近郷の農家から浜の職人の家に嫁ぐ。

2014年6月17日(火曜日)

お年寄りのところで診察が途切れると何かとその方の話を聞いている。
最近、その昔近郷の農家から海辺の職人さんに嫁いだお年寄りから以下の話をお聞ききした。

自分の生まれ育ちは隣村の田んぼ農家だった。
家には2町5反の十分な田があり、農耕は牛馬を使っていた。
農作業は男中心の仕事で、女や子どもは春秋の農繁期を祭りのように手伝った。

口利きをする人がいて、一帯の農家から海辺の人の家へ娘達がよく嫁いだ。
「そこへ行けば田も少なく、相手は手に職をもっているから生活は楽だ」という決まり文句で自分も誘われた。

嫁いた先は職人の家で、田があり、行って見るとほとんどが嫁任せということでまず驚いた。
遠くにある田は小さかったが、牛馬も無く鍬を使う重労働だった。
田への途中に長い砂利道の坂があり、自転車の往き帰りで何度もひどく転んだ
嘆きをこらえて毎年農作業を続けた。

ある時代から田は人に任せることになり、夫のテコ(手伝い)をするようになった。
道具を運び足場を組み、重い資材を受けては支えた。
もともと丈夫ではなかったがいつの間にか骨も太くなったと思う。
その間に子どもが3人出来た。

後年夫の体力が衰えると、突然のように四国と北海道の旅行に連れて行ってもらった。
それぞれ一週間づつ二年続いた旅は本当に夢のようだった。

後に夫は亡くなったが今でも旅行を思い出すと、お父さんありがとう、と手を合わせている。
夫の死後数年、体調を崩したが、先生には早く胃がんを見つけて貰って助かった。
兄弟姉妹で自分は一番出来が悪かったが、今日まで生きたのは何より皆さんのお陰だ。
(一部を少しだけ変えてあります。最後に恥ずかしながら私も登場していました)

今夕の上りはくたか今夕7時10分ころ通過したほくほく線下り「はくたか」。
頸城区の農道で撮りました。

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