我が愛の譜(うた) 滝廉太郎物語  小山作之助のバックアップ。

2013年4月14日(日曜日)

すでに10年は経っていると思うが、テレビでたまたま東映映画「我が愛の譜 滝廉太郎物語」(監督・澤井真一郎)を見たことがある。小山作之助の関係者に勧められたのかもしれない。

風間トオルが滝廉太郎を主演し、鷲尾いさ子、檀ふみ、雨宮良、藤谷美紀、加藤剛、柴田恭兵、浅野ゆう子、藤村志保、宮崎美子らが出演。小山作之助は秋野大作だった。作之助は出ずっぱりではないが、テレビを見た当時は出た出たと言って喜んだ記憶がある。

このたび我が家はテレビを新調したこともあり、作之助のことをノートに書こうと思っていたのでAmazonでDVDを求めた。改めて見て以前に較べ深く感動させられた。

DVD・我が愛の譜没後90周年の1993年に制作された伝記映画「わが愛の譜(うた)滝廉太郎物語」。
映画は1993年度キネマ旬報ベストテンで8位に入っている。
2008年DVD化が実現したそうです。
当作品で俳優はじめ多くの関係者が各部門にノミネートされている。

この映画の中で小山作之助は7~8つのシーンに登場している。いずれも滝を励まし推挙し、弁護するなど好意的な態度で一貫している。

演じる秋野大作は台詞はすくないものの、写真で見慣れている作之助に似ているし、納得の演技だと思った。以下作之助の登場シーン二三を挙げさせて頂いた。

 

滝を励ます作之助オルガンを弾いていたためピアノを始めたのは遅かった、と雪の日にも猛練習する滝を励ます作之助。

 

滝を推挙する作之助当時文部省による音楽専攻留学は幸田露伴の妹中野延(のぶ)が一回目。
二回目は姪の中野ユキに決まり掛けていたが、作之助は滝を推挙する。

結局滝も推され三年間のドイツ留学を命ぜられることになった。明治34年4月日本を出帆し、メンデルスゾーンが築いたライプツィヒ王立音楽院へ留学する。先にベルリン国立音楽大学に留学を果たしていた中野ユキとともに切磋琢磨を重ね、愛が生まれるかにみえた。そんな日々の中で、滝の結核は顕在化し喀血する。病は国の知るところとなり滝は1年を経ずして早期帰国を命じられた。

迫る死期を覚悟して実家の九州竹田でオルガンを前に遺作「憾(うらみ)」を書く滝。

次の留学者(島崎赤太郎)も決まり、ある日の教授たちのサロンは中野延たちへの賞賛で盛り上がっていた。一同に背を向けて座していて作之助は立つと、「滝を忘れてはいないだろうか。滝だっていたじゃないですか。その滝を国も我々も追い込んだじゃないですか」と言って退席する。

それにしても滝廉太郎23年の生涯はあまりに短い。荒城の月が21才とは、信じがたい人生だ。

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