2013年1月
とびきりの晴天。
今日で終わる1月、晴れ渡り暖かな一日だった。小春日和にちがいないが春よりも明るい感じがした。
首まで田に顔を突っ込んでおそらく稲の根を食べている。かなり賑やか。
まだ遠いところにいたヘリコプターの音にマガンは一斉に飛び立った。
動じる気配の無いハクチョウに比べて雁は非常に神経質。
このヘリを見ておや?と思った。二枚羽は珍しいのでは。二枚羽ヘリの騒音はバタバタと独特で大きい。事実見えないほど遠くなのに、大きな音がはっきり聞こえてきた。現在、取材や救難、そしてドクターへりなどほとんどが四枚羽のようだ。
上越市吉川区は長峰近くの田に数百羽のマガンと60~70羽のオオハクチョウがいた。人家の近くに多数の大型の野鳥が過ごしている。よい環境ではないだろうか。
2月になるとこのような素晴らしい晴れ間と出会うが、今年の春は早いのか。
みかんと皿の絵。
一昨日届いた「文芸たかだ」一月号の表紙は拙生が描いたものでした。私の場合、旨く出来た所は大抵偶然で、一生懸命描いた所に何かと不備を感じます。
由緒ある貴重な「文芸たかだ」は髙田文化協会が発行しています。当会は今年50周年に当たりますので、それで二色だった表紙がカラーになったのでしょうか。1月号の私は幸運でした。
「みかんと皿」。
SM(サムホール)という小さな定型キャンバス(158x228ミリ)です。
表紙にはサインを忘れてしまい、昨日入れてみました。
不慣れな油絵のサインは新たな反省材料です。
※申し分けありません、最も小さいキャンバスに0(ゼロ)号があります。
アマチュアの自分にお鉢を回して下さった髙田文化協会のご温情を感謝しなければなりません。隔月発行なので3月号、5月号の宿題を楽しめればと思っています。もう次号に取りかからなければ。
本日ドッグ健診の一環で上越医会館で胃カメラを飲みました。再び抜き出すので正式には“飲んでまた出しました”なのでしょうか。無事だった模様で、丁寧に検査して下さったK先生、有り難うございました。
寒気が一休みした夕刻。
寒波が去った日曜日、お天気だったが日中は留守番と宿題だった。
2月は節分寒波というのがあるが、しばらく寒気が緩むようことを予報が知らせている。
午後4時を過ぎた頃海へ向かった。
2008年2月に掲載した浜小屋はまだあるが随分傷んだ。今後どうなるのだろう。
吹雪の合間に海から田へ。
強い寒気が来ているが、午後から時折うす陽が射した。仕事が休みなので妻を誘って車に乗った。まず冬の海に寄り、その後田んぼの野鳥を見ようという事で出かけた。
強風の海で風上に向かってカモメが飛んでくる。カモメは強靱だ。
上越市柿崎区上下浜にあるマリンホテルハマナスの下は渚のすぐそばまで車が入る。私たちの隣に止まった車は長野県のナンバーだった。ここは季節を通してお隣の県の車が来る。
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新井柿崎線を横切って柿崎区上直海へ向かった。吹雪の田に、ツグミのように見えた20羽くらいの鳥がやってきた。特に餌を探す訳でもなく、皆でじっとして間もなく飛び立った。一休みだったのかな。
上直海や上金原の集落は田の中であり、海辺に似た風が吹く。ここから通勤する方たちは年に何度か吹雪によるホワイトアウトのため、大変恐い思いをすると聞いた。
私たちも帰りに道が見えなくなり、しばらく止まってから大きな通りへ引き返した。
雪のため農道に入れず大型の鳥を見ることは出来なかった。朝日池は大波が立ち、林の岸に寄って鴨たちが風をよけていた。
一時間半ほどの外出だったが、描いてみたい風景ばかりだった。随分長いドライブをしたように感じたとは妻の感想でした。
吹雪の日の若松。
本日から上越市大潟区も今冬二回目の強い寒波に見舞われた。週末にかけて数日続く模様だが、昨年のような豪雪は免れますように。
・松樹千年翠 (しょうじゅせんねんのみどり) 移ろいやすい世界にあって松の緑の如く生き生きとして変わらぬことの貴重。
・松無古今色(まつにここんのいろなし) 松の色のように古今(老若、時代)を問わず等しく変わりない価値というものがある。命や美のことではないかと理解しています。
お茶室に掛けられる一行書の掛け軸の言葉は禅語が多い。松の題材は色々ありますが、よく見たものを二つ挙げてみました。ほか自然に関するものでは、月、水、山、雲などが多いようです。
原発、県民投票条例案が否決されて。
上越市大潟区は信じがたいほどの無雪状態で冬の後半を迎えている。ただ明日から寒波と予報が伝えた。
さて昨年6月下旬から二ヶ月間にわたって柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に関する県民投票条例の実現を目指す署名集めがあった。微力ながら自分も受任者となり皆様の貴重な一筆ずつを頂いた。
文字通り手弁当で行う僅か二ヶ月の署名活動。署名は捺印も必要としていた。それでも反応は全県下に及び、法定の4万筆を超える6万8千の意思表示は重かったはずである。
原発は一旦シビア事故となれば立地地元を越えて深刻な影響が拡大する。また平時静かであっても不安はぬぐえない。
条例が目指したものは、施設再稼働に関連した意向を聞くのに地元自治体だけにしないで広く県民も、というもので、まっとうな提案であった。
しかし昨日県議会が開かれ、知事が修正して提出した条例案およびある党の修正案も大多数の議員によって否決された。
多数党は議案を形式論に転嫁させ、意味・内容の議論という議会の責任を十分に果たさず終了した。あたかも裁判所のごとくであり、新潟県議会は遠く鈍く恐ろしい所だと思った。
すでに中越沖地震で影響を受けている発電所の課題は残る。一方経済構造に直結しているだけに関係者の生活不安は大きいと思われる。当原発の技術課題は会社が、稼働可否判断と補償は国が責任をもって対応すべきは論を待たない。しかしそれらの過程で中間を繋ぐ県議会は、なぜ当事者足りる全県民の意向と真摯に向き合おうとしないのだろうか。
私の仕事場はおよそ柏崎刈羽から30キロすれすれにある。やはり不安である。もっと近くの人を思えば胸が痛む。原発の安全性は人間の頭脳と技術の範囲だ。しかし自然現象と原発自身の人知を超える本質は人を不安にさせる。そもそも原子力発電所の安全性とはどんな概念だろう。
【安全な原発の成否とは次のような事かもしれない】
今後どうしても原発が必要ならば首都圏(あるいは大都市)に作ることを絶対条件にすべきだ。それにより問題が分かりやすく浮かぶ。
実際、多リスクの首都である、安全は基準を越えてとことん追求されるであろう。だが果たして万全というものが完成するだろうか。そして最も高いハードルが別にある。都民の意向であり、どんなものなのか想像もできない。
生産(経済活動)と生活はしばしば衝突する。しかし多くは工夫・妥協によって何とか均衡を保とうとする。そんな中で使用済み核燃料や廃炉を含め原子力発電だけは、住民の心身健康と創造的な生活に対して埋めがたい溝を生じせしめる。
国策、、、。昨日の県議会では何の響きも無くこの言葉が使われた。国の冠の前に善良勤勉な県民が無力のまま置かれるのは悲しいことだ。課題は流動し国策といえども生き物であろう。柔軟な部分を有してなければ現実に対して深刻なズレを免れない。
不安の無い清澄な郷土、無力感の漂わない新潟県であることを心から思い願っている。
暖かな大寒の日に絵画のサインを撮影。
倉石隆の絵画のサインを図録に載せようということで、写真を撮りに美術館へ行った。
穏やかな晴れ間の夕刻、遠回りをして雑木林や田んぼを通った。かつて午後4時といえば辺りは暗くなったのが4時40分の空はまだ明るい。
作業の後始末。イーゼルに乗せ照明を当てて30枚近く撮った。
倉石隆の作品には傑作と思われるものでサインが無いこともある。
今朝の新聞は本日の大寒を知らせていた。しかし、暖かい。
拙句) 大寒や見上ぐる空の高さかな
いっときの吹雪 海辺の雪。
日中時折吹雪いた一日、しかし降雪は少なかった。ずっと除雪車の出動が無く本日夕方の積雪も10㎝に満たない程度で助かっている。1月も下旬となり暦の冬はあと半分。いつまでこの状態が続くか。
海と雪で言いますと、波が打ち寄せる付近に普段雪はありません。100メートルくらい離れた所でもまず大雪にはなりません。しかしドカ雪ともなると宅地で一晩に50~60㎝ということはあります。そんな時は波打ち際ぎりぎりまである程度の積雪があります。
冬期の積雪が少ないのは海温の影響で気温がいくぶん高めなことと、強風のせいだと思っています。
沿岸の雪は重く、小学生の時のスキーは傾斜地を真っ直ぐ滑って止まるだけでした。それが髙田の中学に入り、金谷山のスキー授業で級友達が回転するのを見て驚きました。中でも妙高市の級友の滑りは鮮やかで印象に残っています。
フランス若者のギター演奏 テンポは憲法 飯吉馨さん。
降る降ると予報は連日伝えているが、上越市大潟区の仕事場一帯にほとんど雪はない。
インフルエンザが流行していて、何人もの方と接している。すると自分まで風邪を引いているような錯覚に陥る。
本日はフランスの若者のギター演奏をyou tubeから引いてきました。
ジャンゴ・ラインハルトの記念演奏会のようなシチュエーションで“Swing 48”が演奏されています。三人ともジャージーにソロを展開しています。一番右端のスワン・ベルジェール君の余裕の表情はとてもチャーミングですね。
子どもやアマチュアの音楽はテンポが乱れやすいと云われますが、堂々たるものです。“テンポは憲法”とは上越が生んだ亡きピアニスト・編曲家飯吉馨さんの口癖でした。
記念砲台 倉石氏と同じ場所 越前海岸からの水仙。
私の高校時代は患った結核のため卒業まで4年もかかり、総じて孤独だった。そんな時代の、数少ない楽しい思い出に、ある日の美術の授業がある。
穏やかな春陽の日、私は一人で学校を出てどこか小高い場所へ行った。そこで関田山脈を背景に桃の花咲く田を描いた。思った以上に旨く描けうっとりするような時間を過ごした。
しかしその後、絵を描いた場所が全く思い出せなくなった。ある場所まで辿ると忽然と消えるのだ。現在母校・髙田高校の周囲には田も高台も無い。あれだけ気持ちよく山脈を見遙かせた場所とはどこだったのか。
ところで一昨日、故倉石隆氏の奥様とお電話で話した折り、氏の髙田中学時代のことをお尋ねした。氏には矢野利隆、賀川孝、矢島甲子夫各氏の同世代で中学からの画友がいる。
そのお電話で、幻のごとき場所の名前が出た。中学時代の倉石氏は、仲間とともに授業をさぼってはよく「記念砲台」へ行ってスケッチをしていたとお聞きした。
記念砲台?うっすら聞き覚えがあった。しかしかすかに耳に残るその場所はどこなのか、判然としない。
そして昨日夕刻、倉石氏の交友関係のことをさらに聞くべく髙田の舟見倹二さん宅をお訪ねした。舟見氏は倉石隆氏より7、8才お若いが、現在も旺盛な制作活動を続けられ芸術家たちの世代を繋ぐ大切な役割をされている。
多岐かつ詳細なお話は興味深いものばかりだった。一段落すると「記念砲台」とは何ですか、とお尋ねしてみた。
「そりゃまた、懐かしいものが出てきたね」と仰った。
現在本城町にある地域振興局(旧上越支庁舎)の場所は、かつて一段高い土手状になっていた。そこを記念砲台と呼んでいたが、陸軍髙田師団の演習地だったようだ。
氏の父君は師団の重要施設・偕行舎を預かる将校だった。それで冬が近づくと百を超える植木鉢に雪よけを施すため記念砲台へ行って茅や笹を刈って運んだ。子どもには大変だったが懐かしい場所とおっしゃった。
同行した妻は妻で「学校のスキー授業が記念砲台であった」と述べた。
格調高い舟見邸の一室。
興味深いご自分の作品が展示されていて見飽きることがない。
髙田の街は変わった。なるほど振興局(支庁舎)のある所に、かつて記念砲台と呼ばれる台地があったなら当時の田も、桃も山脈まで一望できたろう。自分が写生をした場所はそこにちがいない。学校からおよそ10分、方向も距離も体が覚えているものと合っている。
高校時代の貴重なひとときを過ごした場所の謎が、この2日間で突然解けた。そこはかつて倉石隆が授業を抜け出し仲間とともに絵を描いた所でもあったとは、幸運なことだった。
砲台で舟見氏は茅を刈り、妻はスキーをしたという。髙田の人達にとって記念砲台は、色々と懐かしい場所だったのではないだろうか。
※付記:記念砲台で納得出来る絵が描けた午後、とても気を良くして学校へ戻りました。何かと自信が無かった学業や健康でしたが、その頃から自分を包んでいた悲観的な気分が漠然とした希望へ変わりはじめたような印象があります。
この一年で高校を卒業できる、、、「春の記念砲台」。
(記事を書いてからあの日あの頃、その気分などが漠然とよみがえりました。そのため付記の部分を翌日1月15日に追加しました)
本日の東京は荒天となり銀座にも積雪があったという。当地大潟区はみぞれが降ったもののほとんど積雪はない。
夕雲が巨人になった 倉石隆氏のモノトーン。
先日の夕刻、仕事の帰り道が西に向いた。曇り空におぼろげな陽が見えて、ジグザグの雲が掛かっていた。
倉石隆氏によく見られるモノトーンの調子に似ていると思った。縦横一枚ずつ撮影して帰り、写真の上下を変えてみると人が歩いているような姿となった。
逆さにすると夕陽を背に巨人が歩く姿、あるいは種をまく人のようでもある。
とても気に入っている倉石氏の「画室」。油彩 99.0×99.0㎝
夕暮れの空の色から倉石氏のモノトーンの絵が繰り返し浮かぶようになった。そもそも氏の絵画は華やかな色相のそれではなく、陰影を重んじたモノトーン調で描かれるものが非常に多い。グレー系のほか朱色(バーミリオン)も好まれる。
倉石作品の制作年や氏の交友など溜め込んでいた宿題があったので本日昼、久しぶりに奥様にお電話した。とてもお元気なお声に安堵するとともに、モノトーンのことで以下の様な生前のご本人のお話が聞けた。
“南国的な絵への憧れはあるが、色彩に乏しい雪国で育ったためどうしてもモノトーンの傾向になる”
と仰っていたと云う。明快なお話だった。
全くの例外はあろうが、新潟県出身(雪国)の画家には内的で実直な傾向が共通するのだろうか。芸術を形成するいくつかの要素のなかで故郷の影響は重要なものの一つかもしれない。
そのほかにも興味深いお話を伺って有益だった。あと一息の図録、突破口になりそうな気がした。
茜の米山 日が少し長くなった チューリップ。
午後から晴れ間が見えた日、寒波はしばらく遠のく気配となった。
夕刻の在宅回りで米山が茜に染まっていた。
米山(標高992,5メートル)
次第に日が長くなっているのが分かる。いっ時より30分は延長したようだ。
新潟市の方から届いたチューリップ。
一気に部屋も心も明るくなりました。
“有り難うございました”
チューリップは新潟県の県花。切り花、球根とも日本一を誇っています。冬の花はハウス栽培によるもので、気温が低い玄関なら、ひと月近く咲き続けてくれるでしょう(二、三日に一度は水替えしたほうが良いようです)。
冬の小鳥へ簡素な餌台。
12月初め突然のドカ雪以来小康でしたが、本日今冬2回目の寒波到来となりました。
仕事場の上越市大潟区は沿岸ですので、今のところ何とか大雪を免れています。本日は昨年同様に小鳥向きの餌台を窓辺の手すりに付けました。まことに簡素なものですが、この雪ですからスズメなどが訪れると思います。
本日の庭。正面は昨年夏にコムクドリが営巣したネムノキです。
ガムテープとヒモで軒下に取り急ぎの餌台。
餌はかりんとうを砕きました。
何度か書きましたが多くの雪国の昔の人は、冬になると暖かな地方へ出稼ぎに行きました。
黙々とした人々から渡り鳥を思わせる印象を受けます。
春の帰還は皆にとってどんなに楽しみだったでしょう。
帰るとすぐに春の田仕事が始まったのですね。
しものがえ 汽笛に涙。
連日雪の予報はあるが美術館の頸城区、仕事場の大潟区ともほとんど積雪がない。但し明日から寒波という話も聞こえる。
さて、一昨日は皆様からお聞きした話として、農家の忙しい冬を書かせていただきました。本日は知る方もいらっしゃると思いますが、「しものがえ」です。
初めて聞いた言葉しものがえは、お嫁さんをもらうと、今度は相手方の家にこちらからお嫁に行くことを指しています。一定の年月の間に二つの家の間でお嫁さんが往き来するのですね。
なるほど、一度親戚になっているので、互いの家の様子が分かっている。問題がなければ安心であり、他を探す手間が省ける利点?が考えられます。
“親戚が増えないことも良かったのです”とも聞きました。余計な親戚づきあいを省き、倹約にもなるということですね。
しものがえは戦後のある時期まで、珍しいことではなかったと云います。昔は子どもを沢山生みましたのでこんなことができたのですね。(様式はともかく、言い方は当地だけのものかもしれません)
ところで当院では、冬期の通院の厳しさを考えて慢性の方にはお薬を長めにお出ししてます。それでお正月が終わったばかりの今頃はかなりヒマなため、何かと皆様に昔のことをお聴きしています。次は今夕の方のお話です。
“15才で名古屋に女中奉公に行きました。たまに親から手紙が来ましたので風呂場で読みました。その時に汽笛が聞こえると帰りたくて涙がでました”
この方は私より7つ年上、奉公はさほど古い話ではないことも知りました。
小生が撮った10代のころ(1950年代中頃)の上越市大潟区の広い海岸。
夢のような春の浜は浸食され、いくらお金を出してももう戻りません。
一年で一番忙しかった冬 浅草の人形屋 ワラ仕事など。
この数年冬になると、昔はどうしてましたかと患者さん達に聞くようになった。
不便な時代に行われた娘さんたちの奉公、男衆の酒屋もん(越後杜氏)。これらには時代の困苦とともに、人の逞しさと表日本や関東のまぶしい冬の陽光が重なる
以前、山間地出身の年配の男性に杜氏だと思ってお尋ねたら「浅草へ行ってました」と返事された。
「浅草の酒屋さんですか」
「いえ、人形屋です」
笑って仰っり、次のような話をされた。
秋の田仕事が終わると毎年浅草の人形屋へ行った。すぐに取りかかるのが羽子板づくりだった。12月中旬すぎると始まる羽子板市へ向かって精を出す。それが終わると三月のひな人形、そして最後の五月人形まで休みは無かった。
作るだけではなく売るのも仕事だった。博多のデパートはよく行ったと云う。
「博多はどこですか」
「岩田屋です、まだありますかね」
岩田屋は博多で学んだ母から聞いていたし、今もって立派なデパートだ。
話をお聞きした方は人形相手にさっそうと浅草から博多まで往来されていたのだ。男性だが色白でとても目鼻がはっきりしている。ご本人までがお人形のようで不思議な感じだった。
こうして聞く皆さんの話は、一部であっても小生の半生などよりはるかに興味深い。どうしてだろう。
それにしても働き手が出稼ぎに出た農家の冬場は、年寄りと女衆、子どもまで皆が忙しかったらしい。
「ワラ打ち」「縄ない」「ムシロ編み」「ぞうり編み」「俵づくり」「カマス編み」等々、ワラ仕事は総出だったという。ある方は「モンペや野良着をこしらえたり、修繕するのもこの時期。冬は一年で一番忙しかもしれませんね」と仰った。
春は待つだけではないのだ。昔人の話は聞きやすい上ためになり有り難い。
晴天の日、新井柿崎線で柿崎の海へ。
思わぬ晴天が訪れる。午後スーパーで角封筒などを買って、新井柿崎線で柿崎まで行き海岸を歩いた。
道中右手に超有名な「三階節」の米山。山頂に薬師堂と山小屋。
山小屋へ初登山した人達の道跡が見えませんか。
キャノンEOS60Dに200㎜の望遠ズームで撮り、トリミングしています。
(300㎜が欲しいのですが)。
砂浜のある場所へくると千鳥と出会いますが、とてもすばしっこいのです。
(300㎜のレンズ、、、)。
青いガラスの浮子玉(うきだま)。浮かんで海中の漁網を吊します。
今も使われているのでしょうか。
すでに日没は冬至の前から遅くなっているといいます。逆に日の出は今頃がもっとも遅いようです。
寒い日。
連日大雪注意報が出るがドカ雪は免れている。予報がオオカミ少年化して、不意な大雪にならなければいいのですが。
本日が仕事始め、気になったいた方たちも無事年を越えられました。
夕暮れのカラスたちも寒風を楽しむ風情。私は寒い寒いと言っていた一日でした。
雪が無い2013年の正月 その食事など。
元旦から東京の縁者が髙田に見えているので昨夕の食事をホテルで付き合った。先日“家の食べ物が一番美味しい”と大見得を切った妻も、正月の外食と聞くと嬉しそうにしているので現金だ。
驚いたことに、昨夜の髙田はほとんど雪がみられず、海沿いの大潟がずっと多い。
相客は心理学の教授。専門分野のほか、旅、酒、料理、音楽、歌舞伎まで実に詳しく、楽しかった。
夕刻6時の髙田。
まもなくこの先に16階建ての建物ができる。髙田はかなり変わる予感がする。
ホテルの食事は“のどぐろ”の一夜干しからはじまった。妻と教授は結構飲む。
私はビール少々と、文字鮮やかな山崎のグラスで飲んだハイボール一杯で十分に有り難くなる。
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- かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「すき」と書かれた。
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- 別れ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その2。
- 講演会「良寛さんに学ぶ」が無事終了した。
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