2014年11月
認知症の予防で人と話をするということ 自分が変えてみる。
過日ある方が、一日少なくとも4人の人と話をするとボケ防止になる、と仰っていた。
〝4人〟という数字に拘らなくても、人と話をすることは良好なコンディションの維持に有益であろう。
休日などに、夕刻まで長く人と会わないでいると、感覚がぼんやりして、手応えのない奇妙な空間に居る気持ちに襲われる。
毎日こうであれば、周囲と無関係で方向の定まらない漂うごとき存在に陥るであろう。
これは認知症の人の状態に似ている。
確かに「出ない」、「会わない」は、異次元的な迷子(認知症)になる要因たり得る。
恐ろしいことに、「出ない」のほかに「否定される」が加わると事態は深刻である。
家に居ながら家族(全員ではなくとも)に絶えず叱られ、注意を受ける状態の事だ。
出たい、役立ちたい、は老いたりといえども人間の証しとして老人達の根底で燃えている。
それなのに、危ない、おかしい、余計だと絶えず禁止と否定を繰り返されたらどうなるだろう。
残された活路は周囲と交信不能な自分だけの世界にさまようか逃避するかしかないのである。
これらはある種の防御反応であるが、鬱や徘徊、混乱や無謀へと様相が変る危険をはらむ。
しばしば家族は言います。
「先生、いくら言ってもちっとも言うことを聞いてくれません」
お年寄りは、たとえ助言であっても、きつい否定の言葉など耳がわんわんして聞きたくないのです。
さらに言えば、良い助言であろうとも、気に入らない人の言うことは聞きたくないのです。
「長く生きて相当に頭を使い果たしていますので、理屈はもう通用しません。あなたの表情や印象がずっと大切なのです」
「つまり耳ではなく、カメラのように目でシャッターを切って単純に判断しているのでしょう、自分の敵か味方かをね」
「お年寄りの前では作り笑顔でいいですから、見た目優しい表情がまず必要です」
「こちらがちょっと工夫すれば相手も柔軟になる可能性があります、すぐ始めて根気よく続けて下さい」
「そのうち自分の作り笑顔が本物に変わるかもしれませんよ」
なんとか上手く行っている家は、世話する人が小声で愚痴をこぼしながらも、さてさて、どうしたかね、と優しく反応している。
そこでは老人達は保育園の園児のように可愛い目をして安心しているのである。
勿論、これで全てクリアではないし、数日後、数ヶ月あるいは半年、もしかしたら1年後に新たな問題が起き得る。
しかし「いつでも私やケアマネに相談してください」、が最も大切な事になるのだろう。
それでも事情によって加齢や認知症の事で、在宅に限界を生じるることは少なくない。
その時もきっと正直な相談が広く有益であろう。
話変わってその昔、ある女性が友人宅へ旅の土産を届けに行きました。
すると「なんで電話もしないで突然来たのか!」といきなりご主人に激怒されたそうです。
「夫婦げんかの最中だった、ゴメンナサイ」と友人は謝ったといいます。
大きなショックを受けたが、「先生に聞いてもらって少し楽になりました」、と仰ったことがありました。
一日4人でなくとも、誰かと何かを話をすることは心身に良いことにちがいありません。
おしゃべりは女性で特に目立ちますが、男性にも有益なようです。
私はブログを書いていると、人と話をしているのと似た作用を感じることがあります。
見て頂きありがとうございます。
雨のトワイライト 美しい光。
次々にやってくる週末。
自分の一日はちょっとした一本の映画よりも早く過ぎているようだ。
昨日本日ともよく雨が降ったが非常に温かった。
インフルエンザのワクチン接種は終盤に入ったが、一方で著しい寒暖差からか長引く風邪が絶えない。
そんな折り、早くもインフルエンザによって学級閉鎖となったという高校生が見えた。
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午後、仕事場のカーポートの屋根でナニワイバラが腰ほどの高さにまで繁茂しているので、
屋根に上がり、大きく伸びる沢山のシュートを伐採した。
トゲの海に入るようであり、切った枝を引っ張り出すのは容易でなかった。
バラの手入れのあと、美術館にこられた知人ご夫婦とお茶を飲んだ。
悪口のカケラ一つ言わないお二人との話は爽やかで、時の経つのを忘れた。
暗くなって雨が激しく窓を打った。
真珠をばらまいたような雨粒のガラス窓に室内のペンダントライトが写る
窓外の庭、ガラスに付いたしずく、ガラスに写る室内のライト、ガラスに写る室内の額に写ったライト、
4つもの場?が一度に見える不思議な時間だった。
閉館のあとほくほく線高架橋へ。暗くてだめだと思いながら下りはくたか19号を撮ってみました。
左下の光は雨に濡れた農道。
ああ「銀河ステーション!」のアナウンスが聞こえてこないかなあ。
明日日曜日の日中は晴れる模様。間もなく今年の閉館、皆様のお越しを心待ち致してます。
鳥にも好かれる樹下美術館。
先日二日続けて掲載しましたカフェ右側のモミジがほぼ落葉し終わりました。
男性スタッフによる庭木の雪囲いが終わり、残っていたこのモミジは特別に支柱を立て枝を釣るいわゆる雪づりで冬に備えることにしたそうです。
雪づりは格好よく風情もありますのでご欄になってください。
ところでこの樹のすぐ近くのモミジにも巣がありました。
いずれも建物に近く、しかもそう高くない場所で、かなり人通りもありますので驚きました。
私たちが行ったり来たりしていた頭上で鳥が巣を作り、産卵しヒナをかえしていたのですね。
それはどんな鳥だったのでしょう?
樹下美術館では毎年カフェの左上の軒下に雀が、庭の奥の巣箱にシジュウカラが営巣します。
当館が鳥たちにも気に入られていること、とても嬉しく思います。
山に栄養、人に滋養 上越市牧区から。
昼過ぎ、上越市牧区にお住まいの妻の縁者から山の幸を沢山頂きました。
お米、野菜、山菜、穀物、おもちが運ばれ、豊かで清らかな山の産物を見て心身がすーとしました。
運んで頂いたお年寄りご夫婦は腰がぴんとされ、お顔からほこほこした人柄が伝わるのです。
何度か牧区の奥へ行ったことがありますが、まず平らな所はありません。
「坂や土手は平気ですが、平らな所の方がどうもおっかないです」
体がもう山の風土と一体化しているのですね、おどろきます。
山の力がこもった干しぜんまい、小豆、黒豆。
正月の膳が浮かんできました。
本当に有り難く思い、また恐縮しています。
飽かず降るモミジ 「枯葉」/「雨に歩けば」。
晴れ間は無かったが雨風強からず、いく分寒さがゆるめだった一日。
一昨日書かせて頂いたカフェ右手のモミジの落葉が続いていて葉の量も増えた。
風が穏やかだったせいで樹の下を中心にふんわりと散っている。
本日落ち葉は、手前(北側)に伸びて散っていた。
向こうは高田妙高方面なので風はわずかに南寄りだったのでしょうか。
You Tubeからレイコニフ シンガーズの「枯葉」/「雨に歩けば」
懐かしいレイコニフシンガーズ。これと同じ曲がカフェの音楽に入っています。
「枯葉」と「雨に歩けば」が交互にあるいは絡み合って流れます。
秋が冬にバトンを渡す季節になりました、本日ご来館の皆様有り難うございました。
ナチュラルな時代。
先日小学校で健康診断があった。
来春入学予定の園児が対象だった。
当地で開業し、以来40年近く11月になると就学時健診に出た。
目立った肥満やアトピーが少なくなり、医療と意識・環境の向上の結果であろう。
この間、印象深いことの一つは、付き添った保護者たちの服装だった。
わけてもバブル期、突然のように生じた独特の奇異さは再びお目に掛かれないのではないか。
派手なダブルスーツ、見事な肩パット、金ボタン。
華やかなスカーフ、手にセカンドバッグ、胸や手首にジャラジャラしたアクセサリー。
前髪を巻き上げたワンレングスや私でも知っていたソバージュの髪、そして太い眉。
健診会場はあたかも若いお母さん達の華やかなファッションショーだった。
(男性のスーツやアクセサリにも似た傾向があったように思われます)
しかし光景はある種突然的ながら、目を背けるほど奇異ではなかった。
テレビのキャスターやドラマの人物、タレントたち、ニュース映像etc.から、いつしか町中や私たち自身にもそれは浸透していた。
一方で園児たちはまだ地味で、ときおりモヒカン風の髪型の児に目を奪われた。
しかしそんな光景は長く続かなかった。
バブルが弾け、以後急速に服装は暗く地味となり、今ようやくある種自然で自由な方向にある印象を受ける。
一方お子さん達の装いは服、靴などのデザインや色はお菓子の如く可愛く幸せそうである。
ところで昨日、見慣れた女性の眉が以前よりかなり太めでわずかにブラウンなのをまじまじと見た。
バブル後、極端に細く強くなっていたものが、ゆるっと自然な感じに戻ったのである。
眉に限らずナチュラルな外観は本人も楽であろうし、
かつ行動に於ける真の個性と自発性の発揮などで優れていると考えられる。
落ち着いた装いと子どもの可愛い服装が、良い時代の兆しであってほしいと思うのです。
枯れ芝を染めていくモミジ。
吹かれて散り、晴れても落ちた木の葉。
大方裸木となった庭で、カフェの右手で燃えていたモミジが散り始めた。
毎日掃いてきれいになった枯れ芝を最後のモミジが染めていく。
「しばらくそっとしておいて」と本日スタッフに言いました。
エラ・フィッツジェラルドの「木の葉の子守歌」
本日ご来館の皆様、大変有り難うございました。
上質の天一美術館 目の当たりにした谷川岳。
2週間前に妻の母の容態が変調し、月末の東京一泊における同級生との会食をキャンセルしていた。
嘔吐と肺炎だったが、幸い持ち直しに向かった。
そんな折り、美術館カフェの常連さんから水上の「天一美術館」の話を聞いた。
内容に強く惹かれた。
せっかくの連休、母の小康をみて急いで切符を手配し晩秋の各駅停車メインの日帰り旅となった。
訪ねた美術館は東京の老舗「銀座 天一」の創業者がそのコレクションを展示して1997年10月に開館している。
岸田劉生の充実した麗子像、さらに佐伯祐三の彌智子像と藤田嗣治の少女像の豊かな色彩に胸躍り、川喜多北半泥子の上品な侘びの陶芸に目を奪われ、小品ながらルオーやルノアールの油彩に驚きを禁じ得なかった。
吉村順三最後の設計となる爽快な建物と落ち着いた展示室、そしてロケーションの良さは聞いていた以上だった。
質を重視して選び抜かれた作品群は見る者の心を耕しかつ癒やされた。
行程は、ほくほく線普通電車で犀潟駅8;16発→越後湯沢へ、次いで上越線普通で→水上着。
予約した駅前レンタカで→「天一美術館」→谷川岳ロープウエイ&リフトで→天神峠→水上駅へ。
帰路、上越線普通で水上→越後湯沢→貴重な「はくたか」で直江津19:49着だった。
着後念のため義母を診て帰宅した。
天神峠の展望台(1502㍍)から。
谷川岳頂上の笠雲はいっそう山の厳しさを感じさせた。
おまけは、湯沢中里スキー場の休憩施設
ブルートレインが使われ、風景とマッチしていて良いアイディアだと思った。
手入れさえ良ければ古い物のほうが旅情があり、推奨できる典型ではないだろうか。
上掲4点の写真はいずれも妻の携帯(スマホということでした)を借りて撮りました。
長く話に聞いていた魔の山・谷川岳を間近に見ることが出来て感激しました。
鈍行主体の日帰りでしたが、風景を見たり本を読むのに丁度良いと思いました。
それにしましても清水トンネルの轟音のすごかったこと、こんなに物凄かったでしょうか。
また水上から下り長岡方面への普通列車が極端に少ないこと、
水上駅前の多くの食べ物屋さんや喫茶店は午後5時ころから終了すること、に注意が必要だと思いました。
最後ですが妻との旅行の食事は、たいてい飛び込みの店で美味しく満足して食べています。
昼食は天神平のレストハウスでカレー、夕食は水上駅前のラーメン屋さんでした。
飽きなかった頸城野、小春日和の午後。
本日午前のみの仕事だが、インフルエンザと肺炎球菌のワクチン接種で終始忙しかった。
この数日まれに見る好天が続いていている。
小春日和の午後、自ずと頸城野の田に足が向く。
食餌する白鳥の群、空に雁行、遠くに妙高連山や米山、尾神岳、現れては去るほくほく線の電車、刻々代わる空の色、、。
夕刻にかけて写真を撮り、飽きることがなかった。
名残尽きないほくほく線特急「はくたか」。好天のなか多くの白鳥の前を走り去った。
突然現れたJRの展望車付カーペット列車・ジョイフルトレイン「NO.DO.KA」。
貸し切りのイベント列車として走った模様。
本日の田んぼで連日記載しました蜘蛛の糸が幾すじも空に向かってなびいているのを見ました。
さらに当事者であろう極めて小さな蜘蛛と、それが舞い上がっていくのも見ました。
予定がありますので、もう一日お天気が持ってくれれば有り難いところです。
本日で長かった旧歴9月が終わる 晩秋の田を被う蜘蛛の糸。
旧歴の話で恐縮ですが、本日11月21日が閏(うるう)九月の末日、長い秋がようやく終わります。
九月がふた月続き、十三夜の名月が二度あった閏9月は1843年以来171年ぶりということでした。
次にこの年が来るのは95年後の2109年だそうで、奇妙な時間感覚に包まれます。
このことで言いますと、以前上京日記で書きました小生の高祖父・玄作(1818-1874年)は25才の時に閏9月を経験したと考えられます。
「ああようやく9月が終わる、長かったなー」などと言ったかもしれません。
その後の閏九月は171年経った今年で、偶々不肖小生が迎えました。
玄作爺さんが〝どんな人間が次の閏9月を迎えるのだろう〟と考えたとしますと、私などで良かったのか心配です。
では私の子孫のどんな子が95年後次の閏九月を迎えるのでしょう。
少なくとも2~3代先までかかるかもしれません。
はたしてそれまで私の子孫と名乗る者が繋がっているかどうか。
その前に日本が無事立国しているかが問題、などということだけは無しにして頂きたいのです。
さて以下は昨日の当館のモミジです(まだ紅葉が目立つ木を残して雪囲いが始まりました)。
今年の当館の紅葉は例年よりもきれいだったようです。
ところで昨日頸城区で白鳥を見た田んぼは、一面細かい蜘蛛の糸のようなもので覆われていました。
このような景観を初めて見たのですが、やはり糸は蜘蛛のものらしいのです。
ある蜘蛛は晩秋の小春日和や春先の良い日に、空中に糸を飛ばす生活史があるそうです。
飛ばした糸が風に乗ると自らもそれと一緒に運ばれ、遠くで新たな生活をするということのようのです。
目にした糸はこのことと関係があるように思われました。
風が弱いためく舞い上がらずに田んぼを被っているのかもしれません。
農家の方や昆虫に詳しい人にもう少し聞いてみたいところです。
本日の田んぼと蜘蛛の糸。
ひこばえがあり、水がひたっている一部の田んぼで見られるようでした。
この糸は弱くて、産卵する赤とんぼが触れも平気でした。
晩秋の風物詩とし、糸がが飛ぶのを「雪迎え」と言う地方がある模様です。
夕刻のほくほく線 金色のたんぼと白鳥。
やっと晴れた晩秋の日、午後休診日だが施設のインフルエンザワクチンの接種があった。
それを終えて美術館のカフェへで、常連さんと沢山話した。
その後ほくほく線の電車を撮りに近くの田圃へ。
白鳥の群がいたので電車を入れようとするが中々難しい。
ところでよく見ると田圃は一面に細い蜘蛛の糸のようなものが掛かっていた。
落日が迫るとそれが金色に光った。
名残惜しいほくほく線特急「はくたか」と白鳥の群。
刈り穂の田一面に非常に細い糸が張り巡らされていて、陽を浴びると光る。
蜘蛛の巣であろうか、獲物は何だろう、とにかく初めて目にした。
逆光の白鳥たちは波の上にいるようであるが、光っているのは蜘蛛の糸。
もう数日は晴れるらしく何より有り難い。
明日は晴れる。
本日寒かったのですが、風は止みました。
連日の季節風と時雨、夜間しばしばのカミナリには少々閉口しました。
しかし明日は晴れるということ、楽しみです。
本日午後遅く低い雲間から沢山の光芒が見えた高田妙高方面。
光芒には「天使の階段」の言い方もあるようですので幸せな情景に見えました。
日没直前の直江津、西頸城方面。
帯状に濃い茜が射していました。
ようやく明日から一両日晴れる予報になりました。
旧国鉄の美しい制帽。
本日お年寄りのめまいで急な往診がありました。
処置を終えますと室内にとても姿の良い二つの帽子が目に留まりました。
お年寄りは長く旧国鉄に務められた方で、当時の制帽でした。
帽子の写真を撮らせて下さい、とお願いしてお借りしてきました。
手に取ると引き締まったデザインにしっかりした作りでほれぼれです。
撮影した二つの帽子。向こうは昭和30年代、手前は昭和50年代の貸与日付がある。
巨大組織でありながら「一家」と呼ばれた旧国鉄。
格好良い徽章と帽子はその家族のシンボルであり誉れでもあったのでしょう。
午後、外出から帰ると往診先の奥さんが薬を取りに見え、
「もう一つありますので先生にあげて下さい」と銀色徽章の制帽をもう一つ持ってこられたと聞きました。
随分具合が良くなったそうで安心し、頂いた帽子は大変恐縮しました。
頂いた貴重な帽子。4型 昭和54年3月貸与とありました。
いずれも美しく大切に手入れされていました。
夕刻、帰った妻が嬉しそうにしている私を見て、かぶった写真を撮りましょうか、と言います。
写真はともかく庭仕事などで是非かぶってみたいと思っています。
旧国鉄の制帽をかぶれるなんて思いもよらぬこと、この冬またひと頑張りです。
岩の原葡萄園棚橋社長とのひと時 齋藤三郎と親方・鳥井信治郎。
午後、岩の原葡萄園の社長・棚橋博史さんが来館されました。
今年、坂田敏社長の後を受けて赴任され大忙しの最中でした。
氏は2010年7月、サントリーホールディングスの当時副社長・鳥井信吾さんと共に当館を訪ねてこられ、
さらに高田における岩の原ワインの会で何度かお会いしていました。
本日あらためてご挨拶と仰り、とても恐縮しました。
ご一緒の時間は楽しく、氏の優れた経営者と学者の感覚、さらに夢ある少年の心が伝わるお茶でした。
サントリーさんと樹下美術館の縁は、第二次大戦前における齋藤三郎とサントリー創業者・鳥井信治郎との関係から始まっています。
富本憲吉の元から独立していた三郎は信治郎氏が宝塚の雲雀ケ丘に開いていた壽山窯に昭和15年に迎えられ、同17年まで活動しました。
戦後、鳥井家と三郎の縁は続き、サントリーが経営参画していた上越市岩の原葡萄園の名ワイン「深雪花」のラベルは三郎の絵画から選ばれました。
鳥井信治郎は今年の人気朝ドラ「マッサン」で大阪船場の鴨居商店の熱い才覚の人、親方・鴨井欣次郎として登場しています。
壽山窯時代20代なかばの三郎は、晩年にかかるその欣次郎(信治郎)に認められたことになります。
文化事業に厚いサントリーと創業者。
二人の間にどんな会話があったのか、想うだにわくわくしますし、あらためて三郎(陶齋)を飾れることを誇りに思います。
・鳥井信治郎(1879-1962年)
・齋藤三郎(1913-1981年)
戦前、阪急百貨店における作品展「壽山荘同人 陶器 絵画 作品展」の案内。
同案内に壽山荘同人として紹介されている7人の作家(多くは器に絵付けをした日本画家)。
紹介の最後に齋藤三郎があり、
「斯界の大家富本憲吉氏につき作陶法を修められ、毎年の国展に出品れれる方。壽山窯現在の責任者でゐられます」と書かれています。
案内文によりますと、齋藤三郎作品、画家たちが絵付けした器、およびその方達の絵画が展示された模様です。
川上善兵衛と岩の原への思い、気に入っている高田、母校のこと、京都や山崎や琵琶湖のこと、ボルドーのことなど話尽きませんでした。
貴重なお時間、誠に有り難うございました。どうか長く長く当地でご活躍ください。
ほくほく線特急「はくたか」 思い出は美しく。
昨日日曜日、くもり時々晴れ間があった日。
貴重な蓄音機プレーヤーをお貸し下さったA氏ご夫婦が見えてくださっていた。
樹下美術館を心から支援くださる方達が少しずつ増えていて力強く感じられて本当に有り難い。
昼食のあと久し振りにほくほく線の高架へ行ってはくたかを撮った。
あと4ヶ月の眺め、今後1,2回ははくたかに乗る予定があるがぜひ成就したい。
本日曇り空を背景に颯爽と現れた「はくたか」。
間もなくお別れとなる列車。それが「美しくて良かった」と思っている。
ところで来年3月北陸新幹線開業以後、ほくほく線には超快速列車が走行すると発表された。
「はくたか」に代わって直江津-越後湯沢を1時間で結ぶという。
「上京に際して北陸新幹線にするか、ほくほく線+上越新幹線か」はやや悩ましい問題。
私のような直江津以北の頸北地域に住む者でも、車で上越妙高駅まで行くと北陸新幹線には乗り換えなしのメリットがある。
但し問題は雪の季節であろう。
一泊(日帰りでも)して帰ったら、駐車場の車が雪に埋まっていないか、が心配の種なのです。
(タワー駐車、地下駐車などあれば少し安心なのですが)
冬場の上京は、やはりほくほく線超快速(愛称未定)→上越新幹線が無難なのか、、、。
さてその超快速列車の愛称が募集されていて、私もいくつか応募してみたいと思っている所です。
盛会のSPコンサート 上越あなどるなかれ。
初めてでも有り、随分宣伝させて頂いていた「SPレコードコンサート」が盛会のうちに終わりました。
ご来場の一部の方には隣のホールで聴いて頂かざるを得ませんでした。
さてハイフェッツのスラブ舞曲を聴き、コルトーのショパンのノクターンを聴きました。
それから10数才の美空ひばりの越後獅子を聞き、14才の江利チエミのテネシーワルツを聴きました。
これらがみな最高の蓄音機から最高の状態で流れたのです。
プログラム後半のとんがり帽子、みかんの花咲く丘では、
ハミングが始まり、鼻すする声さえ聞こえました。
「南国土佐・・・」で、後ろで踊りおどる人もいたのです。
音楽の臨場感、その本質において蓄音機はCDを凌駕するのではないか、と心底思いました。
「いやー、音楽は一つですね。3大B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)しかないと思っていたのが完全に間違いだったことを知りました」
とある方が仰いました。
なるほど本当にやってよかったなー、と思うのです。
若いお客様も見えて今夜ここだけの話になりますが、上越あなどるなかられ!日本もまだまだ捨てたもんじゃない!と、勝手に主催者の手前味噌的妄想を広げた次第です。
実はこの会を1年に1回、来年も今頃と漠然と考えていました。しかし本日蓄音機を提供された友人はもっとやりましょう、と言いました。来年4月、桜のころ、そしてそ れ以後もまた開きたいと思っています。
本日はご来場の皆様、スタッフの皆様、蓄音機とレコードの厚い協力を頂きましたSさん、本当に有り難うございました。
波浪と時雨とヤブコウジ。
連日の季節風は台風並み、というより当地では台風以上の強さ。
叩くような時雨(しぐれ)も容赦ない。
いっとき、あられも混じったという。
庭の傍らのヤブコウジはほっぺを真っ赤にして集まり、
固い葉っぱを傘にかかげ身を寄せ合い、吹き寄せる枯葉を抱えて暖まる様子です。
真っ赤な実を沢山付けていた先日の樹下美術館のヤブコウジ。
今年は例年より実が多いと思われます。
わずか15~20㎝ほどの背丈ですが、草ではなく樹木なのですね。
荒れる空の下、こびとのようなヤブコウジたちは怠りなく冬仕度です。
明日はいよいよ蓄音機によるレコードコンサート。悪天候かもしれませんが、会場は皆様の熱気で暖かくなることでしょう。
SPコンサートのラフプログラムが出来て。
15日(土曜日)の手回し蓄音機による「SPレコードコンサート」がもうすぐになりました。
本日午後、ご協力頂いている同僚とおよそ以下の様な選曲をしました。
● G線上のアリア(バッハ) ミッシャ・エルマン(V)
● スラブ舞曲(ドヴォルジャーク) ヤッシャ・ハイフェッツ(V)
● タンブラン・シノア(クライスラー) フリッツ・クライスラー(V)
● ノクターン Op9-2(ショパン) アルフレッド・コルトー(P)
● ロマンス-キプロスの女王ロザムンテ-(シューベルト) エレナ・ゲルハルト(Ms)
● 星は光りぬ -トスカ- (プッチーニ) エンリコ・カルーソー(Tn))
● ヴォルガの舟歌(ロシア民謡) フィヨードル・シャリアピン(Ba)
● トッカータ ト長調 アダージョ(バッハ) パブロ・カザルス(Vc)
・・・・・ 休憩 ・・・・・
●Boppenpooh Song ルイ・アームストロング
●スター・ダスト アーティ・ショー楽団
●霧のロンドンブリッジ ジョー・スタッフォード(歌)
●青いカナリア ダイナ・ショア(歌)
●テネシー・ワルツ 江利チエミ(歌)
●越後獅子の歌 美空ひばり(歌)
●南国土佐を後にして ペギー葉山(歌)
●とんがり帽子 川田正子(歌)
●みかんの花咲く丘 川田正子(歌)
蓄音機が二台揃いました。
右の蓄音機は全館に響くほどの音量があり、左は静かに聴く時間に合います。
お陰様で現在、定数を超えて65人のお申し込みを頂きました。
せっかくの機会と思い、70席をご用意することに致しました。
ご希望の方は樹下美術館へお電話ください。
☎025-530-4155
イタヤカエデを植えた 何かを育てるのは張り合い、あるいは本能。
昨日11日は火曜日で樹下美術館は休館でした。
先日記載しましたイタヤカエデが年々立派になるのを見て、あと二本はほしいと考えていました。
さいわいネットの通販に1,5jメートルの苗が出ていましたのでそれを求め、
昨日お天気だった休館日に植えたという訳です。
二本目は美術館左脇、もともと黄色のまだ幼いモミジがあった所を選びました。
イタヤカエデはしばらくすると1年に1メートル近く伸びるようになりますので楽しみです。
その小さなモミジを美術館の真裏、館内の細いスリットから見える所に移しました。
(いずれも支柱をもっと丈夫にしたいところです)
ところで70才を何年か過ぎて樹を植えるのでは、その成長を見る時間はたいしたものてはありませんね。
しかし一般に花や野菜、稻や樹、人や仕事あるいは趣味など、わずかでも何かを育てたい、という心境は年と無関係のはりあいで、
ある主本能の如きものではないかと感じられるのです。
かなり昔のことですが、長くお孫さんのお弁当を作っていた高齢のおばあちゃんがいました。
お孫さんは高校卒業後、都会の大学へ進学しました。
するとおばあちゃんに明らかな鬱が現れて進行したのです。
大学に受かったのだから喜べばいい、と家族は慰めましたが、最後は肺炎で亡くなられました。
日中お天気は持ちましたが、夜に入り予報通り風が強くなってきました。
青い鳥その3 「子供」と「光」が主役のとても良い本でした。
「ああ、早く明日がこないかなー」
ふと耳にした小1の孫Kちゃんの言葉から始まった私の「青い鳥」巡り。
その感想文を二回も書いてしまい、面はゆいばかりです。
本日はその3、最終回にしました。
さてチルチルとミチルの1年に及ぶ青い鳥探しの旅(冒険)はクリスマスイブの夢でした。
しかし第12場(最終章)で、目ざめた兄妹に回りのもの全てが生き生きと美しく輝いて見え、
両親に強い愛情を覚えるのでした。
あまりの変わりように両親がいぶかるほどだったのです。
しかし旅の目的であった幸福の「青い鳥」を持ち帰ることは出来ませんでした。
ただ軒下の鳥かごを見ると、前からいた鳥がわずかに青みを帯びているのに気がついたのです。
ためしにそれを隣の病の娘さんに渡しますと、奇跡のように立ち上がり歩き始めるのでした。
ところが一瞬手を離した隙に鳥は飛び去ります。
チルチル「いいよ、泣くんじゃないよ。ぼくまたつかまえてあげるからね」
(舞台の前面に進み出て、見物人に向かい)
「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ぼくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから」
波乱に満ちた幸福探しの後にしては実にあっさりした結末で、この言葉で戯曲「青い鳥」は終わります。
物語のテーマは何だったのでしょう。
本に、運命と時間を背負って生まれた人間はとにかく進まなければならない、と書かれていました。
生きながら陰や恐れや病や戦の危機にさいなまれ、目の前の虚栄や金満や怠惰に迷い、
自らも自然を食する人間。
はたして幸福はどこにあるというのでしょう。
しかし著者は、幸福は探し回るものではなく自分たちはすでに囲まれていると述べます。
そしてそれが見え、気づくためにあるものこそ「光」であるというのです。
劇中第11場、別れたくないと泣くチルチルに「光」が言います。
「いい子だから泣かないで、わたしは水のような声は持っていないし、ただ音のしない光だけなんだけれど、
でも、この世の終わりまで人間のそばについていてあげますよ。
そそぎ込む月の光にも、ほほえむ星の輝きにも、上がってくる夜明けの光にも、ともされるランプの光にも、
それからあなたたちの心の中のよい明るい考えのなかにも、いつもわたしがいて、
あなたたちに話しかけているのだということを忘れないでくださいね」。
「青い鳥」 モーリス・メーテルリンク著 堀口大學訳 (株)新潮社昭和35年3月20日発行
平成18年11月30日50刷改版 平成25年11月10日57刷
青い鳥は1908年発表で、メーテルリンクは1911年にノーベル文学賞を受賞しています。
我らが堀口大學の、子供への思いにあふれる訳もとても良かったのです。
「青い鳥」その2 主として第10場・未来の王国。
本日は昨日の続きの「青い鳥」その2です。
大人が童話の感想を書くのは気後れしますが、
おじいさんならそこそこ許されるかもしれないということでご勘弁下さい。
さて貧しい木こりの子チルチルとミチル(映画ではティルティルとミティル)の近所に病気の女の子がいました。
ある晩、現れた妖女がその子を救える幸せの「青い鳥」を探すように告げると、2人は案内役の「光」はじめお供の犬や猫を連れて
幻想と真実の世界へ旅立ちます。
第3場〝思い出の国〟で亡き懐かしい祖父母に会い、第4場〝夜の御殿〟で様々な夜のシンボルたちを知ります。中でも扉の向こうにいた「戦争」は全力を尽くして防がなければなりませんでした。
続いて訪れた第5場〝森〟は木々と動物の国であり、彼らにさんざん恨みを言われたチルチルたちは捕らえられます。
ツタに縛られあわや殺されかかった時、「光」が現れて彼らを消しますが、〝自然の本音や怖さも覚えなさい〟と「光」が言います。
恐ろしげな第7場〝墓地〟は朝日とともにさわやかな情景となり、目ざめた小鳥たちは太陽と命の歌を歌いました。
その後一同は昨日の第9場〝幸福の花園〟を訪れ、本日はその続き第10場〝未来の王国〟です。
まもなく旅は終わるのですが、王国は誕生を待つ子供たちの国です。
未来であると同時に、かって私たちが居た所でありますので、私たちの過去の国と考えていいかもしれません。
未来の王国では、この世が終わるまでの子供達が生まれるのを待っている。
手前が「ルチル」と「光」。皆が、生きている人だ、と言ってびっくりする。
誕生が迫ると本では船に乗りますが、映画では白くて大きなつぼみのようなものに入る。
この章のテーマは「運命」と「時間」で、なかなか厳しいのです。
生まれる前の子供たちにはそれぞれ役割や運命が授けられていたり、役割を自ら考えるように促されます。
中に第九惑星(後の冥王星)の王となる赤ちゃんや、長寿の薬、未発見の光、翼を持たない飛行体、巨大な果物、純粋の喜び、
死の征服などを持っている子などさまざまです。
いよいよ夜明けが近づくと長いひげを生やした「時」が現れます。
「時」は本日生まれる子供を選んで送りだす絶対的な存在です。
出て行く子供の一人一人を見て
「また医者だって?もう沢山なのに地上は医者でいっぱいなんだ。正直な子供がほしいんだ。」
「何かを用意してこなきゃいかん。病気でも、大きな罪でも、しかたがない」
などとせわしなくせかします。
抱き合って離れない「恋人」の二人の子供の番がきました。
まず男の子の番ですが、〝行きたくない〟といいます。
女の子が、自分が生まれる時すでにあなたは死んでいる運命だから、離れたくないというのです。
「死にに行くんじゃない、生まれに行くんだ」
「時」が二人を引き離します。
「どうやってあなたを見つけたらいいの」
「ぼくはいつだってきみを愛してるよ」(本のせりふ)
「一番悲しい顔をしているのがぼくだよ」(映画のせりふ)
このように悲喜こもごもの出発の中で
〝時間に勝るものはない、運命はさからえない、とにかく信じて進むのだ〟と「時」は言うのです。
映画で誕生を迎える子供たちを包んだつぼみが閉じる直前、小さな青い鳥がすっと中に入るのが見えました。
(皆様は見えるでしょうか)
出発に際し、本には「深淵の底からわきあがるような喜びと希望の歌が、遠い遠いかなたから聞こえてくる」と書かれます。
この場の最後で、かげにいた「チルチル」と「光」は「時」に見つかります。
「光」はチルチルに向かって〝何も言ってはいけまんせん。私は青い鳥をつかまえました。ここを逃げましょう〟とやや謎めいたことを言って終わります。
後は第11場「お別れ」と最終第12場「めざめ」ですが、次回恐縮ながら少々の感想を追加させてください。
「青い鳥」その1 主として第4場夜の御殿と第9場幸福の花園。
さる10月27日の孫の一言「ああ、早く明日がこないかなあ」から始まった私の「青い鳥」探しの短い旅。
歯科医院の待合室で絵本「青い鳥」から始まり通販の絵本「青い鳥」へ、その後堀口大學訳の「青い鳥」を取り寄た。
途中清里区のプラネタリウムで「銀河鉄道の夜」を観て、やはり取り寄せのDVD「青い鳥」を観終えた。
その結果、言われるように〝幸福は探すものではなく、すでに身の回りの日常にある〟と具体的に教えられるのだった。
読み物としては大學が訳されたメーテルリンクの原典である6幕12場の戯曲が読み応えがあった。
DVDはかなり原作に沿っていて舞台劇を思わせる一種ミューカル風の仕立てだった。
以下長くて恐縮ですが読書メモとして翻訳本を追い、場面は映画の中からお借りしました。
さて青い鳥探しの旅はいずれも案内役の「光」(映画ではエリザベス・テーラー)が導きます。
「チルチル」と「ミチル」には「パン」、「イヌ」、「ネコ」、「牛乳」」、「火」、「水」がお供として続きます。
興味深かったのは第4場の夜の御殿と、第9、10場の幸福の花園と未来の王国でした。
夜の御殿で、「戦争」が入っている扉を開くと武器を持った人間達が威嚇しながら出てくる。
御殿のあるじ「夜」(映画ではジェーン・フォンダ)が
〝一つでも出てきたら最後どんなことになるかわかりやしない〟
〝みんな総がかりで扉を押さえなければ〟と訴える。
夜の御殿には「戦争」のほかに「幽霊」「恐れ」「病気」「鼻風邪」「陰」「沈黙」などがいた。
一方で「星」「かおり」「鬼火」「ほたる」「夜露」「ナイチンゲールの歌」など愛らしい一群にも出会う。
最後はたとえようもなく美しい花園が出現し数え切れないほど青い鳥がいるが、捕まえるとみな死んでしうのだった。
第9場の幸福の花園の「一番ふとりかえった幸福」たちが饗宴の果てに12回目の食事をする。
「光」は〝みんな愛想がよく、この人達にはちょっとのあいだ青い鳥が紛れ込むことがあるかもしれない〟
しかし〝危険で、あなたの意志をくじく恐れがある〟とチルチル達に告げる。
第9場の扉の中で先ず「お金持ちである幸福」「地所持ちである幸福」「虚栄に満ち足りた幸福」「渇かないのに飲む幸福」「ひもじくないのに食べる幸福」「なにも知らない幸福」「もののわからない幸福」「なにもしない幸福」「眠りすぎる幸福」「ふとった大笑いの幸福」などと出会う。彼らは〝我々はなにもしないことで始終忙しい〟と言う。
幸福と不幸の境目は曖昧で不幸に落ちていく幸福もいるということだった。
狂気の饗宴に危険を感じた「光」はチルチルの帽子に付いている真実が見える魔法のダイヤを回させる。
すると饗宴の場面が消え「めざめのばら」「水のほほえみ」「あけぼのの空の色」「こはくの露」「子供たちの幸福」「あなたのおうちの幸福」が現れる。
続けてキラキラした光ととも大勢の「子供たちの幸福」と出会う。
〝この世でも天国でもみな最も美しく装われていて、お金持ちより貧乏な人に「子供の幸福」が多い〟
〝あの子たちは急いでいる。子供の時間はごく短いからね〟という「光」と述べられる言葉が印象的だ。
私の孫の一言「ああ、早くあしたが来ないかなあ」の心情は、まさに急いで成長する子供たちのものなのだろう。
次いで「あなたのおうちの幸福」「健康である幸福」「清い空気の幸福」「両親を愛する幸福」「青空の幸福」「昼間の幸福」「春の幸福」「夕日の幸福」「蛍の光り出すの見る幸福」「冬の火の幸福」「雨の日の幸福」「無邪気な考えの幸福」が次々に出てくる。いずれも私たちの近くにあるものばかりだ。
その後で「露の中を素足で駆ける幸福が」連れてきたのは以下の「おおきな喜び」たちだった。
「正義である喜び」「善良である喜び」「仕事を仕上げた喜び」「ものを考える喜び」「もののわかる喜び」「美しいものを見る喜び」「ものを愛する喜び」が現れ、遠くに「人間がまだ知らない幸福」が見えるのだった。
「光」は言う、〝人が一番幸福なのは笑っている時ではないのよ〟と。
最後に「くらべものにならない母の愛の喜び」が〝金持ちも貧乏も関係ない、いつだって一番美しい喜び〟としてチルチルとミチルの母が現れる。
家で見なれた母よりずっと美しい人だった。
光との別れの時間が近づき「大きな喜び」達は「光」に感謝し涙する。
二枚の掲載写真は以下のDVDの場面から引用しました。
次回は第10場・未来の国に触れさせてください。
日が短くなって 貴重な立ち話 今年の月。
私の定時在宅回りや往診は午後3時を過ぎて始まる。
この数年、一回2~4軒を訪ねる。
それ以前では3~5軒あるいはそれ以上だった。
夏場の午後3時はまだ強い日射しが残っていたが、今その時間は夕刻の色を帯びる。
少々不思議な事に、この時間帯に道路で立ち話をする女性たち(奥さんたち)を時々見かける。
私たちの出がけにそのような女性がいるとすると、
一通りの往診回診を終えた帰り道、同じ場所で同じ人がまだ話し込んでいることがある。
長い時には30分から小一時間が経っている。
しかも話している人の顔は大抵真剣だ。
「あっ、始まっている」と後ろに乗っている看護師に言うと、
「ほんとですねアハハ」と笑う。
長い立ち話は女として理解できなくもない、とも。
本日もそんな光景を見た。
既に4時に近くであり、あたりは暗くなっている。
よほど大切な話なのだろう、と思ってしまう。
ところで、かって家の近くで母が立ち話をしているのを聞いたことがあった。
「それではまた」
長い話がようやく終わるかに見えたその時、
「ああ、そうそうこの間の○○」と言った途端、そこからまた延々と始まった。
声を出すことは心肺機能が強化されることでもあり、長く話すのはランニングに似てなくもない。
ならばおしゃべりはストレス解消に役立つほか、身体機能の維持強化に繋がっている可能性を否定できない。
これが長生きの一因ならば羨ましいことである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今年の秋はスーパームーンやミラクルムーンがあり月と良縁の年だった。
二回とも晴れて幸運といえよう。
今年は旧歴でいえば9月が一回多く、うるう9月は新暦の11月21日まで続く。
こんなことは今世紀中にもう起きないということだ。
私の年午年(うまどし)も残り少なくなったが、色々な意味で変わった年だったことになるのか。
とても楽しみな蓄音機による「SPレコードコンサート」
来る15日の手回しの蓄音機でSPレコードを聴く会が近づきました。
本日友人のAさん宅から保険付きで専門家によって搬入された蓄音機が樹下美術館の陶芸ホールに入りました。
フタをした高さが90㎝はあるコンソールタイプの立派な機械です。
館内で掛けたSPレコードの音の素晴らしさは驚嘆すべきものでした。
ホールと蓄音機の相性は極めて良いものと思われます。
驚くべき音量、しかもノイズは逓減され、上質な音が館内に響き渡ったのです。
クラシック、ジャズ、ラテン、ポピュラー、童謡、歌謡曲。
電気を一切使わないボックスから歴史上の名演奏家たちの熱演が再現されました。
よく言われることですが、ボックス内で実際人間が演奏しているような手応えと迫力があるのです。
まさにSPレコードの魔法というべきでしょう。
来年、第二回目の予定も一応ありますが、実際に行われるかどうか分かりません。
大変貴重な機会と思われます。現在すでに定数60席に達していますが、もう少々の席が可能です。
どうか楽しみにご参加ください。
お申し込みは電話025-530-4155でどうぞ。
紅葉のイタヤカエデとメグスリノキ。
二日続いた雨の後、三日続きの晴れとなりました。
日中温かく、午後在宅回りの車外気温は19℃を示していました。
お天気なのに風邪気味という方が増えているように感じられます。
さて先日紅葉のマユミとニシキギを掲載させて頂きました。
本日はイタヤカエデとメグスリノキを載せました。
イタヤカエデは御存知の方も多いと思いますが、大きな葉と鮮やかな黄色の紅葉が美しい樹です。
カフェの正面に植えて5,6年経ちますが、真っ直ぐ延びて既に5メートルはあるでしょうか。
メグスリノキは比較的珍しい樹木だと思われます。
現在二本ありますが一本は上越市清里区の造園業・丸山隆光園の亡き親方が20年前に植栽されました。
右の黄色がイタヤカエデ、左の上半分がメグスリノキ(こちらはまだ8年目)。
黄緑、ピンク、オレンジが華やかに混じるメグスリノキの紅葉。
こちらは20年ほど経ったもの。カフェから見て左奥の方にあります。
メグスリノキの樹皮を煎じたものは眼に良いと言われ、さらに肝臓にもということで茶として販売されているようです。
別名「長者の木」とか「千里眼の木」などと呼ばれ、縁起の良さが感じられます。
美術館の庭は名園というほどではありませんが、秋の見頃になりました。
本日は晴天なり 庭の除草。
雨に降られた連休があけて本日は定期休刊日、そして晴天だった。
晴天と言えば、
「あ、あ、あー、本日は晴天なり、本日は晴天なりー、後ろOKですかー」
昔からマイクテストの際、雨の日でも「晴天なり」が使われている(と思う)。
もとは英語圏の通信テストで「It is fine today」が用いられてるのを、そのまま訳して日本で使ったらしい。
It is fine todayには発音の要素がうまく網羅されているため実用されたということだ。
しかし「本日は晴天なり」はただの転用であり、テスト向きに考えられていないという意見もあるようだ。
だが「今日は良い天気です」と口語になれば子音が乏しくてしゃんとしない。
「本日は晴天なり」は公式な電波テストで用いる言葉として長く法で定められているらしい。
今日様々なイベントのマイクテストで、
「あ、あ、あー」のあと、「本日は晴天なり、本日は晴天なり」と滑舌よく繰り返される。
その昔皆で芝居をした時、それこそ雨の日も真剣に「本日は晴天なり」と言ったのを思い出す。
(もう古い、今は言わない、ということでしたらどうかご容赦ください)
本日午後の除草作業。
余計なススキの株を掘ったり、ばらけたアヤメを切ったり、面倒な場所の雑草を取った。
全て来年のためであり、越冬する雑草取りや施肥など沢山仕事がある。
明日また晴れますように。
時雨の一日 教養人川上善兵衛 「青い鳥」のDVD
昨日に続いて朝から時雨れた一日、世情変わっても四季のうつろいはそうそう変わらない。
毎年今頃になると荒天が多くなるが、又始まったと言った感じである。
外は荒れても生活はそれなりに続くところがやはり有り難い。
昨日本日ともお客様がちゃんと見えられて、先日お抹茶を服した小学生の男子生徒さんが
昨日ふたたび見えたと聞いて嬉しかった。
夕食は祝事を迎えられるご夫婦と一緒だった。
塩尻の五一ワイナリーに残された地元上越市は岩の原葡萄園の創業者・川上善兵衛の漢詩の話をお聞きした。
詩語および情感の豊かさと髙い教養に驚きを禁じ得なかった。
帰宅するとマイブームとなっている 「青い鳥」のDVDが届いていた。
時間が無いので先ずざっと観だったが、やはり「未来の王国」のチャプターが素晴らしかった。
「時」と呼ばれるお爺さんと生まれる前の子ども達の場面なのだが、特異な設定と美しいシーンに切なくも胸打れた。
この映画のことは後に記載させて頂ければと思っています。
「ああ、早く明日がこないかなー」からはじまった「青い鳥」 「銀河鉄道の夜」 清里区のプラネタリウム。
5日前、家に来た孫Kちゃんの「ああ、早く明日が来ないかなあ」の一言は強いインパクトを残しました。
言葉に幸福に対する曇り無き心の現れを感じたのです。
当日午後、歯科医院の待合室で「青い鳥」の絵本を手に取ったのもこの一言が残っていたからでした。
その日家に帰るとネットで別の絵本「青い鳥」を注文しました。
翌日にはさらに詳しいものという事で堀口大學訳の新潮文庫「青い鳥」を注文しました。
戯曲の形式で書かれたメーテルリンク原作の翻訳220ページでした。
現在ちょうど三分二ほど過ぎましたが大変面白いのです。
「青い鳥」 訳者 堀口大學
新潮社 昭和35年3月20日発行 平成18年11月30日50刷改版 平成25年11月10日57刷!
これまで四度、樹下美術館でご講演頂いた堀口すみれ子さんのお父様が訳者というのも不思議な縁です。
流れは続き「青い鳥」のDVDがありましたので注文を済ませました。
1976年米・ソ初の合作映画で、ジョージ・ キューカー監督、アメリカ側出演者にエリザベス・テイラー、ジェーン・フォンダ、エヴァ・ガードナーなどのビッグネームがあり、ソ連が関係しているだけにスケールの大きさに期待が膨らみます。
ところで青い鳥を読むほどに宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」がダブルようになりました。
幸福、時間と空間、光、夜、生死が平明な言葉で流れるように書かれているのでした。、
ネットで「メーテルリンク 宮沢賢治」を検索しました所沢山のサイトが現れました。
尊敬する松岡正剛氏の「千夜一冊」意表篇第0068夜は「青い鳥」でした。
冒頭で短く宮沢賢治に触れ、哲学書としての「青い鳥」を取り挙げていました。
そうこうしていた昨日、
「友人たちが盛んに妙高パインバレーのイルミネーションを勧める」と妻が言いました。
行くのは大賛成でしたが、その前に上越市清里区の星のふるさと館へ寄ってみることを提案しました。
同館でプラネタリウム向けの「銀河鉄道の夜」が投影されていることを知ったからです。
本日午後、雨中の清里行きは5日前のKちゃんの一言から始まったということになります。
小学一年生あなどるなかれです。
星のふる里館は紅葉の坊ケ池のすぐ上で、とても良いロケーション。
坊ヶ池は二度目、ここのプラネタリュウムは初めてでした。
懐かし感いっぱいの車内の情景。右下にプラネタリウムの投影機が写っています。
(写真はフラッシュを用いないことで許可を得ました)
本日映写された技師のAさんは大潟区の人、よく知っている人でびっくりしました。
心からこの仕事が好きという感じが伝わり、そもそも天文少年だったそうです。
映画に人物は登場しませんが、美しい映像と音楽、心うつナレーションで十分でした。
特にカギとなるさそり座および石炭袋のくだりは印象的です。
昭和31年、中学3年の修学旅行で行った大阪で初めてプラネタリウムを観ました。
そのあとは昭和40年代で、渋谷の東急文化会館の五島プラネタリウムでした。
こちらは何百席もある大きなホールで、首が痛くなったことを覚えています。
このたび見終わっても雨がひどく、妙高のイルミネーションは中止しました。
Kちゃんではありませんが、青い鳥のDVDが待ち遠しく思われます。
マユミとニシキギ。
気がつけば11月1日。
本日は終日温かく、外出時の車が示した車外温度は夕刻も19℃とありました。
さて樹下美術館の庭が色づいてきました。
比較的髙い樹は、茶色のコナラ、赤や黄のモミジ、緑からオレンジへとメグスリノキ、エンジ色のハナミズキなどがあります。
低木のマユミとニシキギもしっかり赤くなりました。
御存知の方も多いと思いますが、マユミとニシキギは遠目にとてもよく似ています。
樹下美術館の一帯では雑木に混じってマユミが多く見られました。
庭のマユミももとからあったものと、その株を分けて増やしたものです。
一方、ニシキギは当地で目にしたことはなく、造園に際して植栽されました。
その昔長野県のとある宿で初めて紅葉のニシキギを見た時は感激でした。
本日は当館のマユミとニシキギを掲載しました。
ニシキギの枝。翼(よく)と呼ばれる固く平たい樹皮が羽のように付いています。
ニシキギの幹や枝はマユミに較べて固く、姿も良いようです。
紅葉の赤味はマユミの方が濃くなります。
開館して8年目、木々の成長と共に年々紅葉が美しくなりました。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
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- かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「好き」だった。
- 妙高市はいもり池の近く「ギャラリー峨々」を訪ねた。樹下美術館も紅葉。
- 再び良寛椿の苗。
- 1本の木にキンカンとカラタチの実が。
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- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 本日ジョケラさん初日。
- 明日からジョケラさんの展示会 高宮あけみ展のご来館有り難うございました。
- 別れ。
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- 講演会「良寛さんに学ぶ」が無事終了した。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その1。
- 来たる11月7日からラッセル・ジョケラさんの展示会 晩秋の花 近隣のコハクチョウ
- 先週末の種々。
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- 失った1枚 栗。
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