2013年4月
今年一番賑わった樹下美術館 今日も鳥です。
連休入り二日目、小生の休みは本日からでした。漸く暖かくなり樹下美術館は今年一番の賑わいでした。
当館は30名を越えると大賑わいと言っています。ほぼすべての方が展示をご覧になりカフェでお茶をされました。
午後、上越市は仲町の女将さんや大御所さんご一同が賑やかにお見えになりました。
庭の鳥たちも一生懸命でした。連日で相済みません。
コムクドリは巣作り、子作りともする気配がありません、大丈夫でしょうか。
残華散る古き桜に小椋鳥 春の日和の長閑なりけり。
庭では何かと初めて見るようなことが起こります。特に写真を写すとそのようなことに出会うのです。
それで連日、鳥の記載になってしまいました。
今夕刻近く、いつもの合歓木(ネムノキ)にコムクドリが番(つがい)で来ていた。
それが二羽して昨日の山桜の老木へ降りて花をついばんだ。恐るべし花鳥風月。
拙歌二首)
老木の残花に鳥の影みえて 春は移ろふ我が庭のすみ
残花散る古き桜に小椋鳥春の日和の長閑なりけり
山桜の老木にコムクドリ 花が似合う人。
午後、スズメが巣作りであろう、忙しくウロに枯れ草を運んでいた。突然一羽のコムクドリのメスが木に立ち寄ると、そばの小さくなってしまった山桜の老木に止まった。夢中でシャッターを押した。
間もなく散る老木の花。その花びらをついばむとは、なんておしゃれことだろう。
山桜にコムクドリ、あまりの相性の良さにびっくりした。そういえばもともと桜(ほかの花も)は鳥や蝶や蜂のために咲くんだ。鳥と花が美しく調和するのはうなずける。さて人間はどうだろう。
花が似合う人、たくさん居ると思うが出来ればそうありたい。
同じ合歓木にスズメとコムクドリが営巣するのだろうか。
仕事場の二階から正面に見える合歓木(ネムノキ)。若き日の父が往診の帰りに林から若木を持ち帰って植えた。それから60余年、かなり老化してあちらこちらが枯れてきた。
枯れ枝が折れた跡には空洞が開き、いわゆるウロ(洞)となる場所がある。樹には数メートル隔てて二カ所の大きなウロがあり、昨年その一つを使ってコムクドリが営巣し雛をかえした。
向かって左はしの大きなウロに、今年は意表をついてスズメが巣作りする気配がある。
昨日午後、盛んに出入りし枯れ草の巣材を搬入した。
あまつさえ雀はウロ上の枝で交尾行動を繰り返した。
彼らの巣は軒下だとばかり思っていたが、本当にここを巣とするのだろうか。
ウロは大きく、カラスやムクドリなど外敵が入りそうだが、はたして大丈夫か。
すると間もなく、ついにコムクドリのメスが現れた。昨年使ったウロの入り口に止まる。
はたして昨年のメスか否か、やはり非常に美人である。
一昨日のオスとの関係は、この日オスを見なかった。
今冬大きなウロのすぐ下にあった枯れ枝が落ちて、もう一つ入り口が出来た。
一生懸命そこを観察している。
さて繁殖を控えて鳥たちは命がけであろう。みな強靱な生命力をもっている。優しい合歓の老木でどんなドラマが展開するのだろう。
2013年、コムクドリがまた来た 夕刻の月と花。
昨年このノートにカテゴリーまで新設して大騒ぎしたコムクドリ。仕事場の合歓木(ネムノキ)の営巣で繰り広げられた愛くるしくどこか不思議な鳥の様子に夢中になった。
来年来るか、果たして今年は、案じながら内心また来ると信じていた。それが本日2013年4月24日、一羽のコムクドリが合歓の枝に居るのを見た。非常に嬉しく密かにどきどきしている。
花の蜜を沢山吸ったのか、くちばしの周囲が黄色に着色している。
草むらにおりた。顔~首の模様が昨年営巣したオスに似ているようでもある。
そうでなくとも構わない、どうかここで頑張ってください。
食事前のころ、松とヤマザクラの老木をかすめて月が昇った。26日が満月の模様。
お申し込みが65名様になりました。あとわずかの余裕ですが、よろしければお電話ください。
樹下美術館:025-530-4155
冷たい雨の日曜日。
朝から冷たい雨の日。午後美術館に出かけた時の車が示していた外気温は7度だった。
館内は誰もいらっしゃらなかったが、雨中庭を撮っていると3組のカップルさんが次々いらした。寒い日なのに感謝したい。
風が無いだけ庭は穏やかにみえる。寒さ続きだが多くの草花がぐんぐん成長してきた。
賑やかなヒトリシズカ | 茎が緑色の青軸ヒトリシズカ |
昨年秋、福島県から来たシラネアオイ。新潟県の樹下美術館で無事1年を過ごし、来年も咲いてほしい。
ここへ植えてくださったのはスタッフのご主人ということだでした。
伸びやかで美しい上越市の新堀川公園の花。
続く寒冷でソメイヨシノが散らない。満開のままの樹はすでに葉が展開していている。
待ちきれないヤマザクラも満開を迎えた。両者がこんなに揃って咲き乱れるのは珍しいことではないだろうか。
本日の上越市は大潟区犀潟の新堀川公園。例年雪が少ないので樹々はみな伸びやか。
今年はじめてゆっくり桜を見ながら歩いた。花一色狂ったように咲くソメイヨシノだが、葉桜の穏やかな風情もまた良かった。静かに花に接するのにここは格好の場所だ。
桜に混じって点在する辛夷。圧倒的な満開だった。
川堤の公園化は何代か前の大潟町町長のアイディアではなかったか。
見事に咲きそろう花々に植栽のセンスの良さを感じるとともに、公園とした首長に敬意を表したい気持ちになる。
生き生きと咲く花を見ると、その後温泉施設などの建設に熱中した行政よりも遙かに健全だったと思う。
樹下美術館から公園まで徒歩6,7分、車ですぐです。
小山作之助の還暦祝賀会 島崎赤太郎 そして旧東京音大奏楽堂。
一応1001回目の記念投稿です。
過日、上越市大潟区の卯の花音楽祭実行委員長・堀川正紀氏と同市の山本栄美さんが小山作之助物語を編纂されました。
それを機に縁者の一人として、当ノートに小山作之助というカテゴリーを新設してみました。拙文ながら関連の人々や出来事に触れてみたいと思っているところです。
本日は大正13年(1924年)4月27日(日曜日)に催された作之助の還暦祝賀会の様子を紹介させて頂きました。また日本のオルガニストの先駆者島崎赤太郎氏や東京音楽学校の旧奏楽堂について映画「我が愛の譜 滝廉太郎」のDVD場面と往き来してみました。
還暦祝賀会の日の小山作之助、マツ夫妻。
秋田県大曲出身のマツ夫人は日本女子大の前身校を卒業後教職に就き、
後に前島密の養女格となった才媛。
記念葉書として後に配られた祝賀会の一場面。
向こうに楽団と作之助が顧問をしていた日本楽器製造株式会社・現ヤマハ(株)からの贈花が見られる。
当日、祝賀会で島崎赤太郎作曲の混声四部合唱曲「小山作之助先生還暦祝賀の歌」が歌われた。
明治33年(1900年)、映画「我が愛の譜」で名曲「花」を初めて披露する滝廉太郎。
滝のあとドイツ留学命令を受ける島崎赤太郎が登場している。
氏は4年間の留学中オルガンを学び、オルガンの先駆者・作曲家・音楽教育者となる。
写真の右から三人目がベンガル演ずる赤太郎。
同映画中、滝廉太郎が明治34年(1901年)4月にドイツ留学する際の送別音楽会の模様。
映画では「荒城の月」を、風間トオル演じる滝のピアノ伴奏で佐藤しのぶさんが歌う。素晴らしい歌声。
会場は3番目の写真の旧東京音楽学校の音楽ホール・奏楽堂を模したセット。
奏楽堂は明治23年(1892年)に建築された日本最古の音楽ホール。昭和59年(1984年)に解体後上野公園内に移築再建され、昭和63年に国の重要文化財となった。
還暦祝賀会には全国から500人以上の音楽関係者が参集したといいます。記念音楽会では祝歌の後、ベートーベンのピアノソナタ作品31、第3番(Es dur,Op..31 nr.3)独奏、レオンカヴァッロ作曲のプロローグ˝Pagliacci˝のバリトン独唱、およびピアノと6名のヴァイオリニストによるバッハのプレリュードおよびガヴォットが演奏されています。
ちなみに当日記念品と金一封が贈呈されましたが、作之助は贈られた2000円に自らの1000円を加えて全額を東京市の音楽教育振興のために寄付しました。
これに関して本人は、˝自分の音楽の道は東京によって育てられた、お初穂は東京に差し上げたい˝趣旨を述べているようです。
この先マツ夫人と前島密家のことや著書「君が代の由来」。音楽葬のこと。あるいは往年の名テナー藤原義江が歌った滝廉太郎の荒城の月と上越が生んだジャズピアニスト・編曲家・故飯吉馨氏のことなど、を書ければと思っています。
参考書物などは後に附したいと考えています。
「我が愛の譜 滝廉太郎物語」その2 唱歌運動と小山作之助 そして肺結核。
去る4月14日、映画「我が愛の譜 滝廉太郎物語」のDVDのことを書かせて頂いた。伝記映画なので滝作品の誕生、留学の経緯、発病と死など克明であり、添えられる純愛なども丁寧に撮られて興味深い。クラシックの名曲が次々と入り重厚な映画だと思った。普段あまり映画を見ないのに、たまに見ると妙に夢中になる悪い癖が出る。
今回はブログ1000回目の投稿ということ、引き続き「我が愛の譜 滝廉太郎物語」を話題にさせて頂いた。
劇中、キーワードの一つに明治時代中期から起こる幼稚園ならびに学校において皆で歌うことの唱歌教育の普及、あるいは口語で歌いやすい歌をという唱歌運動がある。
小山作之助は東京音楽学校で教鞭をとる傍ら、都内に生まれていたいくつかの私的な教育と実践場所である唱歌会に深く関わり時代をリードしている。映画で滝は、音楽学校に入学するまで「半年間小山先生の芝唱歌会にいました」、と述べる。また作之助も入学後の滝の精進をみて、唱歌会から推薦したかいがあった旨をもらす。
また学友が通う神田猿楽町唱歌会に滝がつきあう場面などには当時の雰囲気が垣間見られる。
ところで滝廉太郎は15才の最年少者として音楽学校入りを果たした。作之助の推挙の力が大きかったのでは、と推察される。
学校の入学方法はつまびらかではないが、一般的な進路を辿ったなら、夭折の音楽家の開花はもっと小さなもの、あるいは間に合わなかったかもしれない、と心配性の筆者は危惧した。あるいは作之助は滝の病の兆候を知っていたのか、とさえ。
作之助の母方の叔父は医師であり、交流を通して相談があった可能性はどうだろう。
映画で肺結核は留学中に重症化するが、学生時代すでに咳き込み、転地し静養治療する場面が何度か登場する。密かに始まり劇的に悪化する肺結核の描き方も感心した。いずれにしても彼の人生は急ぐ必要があったに違いない。
病により早期帰国し故郷竹田で養生する滝は、再上京を試みるが道中で喀血して戻る。最後、廃校となった故郷の分教場に残されたオルガンで遺作「憾」を書く場面は物語とはいえ、涙なくしては見られない。
滝のオルガンの音が止み、待っていた車夫が異変を感じて立ち上がる。
ところで結核は不治の病として世間から忌まれ、かたや周囲との一部関係は当映画でも厚く維持される。不思議といえば不思議な病気である。
筆者も高校2年生の春、レントゲン検診で肺結核と診断された。それまで頻繁に風邪を引き、時に高熱、絶えず微熱があったように思う。その年の9月だったか、父の母校である慶応大学病院へ連れて行かれ、手術の可否診断を仰いだ。
幸いパス、ヒドラ(アイナ)の服用とストマイ(ストレプトマイシン)注射の三者療法、後のカナマイシン注射の登場に救われた。また同病の級友や恩師、高田の下宿先ご夫婦などには本当に良くしてもらった。しかしそれ以前の人々の痛ましさは当映画においても切実である。
ちなみに、「憾(うらみ)」がYouTubeに投稿されている。旋律には病の苦しい呼吸が感じられる。
春の花ざかり 盛況な音楽会の申し込み。
地面が温まってきて花は勢いを増しています。見頃や見所を心得た花は慎ましくも見応えがあります。
みつばつつじ やぶ椿福島のシラネアオイ活けられた袖隠しという名の椿 | クリスマスローズ-赤い斑の椿華やかな椿チューリップとクリスマスローズ- |
参加ご希望数が54名様となりました。応募が増え続けていますので10席増やして70席をご用意することに致しました。
夜、用事で玄関を出ますと山や森の匂いがしました。
毎年訪れる良い香り、山も森も温まってきたのですね。
我が愛の譜(うた) 滝廉太郎物語 小山作之助のバックアップ。
すでに10年は経っていると思うが、テレビでたまたま東映映画「我が愛の譜 滝廉太郎物語」(監督・澤井真一郎)を見たことがある。小山作之助の関係者に勧められたのかもしれない。
風間トオルが滝廉太郎を主演し、鷲尾いさ子、檀ふみ、雨宮良、藤谷美紀、加藤剛、柴田恭兵、浅野ゆう子、藤村志保、宮崎美子らが出演。小山作之助は秋野大作だった。作之助は出ずっぱりではないが、テレビを見た当時は出た出たと言って喜んだ記憶がある。
このたび我が家はテレビを新調したこともあり、作之助のことをノートに書こうと思っていたのでAmazonでDVDを求めた。改めて見て以前に較べ深く感動させられた。
没後90周年の1993年に制作された伝記映画「わが愛の譜(うた)滝廉太郎物語」。
映画は1993年度キネマ旬報ベストテンで8位に入っている。
2008年DVD化が実現したそうです。
当作品で俳優はじめ多くの関係者が各部門にノミネートされている。
この映画の中で小山作之助は7~8つのシーンに登場している。いずれも滝を励まし推挙し、弁護するなど好意的な態度で一貫している。
演じる秋野大作は台詞はすくないものの、写真で見慣れている作之助に似ているし、納得の演技だと思った。以下作之助の登場シーン二三を挙げさせて頂いた。
オルガンを弾いていたためピアノを始めたのは遅かった、と雪の日にも猛練習する滝を励ます作之助。
当時文部省による音楽専攻留学は幸田露伴の妹中野延(のぶ)が一回目。
二回目は姪の中野ユキに決まり掛けていたが、作之助は滝を推挙する。
結局滝も推され三年間のドイツ留学を命ぜられることになった。明治34年4月日本を出帆し、メンデルスゾーンが築いたライプツィヒ王立音楽院へ留学する。先にベルリン国立音楽大学に留学を果たしていた中野ユキとともに切磋琢磨を重ね、愛が生まれるかにみえた。そんな日々の中で、滝の結核は顕在化し喀血する。病は国の知るところとなり滝は1年を経ずして早期帰国を命じられた。
迫る死期を覚悟して実家の九州竹田でオルガンを前に遺作「憾(うらみ)」を書く滝。
次の留学者(島崎赤太郎)も決まり、ある日の教授たちのサロンは中野延たちへの賞賛で盛り上がっていた。一同に背を向けて座していて作之助は立つと、「滝を忘れてはいないだろうか。滝だっていたじゃないですか。その滝を国も我々も追い込んだじゃないですか」と言って退席する。
それにしても滝廉太郎23年の生涯はあまりに短い。荒城の月が21才とは、信じがたい人生だ。
福島県の花が樹下美術館で咲こうとしていた。
本日夕刻、美術館隣接の庭の手入れをした。はびこる苔類を除き風で散乱した枯れ枝を処理して回った。
あるところで積もった落ち葉を除くと不意にシラネアオイのつぼみが現れた。沢山花芽が付いている。こんなところに大好きなシラネアオイがあったとは、一瞬戸惑った。
そういえば昨年晩秋、福島県は二本松市のあるお宅からスタッフが運んだのを植えたが、ここだったのだ。
二本松市からのシラネアオイ。茎を沢山付けて立派な株になって芽を出している
持ち主であるスタッフの縁者は高齢のため上越市に引っ越されている。残された庭に沢山の山野草が放置されたままだったという。そこで花好きのスタッフご夫婦が二本松へとで掛けて行き、運んできて樹下美術館も分けてもらったといういきさつだった。
晩秋の時雨どきに慌ただしく植えたので場所を失念していた。それが思わぬ生き生きとした姿で現れて正直驚いた。
樹下美術館の庭は乾燥する砂地のためシラネアオイは辛いところだ。だが、このたびの場所は南側の水路にかかる雑木の下でやや湿潤している。福島の花は絶好の場所を得たのかもしれない。これからがとても楽しみだ。
近くにもう一株のシラネアオイととショウジョウバカマが芽を出している。
あまつさえイカリソウまで付いていて、どんな花が咲くのだろう、とても楽しみである。
花は福島第一から50㎞は離れている自主避難区域からやってきた。
樹下美術館での安住と増殖を願っている。
今夕特養ホームしおさいの里の会があった。
本日夕刻、週一で出向している特別養護老人ホーム「しおさいの里」の職員歓送迎会が直江津駅前「ハイマート」であった。
19:30という遅い開会時間をみても、福祉職が如何に懸命な労働をしているかが、伺われる。
かつての患者さんや縁者も同園に入所されているが、精一杯の世話に感謝に堪えない。
しおさいの里はパートも入れて150人もの職員さんがいて、配置医師も通常より多く3人が委嘱され、良いチームワークを維持している。
今後福祉の圧縮がささやかれているが、そんなことは絶対にあってはならないことだと思う。
さて本日会場で乾杯を促され、45秒くらいで以下を話させて頂いた。
「多くの骨董屋さんの店先には勲何等という立派な勲章が、ホコリをかぶって売り出されている。たとえ生前栄誉に輝いた人でも勲章を売られ、悲しい環境で終末を迎えることも珍しくない。終わり良ければすべてよし、終わり悪ければすべて悪しでもありましょう。しおさいの里で最後を迎える方たちに温かく接する皆さんを立派だと思う」と述べさせて頂いた。
私も最後が近づいたなら、認知症になっていても画帳を一冊持ってしおさいの里さんでお世話になろうと、思っています。
しおさいの里、夕映えの郷、だんらん、えびすはまデイホーム米、さいがた病院、、、。樹下美術館の周りには福祉医療施設が沢山あります。
團伊玖磨著「好きな歌・嫌いな歌」の˝夏は来ぬ˝
先日のノートに上越市大潟区で、堀川正紀氏らによって同区出身の作曲家小山作之助のわかりやすいテキストが生誕150年として刊行されたことを書いた。作之助は私どもの古い縁者でありながら筆者の理解は十分でない。それでも明治39年生まれの父は、生前の作之助を叔父さんと呼び、学生時代に交流したと聞いていた。
このたびは音楽と文芸の才人、故團玖磨氏の著書をもとに作之助のエッセンスを紹介させて頂きたいと思う。
團氏の著書に「好きな歌・嫌いな歌」という興味深いエッセイ集がある。春の小川、この道、港が見える丘、襟裳岬、知床旅情、夏の思い出、雀の学校、ぞうさん、帰って来たヨッパライ、夜明けの歌、あなた、雪の降るまちを、など63曲が取り上げられ、明解に考察されている。
手許の『好きな歌・嫌いな歌」 著者・團伊玖磨 読売新聞社発行
昭和五十四年八月十日第五刷 から表紙
作之助作曲˝夏は来ぬ˝は本書の15番目に4ページにわたって登場する。卯の花と時鳥(ホトトギス)の季節が紹介された後、次の様に始まている。
「この歌は、佐佐木信綱博士の、古風で格調は高いが、やや形式主義的な歌詞を、平易で流動的な旋律がみごとにこなした良い歌である。」
「始まってすぐの第三番目の音˝うのはな˝の˝は˝の部分に、七声音階の第四音ファがつかわれているために、ヨナ抜きの凡俗さを打ち消して、すがすがしい印象を与えることに成功している」
筆者註:ヨナ抜きとは、ドレミファソラシドの4音ファと7音シを抜いたメロディのことで、日本調といわれる歌のほとんどはこの形式に基づいている。
続いて作之助作曲の、敵は幾万、寄宿舎の古釣瓶、漁業の歌、川中島を挙げて、
「この作曲者の他をぬきんでた優秀性が浮かび上がってく来る」とした上で、
「この作曲者は、長い歌詞を歌にまとめるのが上手だった事が判る。長い歌詞を上手にまとめられれば、歌の作曲者としては先ず一級と言って良い。勘だけでは無い方法論がそこに必要になって来るからである」と続けられる。
そして、
「その方法として、-中略ー明治の唱歌としては珍しい早いテンポを設定し、音符を細かに分けることを実行した」と述べ、
「やたらにセンティメンタルでのろのろとした歌が多く、それを破る場合には軍隊調のマーチ・テンポのものしか無かった明治時代の唱歌の基本的音楽的内容に較べて、作曲家小山作之助の仕事は輝いている」とされた。
最後に、
「この古い時代に、新しい感性と知性を以て、日本の唱歌にフレッシュな方法論を注入したこの作曲家はもっと評価される可きだと思う」とまとめている。
夏は来ぬの後には知床旅情と襟裳岬が続く。
小山作之助:文久3年12月11日{1864年1月19日)-昭和2年(1927年)6月27日
(引用しました本文の多くを省略いたしました)
大きな円がゆっくり回っている。
昨日は嵐の後の晴れ間が見られた。そんな日にあるおうちからシイタケとコゴミを頂いた。
美味しそうなシイタケと青々した春一番の山菜コゴミ。頂いたおうちのおばあさんはいつもニコニコし、常に娘さんが付き添われる。
その昔、そこのお孫さん兄妹が小学生のころ、宿題のインタビューを受けた。兄妹は明るく活発だった。
当時から頂き物をしていたのである日、二人を我が家の夕食に誘った。スパゲッティとコーンポタージュを楽しく食べたが、小さなお客様との食事は懐かしい。
今二人はすっかり成人していて、飛行機好きのお兄ちゃんは大きな空港で、可愛い妹さんは幼稚園で頑張っている。
さて本日村上市からご夫婦のお客様があった。昨年一年間、小生が「樹下美術館だより」を書かせて頂いた茶道月刊誌「石州」の読者さんだった。館内のノートには感激された旨ていねいにしたためられていた。遠いところからお寄り頂き、私たちの方こそ感謝しています。
患者さんや来館者さんとのことでは、大きな円がゆっくりと回っているイメージがあります。
嵐の後の草木。
本日の午後、まだ風が残っていたが一応嵐は去った。はがれたトタン屋根の音などで眠れなかったと仰る方が何人もいた。
午後の施設の往復の際、美術館の庭や新堀川の樹木{桜、ハクモクレン)を見た。美術館では移植した若い松は頑張り、芍薬の芽もしゃんとしていた。
上越市大潟区は犀潟の新堀川に沿って咲く大きなハクモクレンや桜に、嵐の痕が見られた。
毎年みごとな花をつけるハクモクレン。本日上部は茶枯れし、北向きに揃うはずの花はばらけている。近くでは桜の大きな枝がぼっきり折れていた。
樹木や花はひどい環境変化にも対応できるように進化している。しかし容赦ない嵐が去った後にはやはり痛々しい爪痕が見られた。満開の前だったので多くの桜は助かったのでは。
猛烈な低気圧 一歩も出ない休日。
すでに何日も前から予報されていた猛烈な低気圧(爆弾低気圧)の一日。予報が強調され、こんなにぴったり当たるのはよほど際だった現象に違いない。
外出は控えてとも言われていたが、いまだ出来上がらない収蔵図録の表や挨拶の修正で一歩も外出しなかった。
ドードーと鳴る風に促され9:20に起床。すでに妻は柏崎市のお茶会に友人と出かけ、朝昼兼用の食事が用意されている。まるで病院食のようだがこれを11時に美味しく食べた。閉じこもりの一日、合計およそ500段の階段昇降だけは忘れずに行った。
仕事上の書類にも追われたり色々忙しいが、爆弾低気圧と聞いて気象計も見なければならない。13時過ぎのバリゴ気象計の気圧は最低表示の980hPaに接して動かなくなっていた。一昨日午前の指標およそ1010hPaからすでに30以上下がっている。バリゴには970までは表示してほしいところ。
気圧計の針は時計回りにゆっくり戻っていくが21時ころは992hPaでまだ相当に低い。ノートを書いている23時半でも995、戸などはガタガタ鳴っている。
全国の気象台・測候所のデータを見ると国内はまんべんなく大風に吹かれ、気圧は北ほど明確に低下している。弱まりながら北上する台風とは大違いの様相だ。ちなみに夕刻の高田と新潟はともに978hPa。新潟県も大いに吹かれていたことになる。確かに爆弾と呼ぶにふさわしい凶暴な気象であろう。
その大嵐のなか海岸線を走り茶会に行き無事帰宅してきた妻。閉じられていると思った樹下美術館は開いていて、数組の来館者さんがあったという。私が臆病なのか、皆様が勇敢なのか。少なくとも周囲は無事だったようでホッとさせてもらった。
嵐の前の庭。
明日から明後日にかけて爆弾低気圧という嵐の予報が出ている。一昨日あたりから大々的に報道されていて台風なみだという。
名前からして威圧的であり近海で生まれた若い嵐という印象から、相当な荒れ方をする予感がする。
本日すでに朝から雨交じりの生暖かな風が吹き始めた。
東日本大震災のころ、たまたま震源地を向いていたとして掲載させて頂いた愛らしいお地蔵さん。ヒュウガミズキと若いヤブツバキの間にたたずんでいる。
マメザクラと言うらしい桜で、高原から来た品種のようだ。かつて寒い季節に富士のすそ野を走った時、同行の人からフジザクラと教えてもらった。
ソメイヨシノより小型の花はより下を向いて咲くという。移植後いっとき弱ったが、次第に元気が出てきた。庭の入り口で咲く風情はしおらしい。
午後美術館に寄っ.た。上掲のように隣接の庭は予報も知らぬげに静かだった。嵐は来てみないとなかなか実感しにくい。
「夏は来ぬの」小山作之助物語の発行。
去る3月29日の上越タイムスおよび4月4日の新潟日報に「小山作之助物語」発行の記事が出た。生誕150年を記念して出版され、学童向きとしてA4版53ページにわたる書物の漢字はしっかりルビがふられ、要点は明確で大変に読みやすくなっている。
編者は上越市大潟区で続く卯の花音楽祭実行委員長の堀川正紀氏と委員の山本栄美さん。
作之助は学校教育に音楽を取り入れ、作曲、演奏、教授する先生や演奏家を育てる東京芸術大学音楽部の礎を作り、「音楽教育の母」と謳われる上越市大潟区出身の人です。
新潟日報の記事。どうか大きくしてご覧ください。
冊子はA4版で53ページ、大潟区在住の小嶋秀男さんのイラストも素晴らしい。
上京してからの作之助です(本文14ページ)。大きくしてご覧ください。
作之助は現明治学院大学に通い、芝寮で同宿する海軍軍楽隊員と夜を徹して音楽談義をしたという(本文15ページ)。
以前触れたことがありますが、文久3年(1864年)生まれの作之助の母トヨ(弘化2年・1845年生まれ)は私ども杉田の出です。また作之助の弟・直次郎は当家に養子入りし、私の祖父になります。
縁者にあたる先人について普段何もせず、堀川先生はじめ皆様に顕彰事業をお任せしていること、大変心苦しく思っています。
このたびの出版は要点急所への配慮が素晴らしく、ご苦労のほどが痛いほど伝わります。
今後手許にある若干の写真や資料とともに、作之助に関する話題(作之助の短歌、還暦祝賀会、音楽葬、前島密の養女格であった松夫人、団伊玖磨氏の随筆など)、を掲載して参りたいと思います。上掲しました文書画面が小さく、拡大の労をお掛けしますこと申し訳なく思っています。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「好き」だった。
- 妙高市はいもり池の近く「ギャラリー峨々」を訪ねた。樹下美術館も紅葉。
- 再び良寛椿の苗。
- 1本の木にキンカンとカラタチの実が。
- 秋晴れの日のゴルフ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 本日ジョケラさん初日。
- 明日からジョケラさんの展示会 高宮あけみ展のご来館有り難うございました。
- 別れ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その2。
- 講演会「良寛さんに学ぶ」が無事終了した。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その1。
- 来たる11月7日からラッセル・ジョケラさんの展示会 晩秋の花 近隣のコハクチョウ
- 先週末の種々。
- 高田高等学校創立150周年の秋 いたくら桜園 近隣の秋。
- 「ラッセル・ジョケラ木工展」 可愛いお子さんとおじいちゃん。
- 本日今年最後の同業ゴルフ。
- 今夜のコンサート カッチーニの「アヴェ・マリア」。
- 信州は須坂で江戸時代の料理を食べる 満月、私達の奇跡。
- 失った1枚 栗。
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