2013年8月31日

明日から主体展 1979年の朝日新聞日曜版を倉石隆、司修(つかさおさむ)両氏の作品が飾った。

2013年8月31日(土曜日)

明日は9月となり、早いというほかない。

その9月1日から東京都美術館で第49回主体展の本展が始まり、その後京都、名古屋を巡回する。
主体美術協会による主体展は来年が満50周年に当たる。その記念企画として、昨年度から同会の草創に参加された物故会員5人を選び、一点ずつを「礎の作家たち」として特別展示をしている。

今年vol2の同企画に倉石隆氏が選ばれた。5月に同協会の担当が来館され当館の「琢也」を決めていただいた。大変に光栄でまた楽しみである。

 

ところでおよそ35年前、1979年(昭和54年)2月4日の朝日新聞日曜版の文化面一面を倉石氏の「髪」が大きく飾っている。連載記事・紙上創作展における〝おんな〟シリーズの掲載だった。

倉石氏記事紙面で倉石氏は、〝本当のことが描いてある絵は強い。ひかれるのはそういう絵だ。(途中略)僕は人間を好んで描くけれど、美人とかチャーミングな女の絵は苦手だ。(途中略)一生懸命、美人を描いたつもりが、怖いとかいわれてしまう。迫真という言葉は、僕には魅力的だけれど、それを目指すとき、甘美なドラマの主人公のように、万人に好かれることはまず無いと思っている〟と述べている。

 

「髪」の3週間後の同シリーズは司修氏の「卑弥呼の時代」だった。主体美術協会のベテラン、中堅が続いていたのである。

司氏記事

紙面で司氏は、〝戦災で街が焼けて、バラックがあちこちに建ったころだった。つぎはぎだらけのモンペに黒く汚れた木綿のシャツを着て、姉が洗濯をしていた。(途中略)僕は子供心に美しいと思った。喧嘩よりしたことのない姉に対して不思議な感情を持った。(途中略)街中で、電車で、仕事で出会う美しい女性は、姉が重なって見えてくる。その姉も事故で他界した。僕は古代人の中に姉を送りたいと思っている〟と述べている。

年の違う倉石、司の両氏は仲が良かったと聞いている。一昨年9月、樹下美術館で司修さんに倉石隆についてのご講演をお願いした。
明日、東京都美術館で同氏の記念講演会が予定されている。司氏は「卑弥呼の時代」当時、すでに第7回講談社出版文化賞のブックデザイン賞に輝くなど多彩な活動のスタートを切っていた。

 第49回主体展の案内。

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