上の周囲の先輩たちは揃って楽器を演奏されました。
大昔から通っているお向かいの床屋さんのご主人は小太鼓、お隣だったMさんはコルネット、Yさんはピッコロだったようです。
中で何と言ってもスターは飯吉靖彦さんでした。
色白でハンサム、学生服が似合う優しい雰囲気の中学生でした。
部員は一目置くばかりでなく、そろって彼を自慢しました。
楽器はピアノ、吹奏楽の舞台でもピアノが置かれ飯吉さんが座りました。
当時我が家に姉が弾くためのピアノがきたばかりでした。
すると時々飯吉さんがやってきて演奏したのです。
人の家だからでしょう、遠慮がちに始まるピアノは、どんどん熱気を帯びて聴くものを引き込みました。
演奏はいつも近所の部員たちが聴きたくて、また聴かせたくて、安彦さんを連れてきて始まるという風でした。
アルプスの夕映え、トルコ行進曲、子犬のワルツ、、、。
いつしか氏の足は途切れましたが、高校進学(直江津高等学校)が契機だったようです。
(当時、直江津高校から前後7年も続け東京芸術大学への進学者があったそうです)
また近所の音楽仲間の進学事情もあったにちがいありません。
時経て東京芸大を卒業後、発足時の読売日本交響楽団のトロンボーン奏者としてデビュー。
その後の斎藤秀雄氏との貴重な出会い、指揮への決心など本日の紙面で知り深く胸打たれました。
そして何より氏が7年住んだ潟町村(現上越市大潟区)が本当の故郷という言葉に感動させられました。
深かったため早く泳ぎを覚えた広い海、沢山の思い出は尽きないと述べられています。
出来れば私の家でピアノを弾かれた事も覚えいてくだされば、、、、。
最近の汐澤氏指揮「SIOフィルドリームコンサート2015」からハイライト。
バーンズ/アルヴァマー序曲 など(2015年10月16日 東京芸術劇場)。
今日沢山のお弟子さんを育て慕われる東京吹奏楽団名誉指揮者、東京音楽大学名誉教授・汐澤安彦氏。
記事「首都圏」は故郷を応援するシリーズです。
氏が慕いエールを送るに相応しい故郷でありたい、と心から願うばかりです。
不肖自分もまだまだ頑張らなくてはと思いました。
上越市安塚区小黒(こぐろ)の銀杏。
本日月曜日は湿気があり暖かめの一日。
現在インフルエンザワクチンの接種がピークを迎えつつあります。
「また来ました」
10数年、毎年今頃になるとワクチンを受けに来られる方たちは、冬に訪れる渡り鳥のようです。
今年はワクチン化されるウイルスの株数が3→4に増えました。
これまでは、接種されても高熱で発症されるお子さんたちが見られましたが、今年はそのようなケースが減ることを期待したいと思います。
一昨日走りました国道405号が良かったので、昨日もう一度安塚区小黒まで行きました。
写真は昨日見たあるお宅の作業小屋に並ぶ美しい銀杏の黄葉です。
枝の張りだしが少なくスリムですが、大変背の高い樹でした。
お年寄りが菜を洗っていらっしゃって、冬を迎える前の静かな里のひと時でした。
今夕のおかず 昨日午後の旧東頸城地域のちょっぴりドライブ。
本日日曜日は比較的暖かく時折降った。
そんな日の夕食に野菜の揚げ物と揚げ豆腐が出ました。
お豆腐と野菜は主に昨日日中に走った国道405号線の道中で求めたものでした。
実は昨日、頸城区の樹下美術館を出て→浦川原区→安塚区から牧区を車で回りました。
午後4時からのブドウ・ワイン学会の特別講演はその後に参加したのです。
つまり上越教育大学の講堂へ行くのに、ぐるっと旧東頸城地域の里々を回って行ったことになります。
写真の夕食のおかずは以下のようなちょっぴりドライブ(とても小さな旅?)で偶然に求めました。
浦川原区で見たお宅の長い石垣。
道に沿って美しいカーブを描いていました。
安塚区小黒地区にある称専寺のダイナミックな石垣。
ここに名刹専敬寺ほか4寺が隣り合っているのです。
後ろ髪引かれる思いで後にしました。
寺を過ぎてすぐの坂道でお豆腐屋さんの車に出会いました。
道沿いの商店に届けに寄られたようでした。
お豆腐屋さんの荷台。
お揚げはありませんので、家で揚げて下さいと仰いました。
おまけにオカラを頂きました。
牧区に入っていると思いましたが、途中の無人野菜売り場。
「あねやん達の腕自慢 もったいない市」。
看板の手作り感もとても良かったのです。
途中に廃屋と思われる家屋の庭がありました。
路傍に美しいアジサイの枯れ花と紅葉があり、少し頂きました。
あねやんの無人店で求めた野菜。
町のおよそ半値だったそうです。
さて、あちらこちらを寄り道して2時間ほどの運転でした。
にもかかわらず、先々で出会う様々な表情の石垣や民家とお寺、紅葉の山、そしてお豆腐屋さんに無人市場。
晩秋の旧東頸城(私には今でもこの呼び名が馴染みます)の里を巡る道中は何とも心和みました。
今夕の食卓に野菜の一部が乗りましたが、美味しくてこんな贅沢はない、と妻が呟きました。
2015年日本ブドウ・ワイン学会特別講演「ワイン葡萄の父・川上善兵衛」を聴いて。
2015年日本ブドウ・ワイン学会(会長松本信彦)が上越市の上越教育大学を会場に昨日から開催されていました。
当地岩の原葡萄園の社長・棚橋博史氏が実行委員長です。
10のポスターセッション、12の口演発表がありました。
初日のセミナーセッション「発酵の町 上越」を武蔵野酒造 小林元氏が話されていました。
そして本日学会の最後を飾る特別講演「ワイン葡萄の父・川上善兵衛」を上越市北城町の桑原圭司氏がされました。
氏は自然科学と愛郷と起業の先人、岩の原葡萄園を拓いた川上善兵衛の研究家です。
善兵衛に関する事がらなら遺伝学からその生涯の詳細まで膨大な蔵書、資料をお持ちで、本日の講演が期待されました。
横浜国立大学ご出身、高田北城高等学校の生物学の教師を始め長く教育に奉職された桑原先生。
かたわら日本水泳連盟の役員として長岡市から中村真衣選手を育てられています。
詳細なスライドが駆使された本日のお話は自然科学者としての善兵衛の神髄に迫る名講演でした。
明治中頃から始め大正時代には、いち早く厳格なメンデルの法則に則った膨大な交配作業へ挑戦。
途方もない失敗の中から生まれた今日のマスカット・べーリーAやレッド・ミレリンニウム、ローズ・シオタ-など宝石のようなぶどうたち。
善兵衛の道に、失敗を杖とて挑戦された先般のノーベル賞受賞者大村智先生のイメージが重なりました。
そして上越市内高士小学校で行われている「善兵衛学習」におけるぶどう栽培や品種改良の紹介も胸熱くなったのです。
偉大な先人の評価をいっそう新たなものにした記念すべき講演を聴くことができて幸運でした。
〝上越地域には郵便の父・前島密、音楽教育の母・小山作之助、そしてワイン醸造の父・川上善兵衛、酒の博士・坂口謹一郎など素晴らしい先人たちがいる〟
45分の講演を終えてお会いした先生は、貴重な学芸の素地を有している上越をもっと誇りたいと、心込めて仰いました。
立派に学会を開催された棚橋実行委員長に心から敬意を申し上げます。
ジャコメッティの「早く明日になればよい」 倉石隆の言及。
良いお天気が続いていましたが、明日からしばらく
ぐづつくようです。
昨日は「早く明日になればよい」というアルベルト・
ジャコメッティの呟きを書きました。
同じ言葉でももしも私なら、楽しい予定を待ちきれ
ないでいる幸福なつぶやきでしょう。
しかし「見る人」のジャコメッティでは、およそ以下
のように書かれていました。
彼はモデルを前にして言います。
「千年、きみがそこにいるかのように仕事をしなけ
ればならない」と。
そして絶え間なく仕事を思い一分も待ちきれずに
仕事に掛かっていたそうです。
膨大な仕事量は多才や量産を誇示するものではなく、
失敗を繰りかえすことによって、少しでも真実に近づ
くことを願っていた、という事でした。
トイレに行く時間も寝る時間も惜しむ生活の中で、仕
事を中断してアトリエを離れたとき、仕事を続けたい
一念から思わず呟いた言葉が、「早く明日になれば
よい」だったのです。
寝るヒマがあるくらいなら仕事をしていたい。
今日以上の仕事をしたい待ち切れない明日、、、。
ジャコメッティの明日は、さらに真実に近づくための
明日だったことになります。
そんな生活で、あるモデルを写そうと製作を続けた
時のこと。
似せれば似せるほど像は小さくなり、ついに石膏が
米粒よりも小さくなって消滅した、そうです。
これは笑い話ではなく、人間の事実を写そうとすれ
ばあり得ることかもしれません。
樹下美術館のわが倉石隆(当時56才)は「戦後美
術の流れの中で 座談会Ⅲ 幻想とは」(主体美
術1972年)に於いて、尊敬するレンブラントと
ともにジャコメッティに言及して次のように述べて
います。
「幻想という事を僕なりにとらえるとすれば、ジャコメ
ッティの消えそうな形の中に大きな宇宙を感じたり、
レンブラントの顔のしわの中にも小さな宇宙があって、
そういうふうにものが実在するという感じがなまなまし
い程何か神秘的で幻想的なんだなあ」。
本日の「見る人」は40ページまででした。
Yahoo!の時計は間もなくひと月ですが、ほぼ
正確に動いています。
もう一冊あったみすず書房 アルベルト・ジャコメッティの「早く明日になればよい」。
一昨日、みすず飴のお土産からみすず書房へ、そし
て身の回りの信州あれこれをほんの思いつくまま書
かせて頂きました。
ところがもう一冊みすず書房の本がある事に気づき
ました。
自分がいつも座っている机の脇の書棚でした。
本は宇佐見英治著 ジャコメッティと矢内原1999年
9月10日発行。
手の届く所には、いつか読もうと思って置いたままの
本が結構あるのですね。
本日午後高田に用事があり、その本を持参しました。
県立看護大学前の桜の植栽。
高田公園もここも美しい桜の紅葉と落ち葉が見られました。
彫刻家アルフレッド・ジャコメッティは細長い人物の作品
で有名です。
,彫刻としてぎりぎり、針金のように細い人物像は,人間の
不条理を現していると、ピカソやサルトルを驚愕させまし
た。
樹下美術館の倉石隆も影響を受けたジャコメッティ、死
後ますます異常な人気芸術家なのです。
高田の用事の待ち時間に20数ページの読書でしたが、
本で興味深い言葉に出会いました。
ジャコメッティはある時次のように述べたそうです。
「私は千年生きたい」、「せめて五百年でもいい、五百年生
きられたら、相当の進歩ができるだろう」と。
さらに「早く明日になればよい」と呟いたと書かれていまし
た。
著者は〝こんなに明るいため息があるだろうか〟と感嘆し
ています。
私は読んでいて、この一言に飛び上がるほどびっくりしま
した。
「ああ、早く明日がこないかなー」と以前、孫が突然呟いた
のと同じだったからです。
孫は母親と交わしたゲームを買う約束を待ちきれなくて
言いました。
もしも大昔の私なら、憧れた人とのデートの前日などに
つぶやいたかもしれません。
しかし、ジャコメッティは自分たちと全く異なる意味で、
明日が待ちきれないと言ったようなのです。
さて、もう日付が変わりますので、ここまでにしました。
「みすず飴」から「翁飴」、「ぼたもち石」「みすず書房」「信越放送」「信濃毎日新聞」「信越化学」など身近な長野県。
先日妻が友人達と信州へ行ってきました。
お土産は懐かし「みすず飴」。
この飴は上越市高田の「翁飴(おきなあめ」をヒントにアレンジして創られたとありました。
お土産としてよく食べましたが異なる果物味、カラフルな包装紙、オブラートの食感などとても好きです。
先日の「ぼたもち石文化圏?」に続き、
お菓子でも100年さかのぼって、信州と越後の上越地方で交流があったことを知り、なんだか嬉しくなりました。
さて長野県(というより信州、あるいは信濃の国)の枕言葉は〝みすずかる(刈る)〟
〝みすず〟で思い出すのは「みすず書房」です。
自分には30代半ばから40代でかなり事情の苦しい時代がありました。
一日一日がとても辛かったのですが、基礎から勉強してみようと思い読書に挑戦しました。
漱石の全集を繰り返しながら人間、社会、自然、生命などの本を苦労して読みました。
この数日「みすず飴」を食べながら、今は懐かしい「みすず書房」を思い出していました。
様々な本の中で、みすず書房のものは難解でしたがどこか品が感じられていました。
本日文化の日、普段近寄らない昔の書棚でそれらを探してみました。
書棚からピックアップしたみすず書房の本。
5.6冊かなと思いましたがもう少しありました。
線がいっぱい引いてあり、それなりに一生懸命読んだようです。
中にチェコスロバキア出身の著名な作家ミラン・クンデラの翻訳本「冗談(1970年版)」が見られます。
訳者の関根日出男氏は長野県出身、私の義兄で耳鼻科医です。
(冗談は2002年、同じ訳者らによる新訳版がみすず書房から出版されています)
みすず書房の創設者はその名からおのずと長野県の人ですね。
そもそも国内の出版人で突出して多いのが長野県人。
岩波書店や三省堂、筑摩書房の創始者など主だった人が60人にも及ぶそうです。
さて何かと長野県の話題になりますが、忘れられないものに「信濃毎日新聞」と「信越放送」があります。
いずれも私の小中学校時代から当地で親しまれ、「信濃毎日新聞」は一種ブームにもなりました。
信越放送は長野県の会社ながら同じ電波圏である上越地方からの出資者も多かったため、
信濃放送ではなく「信越放送」になったといいます。
大都市以外の民間ラジオ局として最も早い開局だったという信越放送。
小中時代に作った鉱石ラジオやトランジスタジオでもよく聞こえました。
同局は長野県の株式会社「信越化学工業」の系列会社です。
たまたま樹下美術館は同会社の半導体部門と向かい合って建っています。
ぼたもち石からお菓子、出版、情報、半導体、ほかに金融からりんご売りそして仕事に嫁さんの往き来まで、
文化の日は、かなり異なる地勢風土の長野県との関係深さに思いを馳せてみた次第です。
今後新幹線の開業で首都圏や北陸との交流がさらに深まり、上越地域がもっと賑やかになることに期待している所です。
貴重な好天 齋藤尚明(二代陶齋)さんの唐辛子香盒。
予報を覆して本日は朝から良く晴れました。
お天気のせいか地元の方々、柏崎のお茶人たち、
夕刻には東京に居る娘の上司のご家族までお寄りくださって皆様に感謝しています。
さて里は紅葉の盛りですが、畑でもモミジに負けず真っ赤っ赤な唐辛子類が見られています。
ところで先日、斎藤尚明さん(二代陶齋)にお願いしていた香盒(香合:こうごう)が届きました。
唐辛子を藁でくくった文様は初代も得意とした図柄です。
滑らかな白磁に図の分量、配置、色、みな良い器でした。
(香盒:お茶会の前に予め炭火とともにお香を炊いて茶室を清めますが、香盒はそのお香を入れる器です。小さな茶道具ですが、使用後も茶室内に飾られるなど注目度の高い器の一つです)
先代をしのぐ出来映え、秋のお茶で是非使ってみたい香盒です。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
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- 1本の木にキンカンとカラタチの実が。
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- 明日からジョケラさんの展示会 高宮あけみ展のご来館有り難うございました。
- 別れ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その2。
- 講演会「良寛さんに学ぶ」が無事終了した。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その1。
- 来たる11月7日からラッセル・ジョケラさんの展示会 晩秋の花 近隣のコハクチョウ
- 先週末の種々。
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- 信州は須坂で江戸時代の料理を食べる 満月、私達の奇跡。
- 失った1枚 栗。
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