2015年8月
雨がちの今夏最後の日、二つの出会い。
日中曇り時々雨だった8月最後の日、二つ出会いがあった。
一つは午前の診療で、お母さんに付いて顔をだされた帰省中の娘さん。
私が開業した昭和50年代はまだ小中学生だった。
本日母と一緒に行って小生に会ってみたいと仰ったらしい。
お母さんの診察が終わると、カーテンの陰から出てこられた。
すらりとして丸顔の美人さんは、子どもの頃と同じにこやかな目をしている。
品川区に住んでいて、私が通った大学と病院もよく知っていると仰った。
上越で暮らしているいま、若き日に15年間通った品川の話を聞くと懐かしさがこみ上げる。
変わらないですねと言っていただき、近頃自分はこの言葉に弱い。
話から立派な方と結婚し熱心な子育てをされ、幸せに暮らしているようだ。
私も頑張ろうという気持ちになった。
学生時代、しばしばラジオから流れていたビートルズの「And I Love Her」
アコースティックなサウンドが親しめ、歌詞もメロディも優しい。
比較的単調な曲は、間奏から半音高く転調して引き締まる。
次に午後から美術館で陶齋の作品を熱心にご覧になる若いカップルさんにお会いした。
色使いが九谷風ですね、男性がズバリと仰った。
詳しい訳で、石川県から来られたということだった。
陶齋の師・富本憲吉は昭和10年代、色絵磁器習得のため石川県へ、九谷焼の北出塔次郎の許へ通っている。
その時代を師とともにした陶齋は当然同道したと考えられ、強く九谷焼の影響を受けたはずである。
現在展示中の、齋藤三郎作「色絵色紙芍薬文鉢(いろえしきししゃくやくもんばち)」
緑の地色、赤、黄色に九谷焼きの風合い。 昭和20年代後半 幅29,0㎝。
作品に字も入れてるのですね、と陶齋の文字にも興味を示された。
落ち着いた雰囲気から、もしかしたら九谷焼きの作家さんかなと思った。
先日自分は北陸を訪ね、九谷焼美術館を見てきたばかりです、とお話させて頂いた。
陶齋を飾れて幸せに感じた。
空き地のタカサゴユリ 庭の難しさ。
同じような調子で日中雨が降り続いた日曜日。
住宅団地の空き地にタカサゴユリが咲いていて驚いた。
雨の中、数本の花は周囲の草ととても良く調和していた。
そもそもタカサゴユリは空き地に自生しないと考えられる。
かっての庭のあるじが植えたものが残ったのか。
樹下美術館の庭も色々植えているが、折々に除草し肥料をくべてかなり人工的に育てている。
できればこのように自然な感じにしたい所だが、雑草に負けて消滅しそうなので中々できない。
タカサゴユリの土地の持ち主は花をよくご存知で、夏期の草刈りなどほど良い手入れをされているのかもしれない。
私にとって庭の花と草は難しい課題。
美しいカワラヒワの羽を拾った。
日中の山にむくむくと夏雲が出ていたが、夕刻から曇り空へ夜は雨になった。
昼過ぎ美術館のベンチの近くで鳥の羽を1枚見つけた。
黄色と黒のとても美しい羽だった。
昨今途方もないお金を掛けたプロジェクトのデザインが何かとすっきりしない。
較べて一羽の小鳥の羽の形状が、こんなに素朴で洗練されているとは。
それが空飛ぶ装置の一部とは。
傷みがなく、一本だけだったので襲われたのではなかったかもしれないが、どうしたのだろう。
庭のりズム 当館のホームページやブログをご覧になって来館される方々に感謝
本日お客様と庭の話をして以下のようなことを感じた。
今時は花が少なく休みの庭。
それから燃える秋を挟んで春までは眠る庭。
庭はゆったりした呼吸のようなリズムを有している。
ひと休みしている最近の庭。
それはそれで一種落ち着きが感じられる。
裏手のデッキから見える水田は日ごとに色づいて行く。
田んぼは当館の広大な借景です。
本日午後、新潟市からと埼玉県からのお客様にお会いした。
埼玉県の方は旅先の案内として当館のホームページをご覧になり、
新潟市の方は普段当ブログを見てくださり、このたび初めて訪ねたと仰った。
細々とした当館のホームページや拙ブログをご覧になって来館される方々は大変貴重で、いつも感謝しています。
新潟市のお二人は来館前に二代陶齋(斎藤尚明氏)の工房を訪ねたと仰り、とても幸せそうでした。
活躍する中学生選手たち 今年の雀。
昨夜鈴虫の声が聞こえ、蝉たちは夏の終わりを惜しみあっている。
季節は着々と秋の仕度をしている。
気がかりだった台風15号は日本海で消滅してしまって助かった。
雨上がりの庭で、今夜も鈴虫が鳴き始めた。
本日台風一過の爽やかな空を期待したが、曇りがちで朝夕は雨が見られた。
午後、施設出務の帰りに寄った美術館のカフェで、おばあちゃんと一緒の中学生の女子生徒さんにお会いした。
おばあちゃんが当館のお抹茶が美味しかったと話すと、自分も行ってみたいということで実現したらしい。
とても美味しそうにお茶とお菓子を頂く様子だった。
その折り生徒さんが剣道の選手と聞いてびっくりした。
絵本の挿絵のように可愛い女子なのに先日、日本武道館の全国大会に出場し、
別の選手権では新潟県の団体戦で優勝したという。
忙しい夏休みで溜まっていた宿題は三日でさっさと終わらせたらしい。
絵が残っているのでは、と親が心配したところ、
「冬休みのうちに1枚描いておいた」
とちゃっかり顔で答えたという、何という計画性だろう。
近隣に有望なスポーツ選手たちがいることはとても素晴らしい。
小生の母校中学校の女子陸上リレー選手たちは全日本中学選手権に出場して見事に決勝進出を果たした。
また同校の女子テニス選手は先日、全日本ジュニア選手権14才以下ダブルスで優勝している。
私が知らないだけで、当地には大勢の生徒さんがそれぞれの分野で頑張っているにちがいない。
部活、スポーツをする人は学習も能率良くする。
明るい未来に向かってどうか思う存分活躍してください。
在宅訪問で出会った雀の群。
あちらこちらで見かける群は例年より個体数が多いように見受けられる。
順調な夏だったためだろうか、その通りであればと願っている。
台風が関係する奇妙で絵画的な雲。
現在22時半ころ、台風15号は島根県沖を北へ向かっている模様。
本日の空に台風の接近の影響と思われる雲が見られた。
およそ台風の前後あるいは通過する場合しばしば変わった雲が見られる。
くっきりした輪郭、とろりとした一様な濃さ、奇妙な形状などのことである。
それらに、全てではないが絵の具で描いたような一種絵画的、時には物語的な印象を受ける。
本日、上越市大潟区の水田から見て西は、妙高連峰の方角に以下のような雲が見られた。
12時半ころのモノトーンに近い一様な雲。
様々な濃淡で何層か帯状に別れ、風向きに従って南北に連なっていた。
18時過ぎ。
白と黒の一様かつ輪郭が明瞭でにょろにょろと這うような雲。
くっきりしているためか、それぞれの雲の遠近や上下の区別が判然とせず、絵画のように感じられる。
18時40分頃。
上掲の40分後大きなウナギのような形の雲が横たわっていた。
台風が関係すると主に風の影響であろう、帯状、レンズ状、層状などで明瞭な輪郭の雲がみられる。
性質?もミルクのように緻密で滑らかな感じがする。
但し、同じく強風でも台風以外の場合、綿のようにふわふわした形のまま飛んで行く雲も希ではない、、、。
なぜ台風はさほど強風でない時間でも、しばしば絵画的で物語的で、奇妙な形になるのだろう。
台風の空を見ていると、次元が変化したような不思議な感覚をおぼえることがある。
明日はかなり遠ざかるようだ。
今のところ当地域に大きな被害は報じられていないが、どんな雲が見られるのだろう。
「手は難しい」と言った倉石隆の手 その3不安定な心の表れ。
「手は難しい」と言った倉石隆の手 で二回の記載を行いました。
一回目は雑音を避けるように、あえて手を描かない人物画。
二回目は動作の手と心理や感情など心が表れている手の作品を取り上げました。
色々ご意見はあろうと思いますが、本日は三回目最終です。
ここでは正面像にも拘わらず手の位置が不揃いだったり、その仕草に不安定さが見られる作品三点を眺めてみました。
倉石隆おなじみの油彩 「黄昏のピエロ」です。
まず細い身体と戸惑ったような目が印象的です。
か細い指をした手の高さが大きくずれています。
テントからの距離、細い体と頼りなげな手は拠り所のない孤独なピエロの心を伝えています。
「「(みつめる)」と同じように暖色系の色使いが、人物を優しく包んでいます。
今春入ったばかりの油彩 「男の像」です。
黄昏のピエロと異なり、はち切れんばかりの異常に大きな身体です。
較べて手と顔は極めて小さく描かれ、顔の表情はいらいら落ち着きません。
一応組まれている手にも同じようにに焦燥感が表れています。
新たなステップへの意欲と現実の狭間で、大きな体を持てあましている作者自身を描いています。
倉石隆 油彩「ネグリジェ」
寝間着を脱ごうと服をずらした少女は細い身体をしています。
両手の位置は「黄昏のピエロ」と同じく高さが揃いません。
ぎくしゃくと左右異なる指のポーズから、緊張と不安が伝わります。
若い娘さんはモデルになるのが初体験だったのでしょうか。
何か可哀想で、見るほうもドキドキと緊張させられます。
さて三回にわたって倉石隆の人物画を、特に手に注目して見てみました。
〝手は口ほどにものを言い〟ではありませんが、氏の手には様々な表情が見られました。
実際手と指は顔にも劣らず大きく、二つもあり如実に動きます。
「手は難しい」
手は内部にある心を反映し、時には増幅するなど敏感な身体部分にちがいありません。
内省と観察の人物画家、倉石隆にとってそれは心と同様無視できない重要な器官だったのでしょう。
現在、樹下美術館では「倉石隆の男性」と銘打って老若の人物画を9点展示しています。
それぞれに、穏やかさ、無心、空腹、おどけ、困惑、寂寥、焦燥などが描かれています。
このたびの「(みつめる)」、「黄昏のピエロ」、「男の像」も展示していますので、どうぞご覧下さい。
「手は難しい」と言った倉石隆の手 その2動作の手 心の手。
倉石隆の手に関連して前回は、手が描かれていない人物画を取り上げました。
本日の以下の二枚は1945から50年まで、戦後高田に復員していた困窮時代に書類や座右の半紙に描かれた素描です。
動作に関連したもので、構図が良く手のエッセンスが素早く描かれています。
このように熟達した描写力の倉石氏が「手は難しい」といいます。
次は動作をしていない人物(肖像など)で、表情のある手を見てみました。
いずれも1950年に上京し、画家としての地位を築いて行った時代の作品です。
倉石隆 素描 「(若い女性の像)」
重ねられるように組まれている手から、穏やかな感情が伝わります。
ダ・ヴィンチの「モナリザ」は椅子の肘掛けに片手を掛けていますが、この女性も似たような手の組み方をしています。
倉石隆 油彩 「愁」
固く組まれた手に愁いの強い思いが込められているようです。
最後に上の2枚と較べて、一種心の不安定さが手に感じられる作品を挙げてみました。
倉石隆 油彩 「(みつめる)」
顔と同じくらいの大きさで描かれている手が気になります。
しかも離れた両手の高さが異なり、不均衡さが人物の心理に動きを与えています。
やや固い表情とともに、この手は一種不安定な気分を伝えようとしているようです。
但し、着衣の深い暖色と、首回りの引き締まった黒が絵画としての安定感を際立たせていると思われますが、如何でしょう。
モデルは作者自身ということですが、「(みつめる)」は私の好きな作品です。
1枚の無言の人物に込めなければならない心理や感情。
それが人物の困惑や不安で、しかも手でも表現を試みるのは、確かに難しいことでしょう。
心は文字や言葉にするさえ難しいのですから、倉石氏は手を何度も描いては消し、消しては描いたにちがいありません。
次回は「(みつめる)」と同じように、安定していると言いがたい心が手に表れている作品を幾つかご紹介したいと思います。
※括弧で書かれた作品タイトルはオリジナルのものが無いため、
「新潟市美術館企画展示図録 郷土の作家シリーズ 倉石隆展 1995年9月14日発行」の記載に依り、また一部は私が個人的に仮題としてつけました。
「手は難しい」と言った倉石隆の手 その1手が描かれていない作品。
過日美術館を見るという宿題の中学生とお会いした事を書かせて頂いた。
そのおり、〝倉石隆の人物作品は幾分ややこしい。
この画家には美術=美しい、楽しい、という図式と異なる部分があるからであり、
人間の孤独や不安、迷いやあせりなど弱い所へもしっかり目を向けた人〟など話をさせて頂いた。
さて、その倉石氏は生前「手は難しい」述べていたことを夫人からお聞きしたことがある。
デッサンの名人であり、太平洋美術学校時代は毎年デッサン賞に輝いた氏。
氏は後年「僕はデッサンをやり過ぎた」とまで述懐している。
なぜその人が「手は難しい」と述べたのだろう。
氏にとって手だけ描くのであれば、おそらく造作のないことだったろう。
仮に読書、演奏、絵画制作など「何かをしている」人物であればそれに合わせた手のポーズを描けば良い。
だが何もしていない人物画(肖像画も含めて)における手の扱いはどうすればいいのだろうか。
美しく描かない画家、倉石隆にとって重要なのはモデルの心理、感情、時には人物の歴史や物語でもあったはず。
顔や目は時間を掛ければ何とか描ける。
しかし手の心理、感情表現となると解剖図などに当然なく、描法もないl。
心理学で探すか、他者を詳細に観察するか自分を見るしかない。
正確に行おうとすれば、確かに難しい課題である。
このたび数回にわたって倉石隆の手について書いてみたい。
本日はまず手が描かれていない作品から二点掲載してみました。
何故手を描かなかったのだろう、と幾分の疑問を覚える作品である。
だが作者は作品に余計な心理感情を交えず、ただその人らしさを描きたかった、と考えてみた。
そのため手を描くことで生ずる雑音をあえて避けたのだろうと思われる。
倉石隆が終生心の師と仰いだという、レンブラントにも手が描かれていない自画像は多い。
次回は穏やかな手が描かれた作品に触れてみたい。
さらに先では困惑や混乱の心理、感情が手に表れていると考えられる作品について記載してみたいと思います。
晩夏の紅、ミゾハギ。
雲の多い日でした。
このところ予報が微妙にずれ気味のことがあり、秋が近づいている証拠でしょうか。
現在樹下美術館の庭では、昨年二カ所に植えたミゾハギが一カ所だけ育ち、花を咲かせています。
庭はムクゲが終わるころとなり、紅白のカノコユリとこのミゾハギが少々残っているだけ。
夏枯れ、あるいは一休みといった風情で、それも悪くないと観念しています。
沼地へ行きますと何十本とまとまってこの花が咲いています。
お盆の頃に咲きますので「盆花」と昔から聞いていました。
当館ももっと増やしたいと考えています。
雨雲たれこめる関川大橋の眺め。
運転で何度も何度も渡っている橋。
比較的大きな橋のうち、
関川大橋はこれまで最も多く渡った橋ではないだろうか。
往復何百回、いや何千回かもしれない。
本日直江津に所用があり、ふと歩いてみたくなって車を置いて橋の歩道を往復した。
車ならあっという間に渡り終える橋は、感じていた何倍もの長さがあった。
地図で見ると300メートル余はあるらしい。
雨で水かさを増した河はゆったりと横たわり、雨雲の下、謙信公大橋や南葉山を両岸に並べて広く美しい眺めだった。
満々と水を湛えた関川。
左に謙信公大橋、右に低い雲がかかる南葉山、本日妙高山は見えなかった。
河岸を散歩する人をよく見るが、さぞかし気持ちが良いことだろう。
本日西日本や関東で大雨があり、当地も午後から夜にかけていっとき強く降った。
予報では明日も雨ですが、その後再び晴天となり、暑さが戻るようです。
美術館が宿題の中学生 実る水田。
蒸し暑さが戻った午後、熱心に絵をご覧になっていた家族にお会いした。
帰省中の方達で、長岡市の中学二年生のお嬢さんが混じっていた。
彼女の夏休みの宿題に美術館へ行く課題があったという。
「樹下美術館は小さいですから、宿題向きかもしれませんね」と話すと、
緊張ぎみだったお顔に笑み浮かんだ。
ただ倉石隆の人物作品は幾分ややこしい。
美術=美しい、楽しい、という図式と異なる部分があるからだ。
「この画家は、人間の孤独や不安、迷いやあせりなど弱い部分もしっかり目を向けた人」
として現在架かっている、「めし」「黄昏のピエロ」「見つめる」「男の像」などを少し説明させて頂いた。
大きな瞳を開いて熱心に聞いて頂いた。
大人達がカフェに降りた後も一人で展示場に残っていた、と後でお聞きした。
さてお盆も終わり、周囲の水田は急速に色を濃くし、穀物のかおりが立ち始めている。
そんな田んぼに連日雀たちがやってくる。
集団でさえずり、何かの拍子に田から近くの木に一斉に移ると、また田に降りる。
乾燥して固くなる前の今頃の稲穂は柔らかくて甘く、雀の大好物らしい。
喜びいっぱいの雀。
厳しい秋冬に向かって食べれるだけ食べる。
農家の方、申し分けありません、きっと害虫なども食べていると思われます。
夕刻の田んぼ。場所によってかなり色づいている。
びっしりと実った穂は大きく重そうで、素人の私ですが豊作を期待してしまいます。
年によって毎週のようにやってくる台風が一休みしている。
これだけの実りが台無しにならないよう、お願いしたい。
本日終戦70周年。
本日終戦70周年の日。
昭和17年2月1日誕生の私は満州生まれ。
二つ上の姉も、一つ下の弟も三つ下の弟もみな満州で生まれた。
ある時期までいつか訪ねてみたいと思っていた中国だったが、
不思議なことに働くようになって、あるいは結婚すると全く里心を失った。
終戦の時、三歳半の自分に残ったのは記憶というほど高尚なものではなく、夢か幻に近い。
その中の一つに次のようなものがある。
5才の姉と私(もしかしたら一つ下の弟も居たのか?)は街を歩いていた。
通りは見た事がないほど祝祭的で人々は恐ろしいほど興奮していた。
その街中で、「早く、早く」と姉にせかされて家へ急いだ。
手をつないでいたのか、必死の姉をすぐそばに感じていた。
長く脳裏にあるこの場面は、満州における終戦の日ではなかったかと思っている。
そうであれば、父母はすでに厳しい帰還(引き揚げ)の準備で精一杯だったにちがいない。
戸外の騒ぎを見たい私たちは、親の目を盗んで外へ出たのか。
だが途中で、敗戦国民である自分たちの危険を感じた姉は慌てて帰ることを促した?
帰国後母は大陸の食べ物や、ちょっとした中国語を話してみせたが、父は満州を一切語らなかった。
縁者の大戦犠牲者はレイテ島に於ける母の弟がいる。
あるいは思想えん罪事件として、凄惨な拷問の果てに亡くなった無実の叔父も戦争犠牲者だ。
そして往診や訪問の行く先々でどれだけ戦死者の遺影を見たことだろう。
歳月が過ぎて関係者は黙っているが、今なを悲惨な死を遂げた当事者のうめき声が響いているように感じる。
故国を遠く離れた戦場で撃たれ血を吹きながら苦しみ、家族にも会えず冷たくなっていった兵は何を思っただろう。
みな善良で勤勉な兄弟であり夫であり、父であり子だった人達である。
歴史上の武将の物語も同じ、何千何万の兵のむごたらしい死なくして成立しない。
このことを考えれば、NHKは延々一年に及ぶ武将中心の歴史大河ドラマなどもう止めてはどうかと思う。
“70年の平和の重みは増すばかりであり、それでボケることなど絶対にあり得ない〟
偏狭な敵味方の峻別とその延長は戦争の導火線であり、いまや時代錯誤ではないだろうか。
待っていた雨 お盆の出入り。
「異常な暑さ」を嘆く毎日だった。
「暑くていいんです、盆が来たら降ればいいんです」
ちょうど一週間前、一粒も雨が降らず猛暑を嘆くと農家の方が仰った。
それが盆に入った昨夜遅くから午前まで、ちゃんとしっかり降った。
農家の方の言う通りになってきて、こんな流れがお米にも良いのだろう。
雨のおかげで本日雲らしい雲が湧き、アブラゼミが元気を取り戻し、
畑が助かったという声を聴き、庭の水やりも当分休めるようになった。
いまお盆客の出入りは患家に、通りに、お寺に、そして樹下美術館に見られる。
・訪れた家で認知症が進んだおばあさんは、お客が出入りする居間でじっとして緊張の面持ちだった。
・軽い脱水症のおじいちゃんを心配して、東京から帰省中のお孫さんが付き添って受診された。
・皆が集まったといって9人もの地元のご一家が樹下美術館で昼食とお茶をされた。
・一昨年の主体展で倉石隆の「琢也」を見たという東京の青年が、90才の実家のおばあちゃんと来館され楽しまれた。
そして今夕、水蒸気いっぱいの雲が茜に染まった。
大潟漁港で刻々変わる空の色。
このあとしばらくして雨が降り出した。
本日長岡市からの男性が、拙館長のブログを見て雲に興味を持つようになった、と仰ったという。
有り難うございます、今夕は久し振りに見応えがありましたね。
待ち遠しい雨は今夜降るのか 今秋11月14日(土曜)に第3回SPレコードコンサート 作之助の墓参り。
なか三日お休みして更新したブログ。
その分を補って本日13日もう一記事を掲載致しました。
ようやく猛暑が一段落した盆入りの日、雲多き空から結局雨は降りませんでした。
もうどのくらい降っていないのか判然としません。
まずサルスベリとキョウチクトウだけが、我が世とばかり赤い花を勢いよく咲かせています。
午後美術館に寄りますと、当館のSPレコードコンサートで蓄音機と盤の厚い協力を頂いているS氏が来られました。
お客様が帰られた後のしじま、聴きましょう、と持参された二枚のSPレコードを掛けました。
・最初はJ・Sバッハのやや珍しいリュート曲で、歴史的なギター奏者アンドレス・セゴビアの演奏でした。
・次がエルネスト・ブロッホ作曲のヴィオラとピアノの為の組曲からウイリアム・プリムローズのビオラによる一枚でした。
セゴビアが奏でるバッハはこよなくロマンティックに歌い、
プリムローズによるヴィオラは1900年前後のかぐわしさをカフェに響かせました。
●今秋の「SPレコードを聴く会」を
●11月14日〔土曜日) 18:00開演 に予定致しました。
●クラシック、ポピュラー、日本歌謡の古き豊かなレコード音をどうかお楽しみください。
●お申し込みは樹下美術館の窓口か、電話025-530-4155で受付致します。
本日聴きました二枚はとても良かったので、相談のうえ今度のプログラムに入れることに致しました。
当方で守らせて頂いている盆入りの日の小山作之助の墓。
我が家の墓所の隣にあり夕方お参りしました。
那谷寺のご親切と「さるの釜」 高祖父玄作の見た釜のこと。
さて前回9日の北陸行き記事に旅先の親切を書かせて頂いた。
翌日の那谷寺では宝物の一つという茶釜についてお尋ねしていた。
実は過去の記事に、小生の高祖父・杉田玄作(1818-1874年)が残した「上京日記」を挙げさせて頂いた。
(当時の上京は京都への旅でした)
文久2年1863年9月7日金沢出発から始まる日記。
同月11日の今庄から栃の木峠の日に、秀吉公が陣所へ持参した古窯を見た、と記した上で釜の絵図が描かれてある。
この度の北陸行きで、予め那谷寺を調べたところ、ホームページに「秀吉公御物」として茶釜が伝えられている事を知った。
もしや玄作が見たものが那谷寺に伝えられているのかと思い、当日金堂を守られていた方にその事をお話し、
釜の拝見の可否をお尋ねした。
その方は熱心に話を聞いて下さると、釜は現在展示されておらず、しかも住職は所用で外出中ということ。
後日写真で宜しければお送りします、と仰った。
とても丁寧な方、と妻が述懐したほどの応対だった。
ところがその写真が帰った翌日早速届けられた
送られた写真の釜はまず霰(あられ)の肌がまことに美しく、
幾分撫肩(なでがた)がかった古芦屋(こあしや)の真形釜(しんなりがま)だった。
「さるの釜」として利休と秀吉が銘や由来を箱書きしていたのである。
鮮やかな肌、ふんわり落ち着いた腰の広がり、珍しい猿の鐶衝(かんつき)そして箱書き。
極めて上品かつ珍重な品物だった
ところが、玄作上京日記の絵図と説明を詳細に見ると、釜の寸法が非常に大きく、形も異なり茶釜ではなく湯窯のようである。
結局二つの釜の一致は無理なようだったが、このたびのことで那谷寺から受けた親切は身に余るものだった。
2017年、自然摂理(自然智)を背景に高野山 真言宗 別格本山の美しい那谷寺は,、開創1300年を迎えるという。
錦秋はことのほか素晴らしいと聞いた。
年を取ると、同じ本、同じ人、同じ場所へと傾く。
ぜひ再訪したいと念願している。
一泊の北陸は楽しく懐深かった なつかしや「旧はくたか号」。
昨日8日午後、上越妙高駅から15:09分発「はくたか563号に乗車して北陸方面に出かけた。
金沢一泊の短い行程だったが、小さな親切、小さなツキがあった楽しい旅行だった。
主な目的は
①かって特急「はくたか号」としてほくほく線を疾走していた「しらさぎ号」に乗ること。
②8日は、高岡市から「万葉線」に乗って夕刻の射水市「海王丸パーク]へ行き帆船「海王丸」を見ること。
③本日9日は、念願の北陸本線特急「しらさぎ」で加賀温泉駅へ行きレンタカーで以下の三カ所を巡ることだった。
小松市の「那谷寺(なたでら)」→山中温泉「長楽」のぎょうざ→最後に大聖寺の「石川県九谷焼美術館」。
※新高岡-高岡で利用したタクシーの運転手さんの助言から「瑞龍寺」を昼夜二度の参拝が出来た。
驚くばかりの端正さ、高岡市の国宝「瑞龍寺」(曹洞宗)。
●新高岡から高岡へ向かうタクシーの女性運転手が教えてくれ、見学の間待っくれた。
二日間のライトアップはとてもきれいです、とも教えて貰った。
高岡駅の「万葉線」ターミナル。乗った電車も駅も小さくて可愛い。
●万葉線は全24駅、途中の町並みが様々に変わり見飽きない。
目的の海王丸駅は23番目。
万葉線の複線区間で「ネコ電車」とすれ違う。
●運転手さんに女性がよく見られる。
当地高岡市ご出身の藤子不二雄氏が協力したドラえもん電車と小さなホームですれ違う。
●「見ますか」と若い運転手が言って、閉まったドアをもう一度開けてホームに降ろしてくれた。
「海王丸パーク」で二日前に、二代目にあたる「海王丸Ⅱ世(1984年進水」が入港した。
●Ⅰ世、Ⅱ世の「海王丸」と練習船「大成丸」を同時に見ることが出来た。
(写真の海王丸Ⅱの背後に大成丸、背景は新湊大橋)
この船が常時係留公開されているパーク主役の初代「海王丸(1930年進水)」。
●期待通りに茜雲が現れた。
高岡から新高岡への帰路で見たライトアップされた瑞龍寺。
●タクシーの運転手さんが、寄ってみますかと仰り待っていてくれた。
瑞龍寺は大きな山門を入ると広大な芝生の中を本堂に向かう。
静かな音楽が響き、光は様々に変わり荘厳で幻想的だった。
翌日(8月9日)午前、加賀温泉駅まで乗った「しらさぎ号」。
●ほくほく線で「はくたか号」として走ったその列車です、と乗務員さんが教えてくれた。
(「しらさぎ」はほかに従来から北陸本線で運行されていた同型のものもあります)
ああ懐かしや、元気ですか、あの時のはくたか号に会えて念願叶った。
目的地の一つ「那谷寺」はわが家の宗派、真言宗(写真は金堂)。
懸崖作りの本堂(拝殿)。
三重の塔ほか重文の塔頭は変化に富んだ広大な地形を利用して配されている。
●山中温泉「長楽」で、肉厚の餃子は期待通りの美味しさだった。
香り良い水餃子。
●油汚れの無い店内にピアノがあり、ジャズの催しの写真が壁に沢山貼ってある。
茂木健一郎さんの色紙も良かった。
大聖寺の九谷焼美術館の近くに「山の下寺院群」があった。
●偶々出会った場所だったが、赤い瓦の寺々は明るく爽やかだった。
最後に訪ねた大聖寺にある念願の「石川県九谷焼美術館」。
驚くべし九谷焼の意を確認した。
●小学生のイラスト(このたびは魚)を九谷焼のプロたちが作品にする企画展も見た。
数十点あったが、素晴らしい企画だった。
子供達は九谷焼を理解していると実感した。
帰路の金沢駅で、美しいアシスタントさん。
●ブログ掲載の事を話すと、どうぞお願いします、ブログも見たいと仰った。
グランクラスのお弁当と飲み物。油脂を一切使わない上品なお弁当だった。
予定が順調すぎて、ひと電車早めるべく切符を買い直した。
●日頃の褒美?にとグランクラスを申し込むと2席残っていた。
一泊の短い旅行。
駆け足のため金沢で街に出ず、山中温泉は湯につからず。
それでも出会った人はみな親切で、疲れもせず楽しかった。
施設がおしなべてきれいで清潔だったのも、大切なことである。
非常に沢山の写真となってしまいましたが、やはり「北陸恐るべし」だった。
文化も人も全体の観光深度がちがう。
そういえば上越地方も北陸と呼ばれていたっけ?ふと思い出した。
信越で行けば良いのか、難しいところだ。
齋藤三郎(陶齋)の夏。
異常熱暑が続くなか、去る8月6日に倉石隆の夏を書かせて頂いた。
本日は齋藤三郎(陶齋)の夏作品を掲載してみます。
陶齋は草花を絵付けされましたので季節のモチーフは倉石氏の人物に比し多く見られます。
姥百合の図。 幅67,0㎝
染め付け湯呑:左朝顔、右俳句「浴衣着ていつもの顔の茶会かな」。
私たちは何かと季節感に敏感で、それは詩情をもって感覚されるようです。
詩情は季節から静かに届けられている贈り物のようです。
暑さ続きで鳥たちが水盤に集まる。
雨降りの日はおろかぱらぱらとした夕立もない毎日。
かって見られていた入道雲も見かけないのは、山まで乾いてしまったのだろうか。
そんな暑さのなか、美術館の庭の水盤に鳥たちが替わる替わる寄っていく。
館内はやや涼しいが、カフェからみる鳥たちの無心な様子には心なごまされる。
水盤に来る鳥たちは、くちばちが黄色味を帯びる今年生まれた若鳥が多いようだ。
若鳥は成鳥よりも幾分人の気配を気にしないためだろうか。
いずれにしても暑さと共に多く来るようになった。
お盆まで雨は降らなくてもよい、と米作り農家の方が仰った。
少なくともあと4,5日~1週間の我慢か。
倉石隆の夏。
本日も暑い一日、夕立もなく最後の雨も何時だったか思い出せません。
そんな日に作家の夏を見てみました。
樹下美術館の展示作家である画家倉石隆は人物の内面に挑戦した油彩メインの人物画家です。
そのためでしょう、タイトルに季節が入る作品は希のようです。
樹下美術館の油彩で「夏」が付いた作品は「夏の午後」が一点あるだけです。
昨年展示した大きな作品「夏の午後」 1981年 145,5×112,0㎝
人物の上半身は女性だが、下半身、足などは男性の如く描かれている。
一体が男女であろう身体は空高く、気持ちよさそうに夏の日射しを浴びている。
モノクロームの空間は深く、背後の雲は優しい。
人物は極めて健康的で、一種性的な満足〔幸福)感を現しているように見える。
(以前は男性的な女性としか見ていませんでしたが、最近見方が変わりました)
次はがらりと変わって少年少女向け書籍「森の少女」の挿絵の夏です。
著者の椋鳩十(むくはとじゅう)は、奥深い信州の山の豊かさと神秘性、
およびそこに於ける人間の強さと暖かさを一夏の出来事として書いています。
森の少女:椋鳩十・著 倉石隆・絵 偕成社1982年3月 第一刷発行
森の少女の挿絵原画から:物語の山姫を疑っていた少女が後半で正彦の前に現れる。
一種重厚な油彩と対照的に、倉石隆の挿絵は物語に沿って明快です。
この本は当館に1982年11月の第二刷が別にありますので、
明日それをカフェに置かせて頂きます、どうかご覧下さい。
さて暑い日は続きます。
本日午後じっとしていられずゴルフの練習場に行きましたところ、帰ると体が軽く感じられました。
後日齋藤三郎(陶齋)の夏を掲載致します。
10月17日(土曜日)夕刻は三人の大学院生によるコンサート。
来る10月17日(土曜日)、樹下美術館において、
“三人の大学院生による秋の美術館コンサート”を開催致します。
上越教育大学大学院の院生さんたちは23才、とてもフレッシュな三人です。
若者とはいえ十分な学びとキャリアを積んでおられ、演奏会が楽しみです。
第一報ですが、いずれお三人のプロフィールやプログラムの概要などをお伝えしていこうと思います。
明日より受付を始めます、どうか振るってお申し込みください。
酷暑の在宅周りで奇妙なスピード感 メガソーラーが頑張る。
このところの猛烈な暑さは当分続くらしい。
暑さを嘆いて交わす言葉に「すごい」、「特別」が付いている。
最低気温が先月半ばから格段に上がっていることも、厳しさに繋がっているにちがいない。
これでクーラーが無ければ室内でも熱中症・脱水症およびそれらの二次疾病の危険があり、一方で使用中のうたた寝による風邪、気管支炎も見られる。
在宅診療で訪ねたあるお宅にピカピカのクーラーが取り付けられていた。
在宅といえば本日は旧国道沿いの東西ほぼ一直線上の10㎞に4軒の訪問があった。
車のクーラーは効いているがガラス越しの直射はきつく、一方年のせいでともすると足もとは寒い。
同乗している看護師は暑がり屋さんであろうからコントロールが微妙だ。
この日の運転で、およそ同じスピードで走ったにも拘わらず妙な感覚を味わった。
1軒目のお宅に向かう時は、いつもより時間がかかると感じたが、帰りはすーと走った。
すーと走っているうちに2軒目が近づくと、スピードが落ちる感覚になる。
2軒目のお宅を辞した車はすーと走り出し、3軒目が近づくとなかなか着かないのである。
このゆがみは、特別暑い午後の疲れが心理的に反映しているのであろう。
最後のお宅は、通いはじめて6年目の105才の方だ。
食事以外はほぼ睡眠され、驚くことにデイサービスに行かれる。
暑くなりかけのころ調子が落ちて褥瘡が始まったが、懸命な介護とクーラーと栄養剤で縮小に向かっている。
ここのご主人の熱心な介護には頭がさがる。
お宅からの帰路、車は最後まですーっと走った。
近くの国際石油開発帝石株式会社の「INPEXメガソーラー上越」。
80、000余㎡の敷地で最大4メガワットを発電、およそ1600世帯をまかなう出力がある。
工事は過去2回に分けて行われ、1回2メガワット分をほぼ1年で終えている。
INPEXの電気は地元東北電力へ売電されている。
日照りはクーラーの電力消費を促す一方、ソーラー発電力をアップさせてうまく回っているように見える。
昨日の同級会は卒後58年にして初めての会だった。
昨日の記事に中学校の同級会の事を書かせて頂いた。
前回は何時だったか判然とせず15年前?と記した。
だが、配られた資料などから卒後58年にして初めての正式なクラス会だったらしい。
15年前?としたものは、学校の創立記念行事の流れで急遽集まった模様だった。
みな忙しかったのか、これが普通なのかよく分からない。
しかしあちこちから集まった中学時代の三年間は、実人生の幻のような始まりとして振り返られる。
厳しい将来の予感の中で、あこがれ楽しんだ特別な月日。
58年経って100余人の中から40人も集まるのには訳があったのだろう。
本日午後、以下の花などを庭で見ました。
今年は珍しく夏夏とした暑さが続いている。
地元の鵜の浜温泉海水浴場も賑わっていると聞いて嬉しい。
本日ご来館の皆様、まことに有り難うございました。
ああ小島真(おじま まこと)校長 58年後の有り難み。
私は昭和32年(1957年)に新潟大学教育学部附属高田中学校というややこしい名の学校を卒業した。
入学したばかりのころ、自分で書かなければならない書類の学校名にうんざりしたのを昨日のように思い出す。
本日昼、その学校の同級会があった。
前回はいつだったか思い出せないほど間が空いていた。
(よく覚えていないが15年前?)
この中学校の卒業生の多くは高田高校と北城高校に進学する。
両校は大規模で、そこでの同窓、同級会は盛んに行われている模様だった。
しかし私はこれに参加したことが一度も無い。
病による留年で高校の卒業が一年遅れたことと、大勢がどうも苦手である。
このたびは〝いくら何でも、死ぬ前にもう一度〟というような密かな本音によって誰かが言い出し、高田の貴重な有志が幹事を引き受けて実現した。
105名の卒業生のうち40名が参加した。
73,4の年令を考えれば、良い出席率ではないだろうか。
さてクラス会は、過ぎた年月の威力をひたすら知らさせるばかり。
誰が誰やら、美味しい料理も立派な会場も、どこか浮き世離れして見え、
なんだかあの世で集まっているような気がしないでも無かった。
これが年月、これが現実、、、。
但し、但し時間と共に段々とクラス会らしくなってきた。
忘れがたい顔があり、遠慮がちにニックネームが聞こえ、その人らしい人生がささやかれ、
自分の恥ずかしいエピソードを聞き、いまだ変わらぬ優しさや語気に触れた。
誰かがぼろぼろの卒業記念文集を持参していて、それが回された。
末席に居たので時間が無く、何故か気になった校長の巻頭言を拾い読みし、急いで写真に撮った。
私の呑気な駄文はどうでも良いが、巻頭言は胸を打った。
昭和29年の入学式で、負けて8年も経つのに「国破れて山河あり」と述べられた校長。
膨大な仏教美術の詳細を関西修学旅行の宿題とした校長。
恐らく初めて読んだその巻頭言「高田の町」は以下の主旨で進められていた。
いわく〝高田というところは世に知られた雪の町である。そこでの生活は何事も雪を中心に固く希有なバランスで形成されている。バランスは小さな地域に平和と調和を約束するものであるが、近年、受験の狭き門に晒されるようになった。このため個人が前に進もうとすればこのバランスを破らなければならず、背後の世評や失敗の苦悩と憂うつさを背負うことになる〟と述べる。
最後は次のように締めくくられていた。
「せめての願いは試験を受ける人に、このようなあせりを抱かせない様温かい思いやりをよせて、のしかかる運命を、苦悩を少しでも軽くさせたい」
ああ何という含蓄、何と暖かな言葉だろう、親以上ではないか。
偉くなれ、世に尽くせとは言ってない。
あの大きな両眼を窪ませ、痩せてまるでガンダーラ仏のようだった小島校長。
卒業する私たちにこんな言葉を贈っていたとは、58年経って今更ながら有り難かった。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「好き」だった。
- 妙高市はいもり池の近く「ギャラリー峨々」を訪ねた。樹下美術館も紅葉。
- 再び良寛椿の苗。
- 1本の木にキンカンとカラタチの実が。
- 秋晴れの日のゴルフ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 本日ジョケラさん初日。
- 明日からジョケラさんの展示会 高宮あけみ展のご来館有り難うございました。
- 別れ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その2。
- 講演会「良寛さんに学ぶ」が無事終了した。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その1。
- 来たる11月7日からラッセル・ジョケラさんの展示会 晩秋の花 近隣のコハクチョウ
- 先週末の種々。
- 高田高等学校創立150周年の秋 いたくら桜園 近隣の秋。
- 「ラッセル・ジョケラ木工展」 可愛いお子さんとおじいちゃん。
- 本日今年最後の同業ゴルフ。
- 今夜のコンサート カッチーニの「アヴェ・マリア」。
- 信州は須坂で江戸時代の料理を食べる 満月、私達の奇跡。
- 失った1枚 栗。
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