生きている陶齋の草花。

2013年11月24日(日曜日)

数日前に富山県の方が来館された。居合わせた妻から、陶齋(齋藤三郎)の陶芸作品を実に熱心にご覧になったと聞いた。

その人は以下のようなことを仰ったという。

「自分は陶芸をしていて、たまたま陶齋の作品写真集・泥裏珠光を見た。草花の絵付けは味わい深く美しく、他に類を見ないほど素晴らしい。本を見て居ても立ってもいられずやって来た」

泥裏球光 泥裏球光。

感激の面持ちで繰り返し展示をご覧になり、カフェでは備えの「泥裏珠光」をお読みになったという。

色絵木瓜文花瓶

造形もさることながら陶齋の絵付けは優れている。筆力が秀でていることは勿論、陶器と磁器、あるいは用の違いもこまやかに意識される。
いずれにおいても天分に加え、描かれる草花への深い愛情と観察が作品に生気を与えるのだろう。
そして氏の筆は速い。あたかもモチーフの霊魂が乗り移ったかの如くである。

染附湯呑

総じて作品は威張った所がなくかつ品がある。まるで草花そのものだ。
草花には仏が宿る、あるいは自体が仏の化身とも言われる。
人々がそれを愛するのはどこかで仏のイメージを感じるためかもしれない。

急須の色々

ところで陶齋13才の時、故郷の刈谷田川(かりやたがわ)が氾濫した。多くの犠牲者が出たが、氏の母だけ行方不明のままだったという。感受性豊かな子ども達にとってどれほど悲しい出来事だったろう。
後に子のうち兄は僧になり、弟(陶齋)は花を描く道へ入った。いずれも母と仏に出会うためではなかったのか。

染附辛夷文壺

陶齋の草花が生きているのにはわけがあると思う。
氏は 火に任せる焼き締めには一切手を出していない。また鳥や蝶も描かなかった。

2013年11月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

▲ このページのTOPへ