2013年6月
頂いたジャガイモ 音楽会 最後の6月。
ジャガイモの収穫の時期になっています。以前に書かせて頂きましたように、春から続いた水不足で当地の砂地の野菜はうまく行きませんでした。
特にジャガイモは中断された人もいたと聞いています。昨日そのジャガイモを頂いきました。最も大きなもので通常の中くらいサイズ。ジャガイモには最後まで頑張った作者と作物の根性がにじみ出ているようでした。
昨夕あるお宅で音楽会がありました。演奏、選曲とその時代背景などみな素晴らしかったです。料理を持ち寄った打ち上げは、飛び入りもあり笑い声が絶えませんでした。平成生まれの大人は余興に演奏された〝イエスタデイ〟を知らないと言い、驚くよりも新鮮でした。
6月はあっという間に去って行くようです。
今日のおばあさんの話 再び牛 米の買い出しなど 大きなポンプ。
本日午前の仕事が終わる頃、実家が農家だった方の幼少の話を聞いた。80才半ば過ぎの方で、表情豊かにしっかり話された。昔の現実を見てこられた人の話は生々しく、いつもながら筆者には有益だった。
●牛
・農家に農耕用の牛馬は一般的だった。しかし小さな田んぼしか持てない家では、作業は主に手で行われていた。鍬を打ち農具を引く様子は辛そうに見えた。
・実家の牛はおばあさんに特別なついていた。普通ならスイカやマクワウリなどは皮を与えたが、「おまえは良く働くのでわしらと同じように食べなさい」、とおばあさんはしばしば実まで与えた。
●買い出し
・戦中戦後、米が統制され、時には米を隠していないか調べがあった。自分の所では米を保管するタンクの回りに蒔を高く積み上げて隠した。他の家でも色々工夫して逃れていたと思う。
・戦争直後、実家へ定期的に高田方面から奥さんたちのグループが列車で来て、内緒の米や野菜を買って行った。一通り選んで荷造りが出来ると、母やおばあさんがお茶を勧めた。魚のアラでだしを取った野菜の煮付けや漬け物などが用意され、こんな話が聞こえた。
「さあさあ、荷が出来たら汽車の時間までお茶でも飲まんかね」
「汽車なんかまだ何本でもありますすけ大丈夫ですわ、頂戴しましょう」
遠来の人は喜んでお茶を飲んだと云う。
・ときには古着と食糧の交換を求められたが、一帯では歓迎されなかったらしい。
●イモ畑
・当時サツマイモは貴重な食品だった。浜の方面にはイモ畑が沢山あった。イモの収穫が終ると畑に町から人が来た。小型の熊手で畑を掻き、残った小さなイモを探して持ち帰った。収穫後の畑なので、持ち主が咎めることもなかった。
●優しかった小学校の先生。
・子どもは農家の重要な働き手。自分は学校が好きだったが農繁期はよく欠席した。先生に以下のように言われたことがある。
「家が忙しい時は学校をいくらでも休んでいい。しかし仕事が終わったらまた一生懸命勉強しなさい」
Wという優しい先生でとても好きだったが、応召されて淋しかった。
皆様にお聞きしている話は特別な話題ではないかもしれません。しかし今後もお年寄りの昔話を書かせていただければ、と思っています。
おばあさんたちが生活した一帯の農業用水をまかなった大きな揚水ポンプ。
上越市大潟区は朝日池の土地改良区事務所に保管展示されている(昨年8月撮影)。
荏原製作所製で、高さは筆者の背丈よりずっと大きく、昭和9年から同58年まで活躍したと説明されている。朝日池から揚水し、大潟区、吉川区など270ヘクタールの水田をまかなったという。機械は見て判りやすく、重量感があり芸術的なかおりもする。
おばあさんの話が二つ 陶齋の器にアジサイ。
たまたまお二人のおばあさんの若かりし日、あるいはお誕生の話をお聞きしました。以下、今は昔の物語です。
●「若き日のおばあさんと牛」
かって戦時中、出兵のため農家に男手が足りなくなった。そのため娘だった自分が代掻きなどで大き牛を扱った。牛はおじいさんの言うことを聞かなかったが、私には素直だった。
仕事が終わると、「えらいえらい、よく頑張ったね。明日も頼むでね」と牛を撫でてやった。一方おじいさんは蹴ったり叩いたりして懲らして(こらしめて)しまったのではないだろうか。突然だったがもっぱら自分が牛を扱うようになった。
●「サナエという名」
サナエさんという名のおばあさんを診ている。もしやと思いカルテを見ると6月生まれだった。田植え時に生まれたのですか、とお尋ねした。
すると「家は農家で昔の田植えは6月でした。私はその田植えに生まれましたので、親は〝早苗〟という名を決めたそうです。しかし届け出た役所の人が、〝女だからカタカナでいい〟と言って早苗を消してしまったそうです。せっかくの良い名前をひどい話だった、と思っています」
季節はアジサイの盛りです。玉アジサイ、額アジサイ、誇るようにあるいは密かに咲いています。日ごと色を変えながら、梅雨時の庭を独り占めしているようです。
鉄絵の手桶花生(はないけ):陶齋さんは活けではなく生けの文字を使っています。
陶芸ホールに入ってすぐに手桶花生がお迎えしています。
花は美術館や仕事場の庭から運んでいます。
写真は本日生けられていたアジサイ。園芸種がますます多様となり楽しめます。
「今年の展示はいくつか器に花を活けたために、場内がとても生き生きとしましたね」、とは常連の男性のご感想です。およそ4つの器に花を入れています。
卯の花音楽祭 筆者のゴルフは時の運 新潟市への途中で。
本日糸魚川カントリークラブでゴルフコンペだった。梅雨の晴れ間に恵まれたが51-53で残念ながら15人中11番だった。私のゴルフはもっぱら時の運だと思った。但し160ヤードのショートホールでニアピン賞が取れた。
参加賞とともに樹下美術館へ持ち帰り、閉館間際のスタッフと分け合った。
本日、東京から新潟市の老親の世話に通われる方が、ネットで当館を見たと云って寄ってくださった。ほくほく線へ乗り換えてのご来館、嬉しく思いました。
介護の合間に来館される方を時々お見受けします。お忙しい日常と想像されますが、当館ではゆっくり心休めてください。
さて本日午後、大潟コミュニティープラザで「第11回 卯の花音楽祭 小山作之助をたたえて」が開かれた。盛りだくさんの内容だったと聞きに行った妻。特に上越教育大学の後藤丹(まこと)教授編曲の「夏は来ぬ」素晴らしく、アンコールになったと云う、お聞きしてみたかった。堀川正紀委員長はじめ運営委員の皆様のご努力に深く敬意を表します。
忽然と消える不思議の鳥コムクドリの親子。
さて連日のコムクドリです。筆者は何度か彼らのことを〝不思議の鳥〟と呼ばせて頂きました。
詳しく観察していませんが、不思議とは次のようなことです。
①つがい以外のフリーな鳥たちの意味不明な関与。
②あっけない子育ての終了。
①について:巣にはしばしばつがいではない個体がやって来る。ヒナの巣立ちが近くなるとその数を増し何羽も来て巣を覗き、巣に入り、また賑やかに鳴きます。しかしいくら空腹のヒナが叫んでも餌は運びまんせんし、一体何しに来るのでしょう。
③ある日ヒナは身を乗り出して大声で叫び餌をせがむが、親鳥の姿は現れず、翌日にはヒナも消える。
この時期、家の周囲でスズメ、ツバメ、カラス、カワラヒワ、さらにムクドリまで、巣立ったヒナが親に給餌をせがむ姿が見られるようになります。しかしコムクドリは昨年同様、親子してあたりから忽然と消え去りました。〝飛ぶ鳥後を濁さず〟それにしてもその後ヒナはどうやって生きるのでしょうか。
6月19日雨の中、空腹のヒナの前に盛んに現れるフリーの鳥。これはオス、餌は運ばない。
鳥の親はめいっぱい開かれたヒナの黄色のくちばしを見ると餌を与えずにはいられない、と云います。
ヨシキリの巣へのカッコウの託卵は、これを利用して行われています。
こんなにせがんでいるのに親でない鳥は全く餌を運ぶことはしないのです。自然界の遺伝子支配は絶対的であたかもパソコンのプログラムの如くです。
同じ日、ただ来るだけのフリーのメス。この日親鳥の姿を見ることはなかった。
フリーの鳥はもしかしたら巣離れを促しに来るのでしょうか。
巣から実を乗り出すヒナ。巣立ちかもしれないが、飛翔をみる暇がなかった。
昨年と同じく、翌日20日に親子とも姿、気配が消えていました。
コムクドリはツバメと同じく南洋からの渡り鳥と云うことです。飛翔は実に滑らかで自在。様々な声色で鳴き、ヨシキリに劣らず饒舌でよく歌います。私は他で見かけず、ここの合歓木(ねむのき)だけで見るのも不思議だなと思っています。
現在、残ったフリーのオスが木に来て盛んに囀っています。ペアを探しテリトリーを主張しているようにも見えますが、この先どうなるのでしょうか。
さて、今夕、食事前に寄ったゴルフ練習場(上越市下門前:ゴルフプラザ ビーボ)
明日は同業のゴルフコンペ。四月に50-51で優勝しました。ハンディキャップが34+2もあったのです。今度はで29+2です。
70才を過ぎると2がプラスされ、その上前のティーから打てます。前回はうっかりして皆さんと一緒にレギュラーティーで回りました。明日もそうするつもりです。
今年は出来るだけこの会に参加しようと考えています。良くても悪くても明日の成績はご報告したいと思います。
樹下美術館の庭にも夏は来ぬ 料理人も来られた 地域ケア会議。
本日見たもの出会った方たち。
本日、今秋予定の「陶齋の器で食事会」で包丁を振るわれる料理人さんがお見えになりました。食器や庭をご覧になり、大変楽しみと仰って頂き安心しました。
ところで食事会は詳しくお知らせする前に、ホームページ案内へのお問い合わせだけで既に満席となってしまいました(10月の毎週日曜正午、一回5~7名様の予定でした)。
今年うまく行きましたら来年の初夏にもと、考えておりますのでどうか宜しくお願い申し上げます。
話変わって今夕、上越市大潟区の地域ケア会議がありました。地域包括支援センター主催、各事業所ケアマネジャー、市担当者、医師らも加わり40名余が参加し、有意義でした。懇親会もあり、ひごろ公私とも如何に沢山の方のお世話になっているか、あらためて知る思いでした。
大潟区の良いところの一つは医師同士、自然で仲が良いことだと密かに思っています。
雨が枝豆畑を潤していた。
このところの寒暖の波で体調を崩される方が絶えない。脱水症に悩まされた後、今度は風邪。気象は一年を通してかなり激しく変化する。
それがまた日本の自然風土を豊かにしているのだろうが、、要所における体調管理は是非必要だ。
梅雨入りが知らされ、昨日よりもさらに今日はよく降った。
在宅まわりの田園には稲のほかに枝豆が植えられている。黒い土に緑の苗が瑞々しいコントラストを見せていた。7月上旬あたりから10月初めまでワセからオクテへと、満遍なく収穫が続くと云う。
合歓木のドラマ コムクドリの〝つがい〟に半生が過ぎる。
仕事場の二階から見る庭の正面に合歓木(ネムノキ)の老木がある。以前に書かせて頂きましたが、筆者の父が往診帰りに林から採ってきて植えた木です。私の子どもの頃なので60年くらいは経っていて、かなりの部分が枯れ始めている。
木にはカラスやスズメの常連以外に7,8種類の鳥が寄る。昨年初めてその木の洞(うろ:枯れ木が落ちて出来た空洞)に、コムクドリのつがいが営巣してヒナをかえしたのを見た。
彼らの外見は珍しくオスメスの区別がはっきりしている。ズームで撮って拡大された様子などはいずれも変興味深かいものばかりだった。一連のことはブログのために買ったカメラのおかげ、いや、ブログのおかげで出会えた楽しみだと思っている。
コムクドリは渡り鳥で、昨年7月中旬、子育てが終ると全員があっという間に姿を消した。今年は運良く昨年よりおよそ3週間早く、4月23日から目にすることが出来た。当初以前のペアかと考えたが、今では翼や首筋の模様などから違うペアだと認識している。
さて春先、なんとも初々しい二羽は山桜で遊ぶなど新潟県は上越の春を謳歌するごとくだった。
毛繕いする春先のメス | 毛繕いする春先のオス |
4月下旬、同じ木の別の洞でスズメが巣作りをはじめていた。だがコムクドリはまだ花と遊ぶ風だった。
それが5月28日にはすでに抱卵が、6月3日ころには給餌の様子が観察された。つがいはわずが二ヶ月の間に、別人の如く逞しい親鳥へと変身している。(短時間に成長する彼らのことは昨年も書かせて頂きました)
木の股にある洞へと餌を運ぶメス。 | 同じくオス。 |
洞を覗きに来るつがい以外の若鳥と考えられる鳥たち。左オス、右メス。
親鳥が餌を運び始めておよそ11日余。20メートル先の洞から聞こえるヒナの鳴き声が非常に大きくなった。すると昨年同様どこからともなくフリー?(独身)の若鳥たちが何羽も入れ替わり立ち替わりやって来て巣穴を覗いたり、大声で鳴き合うなど木が賑わう。あたかも巣立ちを促すようであり、祝福のようであり、学習のようであり、大いなるひやかしのようでもある。
彼らはしばば巣に出入りするが、決して餌を運ばない。あとはお互い追っかけっこが仕事で、飽きると飛び去る。
昨日、何気なく撮影した写真。給餌に使われる大きな洞の下に今年出来た小さな洞から顔を出すヒナが。両者の巣穴は中で繋がっている。
飛来した個体はつがい以外の鳥で、ヒナが期待しても餌は運ばれない。巣のヒナが写ったのはこれが初めて。かなり感動した。
ところで以前、合歓木でどんなドラマが生まれるか楽しみ、と書きました。コムクドリは順調でしたが、同じ木の別の洞に営巣したスズメのペアはかなり悲壮な経過を辿っています。一度は巣作り、抱卵、給餌行動まで進みましたが、たびたびの妨害に遭い、給餌を中止し、巣作りからやり直しているのです。
妨害をしたのはこともあろうに別のコムクドリたちでした。妨害というより陵辱に近い行動で、あまりのことに驚きました。この先、スズメの営巣中断が危惧されます。スズメのことは今後また書かせて頂こうと思います。
長々と鳥のことで申し分けありません。
久しぶりの雨は慈雨となっただろうか。
待たれていた雨が一日中降った。
当地上越市大潟区の降り方は静かだった。はたして山間の水田、砂丘地の畑にとって慈雨となっただろうか。日没の西の空は茜に変わっていた。
減量で昔の式服が楽に着られた 置いた水をコムクドリが飲んだ。
かって医師会長をしている時に葬儀や結婚式に参列する機会が多かった。甚だ不謹慎な話になるが、その時自分も含めて多くの参加者の式服がパンパンとして窮屈そうな事が多いのに気がついた。特に男性がそうだった。
そもそも式服は生涯に何度も新調するものではない。社会に出て一回、その後体型が変わって二回目などがせいぜいであろうか。
しかるに新調して5年、10年が経つと、次第に体重が増えるのもおよそ一般的であろう。それでいざ服を着る時、ダブルのボタンが止まらない、ジッパーに苦労し、袖も裾もツンツルテン。お腹をへこませて無理矢理着ると、黒は締まって見えるし、式はおごそか、それに紛れてなんとか形になろうか、というのが一般的だったようである。
このたびある方の「おとぎ」によばれた。これまでの式服は一苦労あった。しかし昨年11月来、食事を是正し階段昇降運動を続けると2月に9%近く体重が減った。その後リバウンドもなく、このたび服はすんなりと肩と乗り、ズボンはすっと気持ち良く入った。
職業がら皆様には適切な食事と運動、その結果の好ましい体重維持を勧めてきた。皆さんが懸命に付いて来られようとされるので、心こめて応援している。健康のほかに、昔の服がすっと着られるのも良い産物だとこのたび実感した。
ところで現在、仕事場の庭にある合歓(ねむ)の古木でコムクドリがヒナをかえし、懸命な餌運びを行っている。続く暑さを考えて地上2メートル巣の下1メートルほどの所に簡単な水場を取り付けた。
三日間、鳥は近づく気配を見せなかったが、本日一羽のメスが水を飲むのを見た。この鳥はツガイ以外の独身と想定される個体だった。動物世界で新しいことを始めるのはいずれも若い個体だと云う。
本日の記載を始めた午後11時20分、突然雨音がして降り始めたが、10分ほどで止んだ。もっと、もっと降ってくれないと!
ほくほく線の電車に虹 将来にも希望がある。
暑かったが、今日の空は昨日に続いて美しい夕焼けとなり、虹まで架かった。いつもは夕日に向かう電車を撮るが、本日は虹を背に陽を受けるドラマティックな電車が撮れた。
暗くなりかかったが虹は残り、望んでいたおとぎ話のような情景になった。
ほくほく線はくびき駅を出てから数キロ、高架線で水田地帯を走る。突然開ける水田は、妙高山麓に次いで春秋の絶景であろう。
いずれ同線は普通列車のみとなる。トンネルの多い路線であるが、丸みを帯びた愛らしい車体に黄色の配色などを施せば、フォトジェニックにちがいない。
新幹線は駅地元だけのマターではない。乗り継ぐ普通電車やレンタカーでの旅情は新たな価値となる可能性がある。並行在来線は生活路線だけでなく観光も強く意識すべきだ。
「上越妙高」駅→在来線→妙高・北信方面、あるいは→在来線「高田」「直江津」→佐渡またはほくほく線周遊、さらに「上越妙高」→糸魚川方面などなど。などいくらでもバリエーションはあろう。
潤沢な時間を有する退職者を中心に人は全国を動く。当然各駅、各観光地も新時代に相応しいクオリティへの変化が求められる。望ましい先進事例はいくらでもある。何もせずPRだけでは何も動かない。
いよいよ始まる暑さの影響。
上越市高田では35,9度を記録して本日の全国最高気温だったという。かつて今時こんなことがあっただろうか。
極端に雨が少なく田畑は深刻な局面にあると伝えられる。患者さんたちの畑もジャガイモはあきらめました、キュウリは小さくとも枯れないうちに採っています、と連日聞いている。
本日歩くのもつらい、食事がとれない、という方の脱水を考えて点滴をした。終わって少し気分が良くなったと仰ったが急な痩せが気になりレントゲンを撮ると肺炎だった。
入院先を探して直ちに紹介状を書いたが、セキ痰はほとんどなく微熱。暑さに加えて老-老の介護疲れが誘因と考えられた。
年齢に関係なく疲労が続く方たちに、これから先の熱暑は冬の寒冷よりも油断できないと例年感じている。
午後の在宅まわりの空。車が示した車外気温は32度。南東の風がよけいだるさを感じさせる。
本日はお会いした皆様に戸外の加重な労働・運動と熱中症、在宅者の脱水症、冷蔵庫への過信による食中毒などの注意をお話した一日だった。
本日はじめて自室のエアコンを作動させようとリモコンを押しましたが、全く反応しません。電池を替えてもダメ、明日電気屋さんに診てもらいます。
7年目の樹下美術館 Dream Along With Me。
6年前の2007年6月10日、樹下美術館が開館しました。希望と不安の船出でしたが、今日までさまざまな皆様にお越し頂いていることを深く感謝しています。
エヴァー・グリーン、いつもフレッシュ。個人的には何かと忙しいのですが、感受性を維持し成長を続けたいと思っています。
7年目を記念して、昼食に妻と樹下美術館のトーストを食べてきました。
これもまた7年目を記念してペリー・コモの「Dream Along With Me(ともに夢を)」
18才で上京し初めて買った25㎝LPレコードに入っていた曲です。ペリー・コモショーのテーマでした。
彼はとても声が良く、そして品行方正。カジノのショーなどには決して出ませんでした。
テレビでよくカーディガンを着ていて、私は今でもその服装に影響されています。
学生時代は大田区石川町に住みましたので比較的横浜が近く、放送局「ラジオ関東」は感度良く聞こえました。
毎晩枕元で同局の音楽番組「ポートジョッキー」を聞きました。
番組のエンディングテーマはビリー・ヴォーンの「Among My Souvenir(思い出の中に)」だったと思います。
上掲はThe Lenon Sistersの「Among My Souvenir」です。失恋の曲ですが美しくて癒やされます。
レノンシスターズは戦後長く活躍した姉妹のコーラスグループです。
しかしこれほどクリーンな音源に接して驚きました。
Dream Along With Me そしてAmong My Souvenir
その昔、美術館を営むとは思ってもみなかったことです。
どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。
いつも古い曲ばかりで恐縮しています。昔のレコード曲は丁寧に作ってあった、と振り返るのです。
最後ですが、当初から何かと助力して頂くF夫妻と妻に感謝しています。
夏の庭へ 賀川孝氏のご子息とお会いした。
午前に雨模様となったが庭や畑を潤すほどではなく、午後から晴れた。庭は勢いを増していて次々と初夏の花を点けていく。
紅白のキョウガノコ、白いアスチルベ、シモツケ、青いホタルブクロ、一番乗りしたホトトギスもあって賑やかだ。
本日は初めてのお客様も多くお見えで、皆様一様に展示をご覧になり、お茶を飲まれ庭を歩かれたようだ。樹下美術館は設計の途中カフェは無かったが併設して良かったと振り返っている。また好きな庭にも恵まれて幸せを感じる。
本日も倉石氏ゆかりの方が東京からお見えになった。新潟県立旧高田中学校の同窓で、自由美術を経て主体美術協会の創始会員となられた同志的画友、賀川孝氏のご子息だった。
賀川氏は帝国美術学校(現武蔵野美術大学)、倉石氏は太平洋美学校へと進んだ。後の日も、二人は取っ組み合いの喧嘩をするほどの友だったと云う。
氏は原始美術や民族芸術の原初的な普遍性を追求されていた。残念なことに比較的お若くして亡くなられ、倉石氏が追悼文を書いた。
お会いしてご子息は年経るにつれ父を好きになった、と仰った。このたびは自らのルーツを訪ね、上越高田から樹下美術館へと回って来られた。
私も両親については同じような経緯がある。特に亡くしてからは、両親と一体化しているような感覚さえ時にある。本日訪ねて来られた氏から似たようなお話を聞きながら胸熱くなるのを覚えた。CGアートと取り組まれている氏、またお目に掛かりたいと思った。
※6月9日の追加・以下は冊子「賀川孝遺作展」(1979年12月/東京都京橋「ギャラリーくぼた」)に寄せられた倉石隆の追悼文の一部です。全19ページの中に小田嶽夫氏の寄稿も収められています。
倉石隆の資料 寺田政明氏の画集 収蔵図録 拙画展。
【倉石隆氏の資料】
去る5月28日、樹下美術館へ東京から主体美術協会の画家・﨤町勝治さんと榎本香菜子さんが来館された。今秋東京都美術館で開催される主体展の特別企画へ出品される倉石隆作品についての用件だった。
そのとき昨年の同展に刊行された立派な作品図録を見せて頂いた。筆者は、樹下美術館の収蔵作品図録を作成しているものの、6年経ても完成していない。陶芸の齋藤三郎氏と作品は幼少から親しんだこともあり、比較的速く原稿は出来上がっている。
しかし倉石氏について現役時代を知らず、作品写真や作品リストおよび年表などは出来たが、氏の人となり立場・方向などさらに深めたいと思っていた。そこで図録に˝倉石隆の言葉˝あるいは˝倉石隆について語られた言葉˝を集めたページを設け、多角的な方法で氏への理解の一助にと考えていた所だった。
ところで実際、手許の資料を観れば観るほど氏についてもっと知りたく、また確認したい衝動に駆られる。そのことをこのたび主体美術の方にお話ししたところ、˝その方法は良いアイディアかも知れません˝と好意的な反応を頂いていた。
このたび﨤町氏から届けられた倉石隆氏関連のおびただしい資料。
倉石氏が書かれたもの、出席された座談会、氏の紹介記事、先輩へのインタビューなど、内容は豊富だった。何とありがたく心強かったことか。
【寺田政明氏の画集】
かつて豊島区の寺田氏宅のご近所で氏のバラの絵2点が飾られているのをたびたび眺めた。ひたすら気持ちのいい昼の夢、うっとりするような絵だった。このたびの味わい深い貴重な画集は、樹下美術館のカフェに置かせて頂くことにした。
【当館収蔵作品図録】
ご覧の通り、「春には図録を刊行する」と当ノートに書いたが、夏になってもまだである。˝時間がかかればそれだけ良い物が出来るかもしれないから˝と妻には励まされている。このたびのことがあって、それは本当だったかもしれない、と感じないでもない。来年6月の満7周年事業へとなるのだろうか。
【拙画展】
ところで来年6月に、上越市本町の某所で小生の拙個展が予定されている。それには売るための絵も描かなければならない。如何に拙くとも制作は精神集中が鍵だ。
季節がテーマの拙絵。図録のペースを落とし、そろそろ自らの制作もと考えているところだが、どうなるだろう。当地医師会報の7月号も私の表紙の番となっている。
新鮮なソラマメとタケノコ。
春、天候を気にしながら植えた野菜。その後のお天気はどちらかというと寒い傾向が続き、ここへきて雨が降らない。毎日水やりが続いているようだ。畑は楽しさと難しがいつも一緒、あれは良いがこれが悪い、と話が絶えない。
いつも頂き物の話題で恐縮してしまうが、本日は立派なソラマメと根曲がりタケ(山タケノコ)を頂いた。ソラマメもタケノコも一部すでに食膳に乗ったが味濃く非常に美味しかった。
タケノコを採りに行かれた方は、今年は少なかったと仰ったらしい。
皆さんは自分が採りに行くところをほぼ絶対に教えてくれない。
ほくほく線の列車を見ながら車弁当。
連日雲一つ無い晴天が続いていて、しっかりした雨などはいつ降ったのか定かでない。夏になり華やかな夕焼けを期待しているが、雲が無いので平板な眺めになっている。
ところで本日午後の在宅まわりで近頃珍しく飛行機雲がはっきり見えた。薄い層雲も高い空にあり夕焼け雲が期待出来た。
久しぶりに夕暮れの車弁当を食べようということにした。懸案だった車内にお弁当などを置くトレーを急いで用意することにした。前席の左右前後を測り、シフトレバーの所に切れ込みを入れた簡単な図面を書いた。用事で外出する妻はスーパーセンターに寄ると、担当者が板を選びすぐに作ってくれたという(手間賃は要りますが)。
6時、仕事を終えると美術館で庭仕事をしている妻と合流して手伝った後、近くのほくほく線が見える所へ行った。
19時少し前、飛行機雲が浮かぶ期待通りの穏やかな夕焼けの空。
ほっともっとで買ったというお弁当を広げ、妻はビール、小生はノンアルコールを開けた。
トレーは大きさ安定感とも十分だった。
但し私が撮影に出入るするたびにドアを開閉するのでそのときだけ妻が軽く支える。
まもなく普通電車がゆっくり通過した。このころの空が最も赤かった。
次ぎに特急・はくたかが近づいて通過する。特急は音、スピードともとてもダイナミック。
暗くなったが、最後に上り特急を見送った。みずみずしい田のふちでおよそ40分、良い時間だった。
幼少、季節が良くなると父に連れられ近隣の林や丘へ、歩いてピクニックに行った。後に自分の子どもたちと池や尾神岳で昼食をした。その楽しさは今でも脳裏にあり、戸外の食事はたとえ車中であろうと何か楽しい。いつかスタッフたちと大潟水と森公園へ朝食ピクニックに出かけてみたい。
撒水の午後。
本日は日曜日.。数日お天気が続いている。雨が少なく、庭が乾いているので午後遅く出かけみっちり撒水をした。
それから混み始めた椿やモミジの枝を払い、やって来た妻と裏手の雑草を取った。7時過ぎまで2時間少々、ずいぶんすっきりした感じになった。
ジャックランドの「眺めの良いカフェ特集」で紹介されたせいか、昼を中心にご家族づれや若い人たちで賑わったと云う。
夕刻近いカフェはとても若いカップルが見えていて楽しそうに本などを開いていた。 挨拶した後、邪魔をしないように通路のテーブルでロールケーキを薄くカットしてもらい、リモージュのデミタスカップで珈琲を飲んだ。人が通る所だが、この席で少しだけお茶を飲むのも楽しい。
芝は旺盛に成長している。間もなく今年初めての芝刈りとなる。いよいよ夏、まだ梅雨の気配もなくとても良い気候だ。
古流松應会、深雪支部の花展 町の活性化。
午後、古流松應会、深雪支部の花展に行ってきた。伝統の生花(せいか)、創意の自由花、一生懸命な作品はそれぞれとても魅力的だった。
生花自由花 自由花自由花 | 自由花自由花生花生花 |
開場は、あすとぴあ高田のミュゼ雪子町5Fだった。立体駐車場の出入りは余裕があり楽に感じられる。花展はとても賑わっていた。5年に1度の作品展と聞いたが皆様には大変なご苦労だったことだろう。
こどもの作品コーナーがありなかなか楽しかった。「私もやってみたい」というお子さんの声が聞こえていた。
●開催は3日(月曜日)午後6時まで。
イレブンプラザへも寄った。駐車場に車は少なかったが、歩いて入る人がかなりいるようだ。せっかくの本町通り、普段はその方が合っているかもしれない。
目薬とガムを買って活性化に協力した。それにしても「町(地域)の活性化」は下手をすると「沈滞」の裏の顔を思い出させる。それで活性化と聞くと少々気が沈み、そこを避けたい気持ちがしないでもない。黙って努力を重ねる方が遙かに魅力的なのに。
活性化は「やっています」、という一種アリバイ的な行政用語から発しているかもしれない、しかしどこか寂しい。京都も長崎も、日本中が活性化を叫んでいるらしい。補助事業ゆえであろうが、名勝地への夢がしぼむ。もう十分であろう。ここまで来たら特に商業地や観光地は、あまり活性化と言わないほうがいいのでは。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「好き」だった。
- 妙高市はいもり池の近く「ギャラリー峨々」を訪ねた。樹下美術館も紅葉。
- 再び良寛椿の苗。
- 1本の木にキンカンとカラタチの実が。
- 秋晴れの日のゴルフ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 本日ジョケラさん初日。
- 明日からジョケラさんの展示会 高宮あけみ展のご来館有り難うございました。
- 別れ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その2。
- 講演会「良寛さんに学ぶ」が無事終了した。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その1。
- 来たる11月7日からラッセル・ジョケラさんの展示会 晩秋の花 近隣のコハクチョウ
- 先週末の種々。
- 高田高等学校創立150周年の秋 いたくら桜園 近隣の秋。
- 「ラッセル・ジョケラ木工展」 可愛いお子さんとおじいちゃん。
- 本日今年最後の同業ゴルフ。
- 今夜のコンサート カッチーニの「アヴェ・マリア」。
- 信州は須坂で江戸時代の料理を食べる 満月、私達の奇跡。
- 失った1枚 栗。
- 2024年11月
- 2024年10月
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