直海浜にある藤野条助の顕彰碑 希望をつなぐ植林事業。

2014年1月5日(日曜日)

柿崎区は自動車学校を過ぎて間もなく左手に見える藤野条助の顕彰碑。条助の縁故者(川室あき、川室優両氏)によって平成23年に建立されている。

条助は吉川区尾神の人で、江戸時代後期、砂丘地で猛烈な風と飛砂の害に悩む大潟、柿崎地域に広大な松の植林を行った。何年もの試行錯誤や住民との軋轢を越えて一帯に見事な松林が形成され今日にいたっている。

 

林の管理は年中の手入れや追加の植林も必要とされ、過去何度も危機にさらされた事だろう。

今日、顕彰碑が建ち一帯の生き生きした若松の活着を目にすると、二百数十年前の過去から今日、さらに将来へ続く明るさが伝わる。

5藤野条助の顕彰碑柿崎区直海浜にある藤野条助の顕彰碑。

6直海浜の植栽顕彰碑近くの若松。ていねいな防風柵に守られて育っている。

7雁子浜 の植林大潟区は雁子浜 の植林。こまやかさと熱意が伝わる。

近隣の松林は子ども時代から遊びや遠足、そしてキノコ採りなどで親しみました。
以下に昭和30年代初め、自分の中高生時代に撮った松林のわずかの写真を掲載しました。

今はもう見ることができなくなった風景と、努力によって維持されている風景がまじります。

 

1昭和30年代広い松林昭和30年代の松林。その後国道、高速道路で寸断され
荒廃した。3昭和30年代の植林昭和30年代の大潟区潟町の松林
海沿いに若い松が植えられている。
2昭和30年代の松林昭和30年代の気持ちの良い松林。
緑の苔に敷き詰められ、迷うほど広大だった。4大潟区の松林左とほぼ同じ現在の場所。激しい風の中で見事に育った。

 

8直海浜の若松植えられたばかりの松。希望に満ちた気持ちの良い眺め。

これら植林事業は今でも柿崎、大潟各区で新潟県が行い、地域のボランティアが懸命に管理を継続している。松葉掃きや雑草刈りなど昔ながらの作業が無ければ林はあっというまに荒れ果てる。

江戸時代に民間から始まり、今日も県と住民で継続される偉業。
しかるに現代、莫大な公金支出の果てにめざましい成果を上げられない上越市中心市街地活性化事業。

上越市100年の公共とは何だろう。 江戸時代の人々の清々しさとスケール感が際立っている。

2014年1月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

▲ このページのTOPへ