S先生の白衣。

2012年8月9日(木曜日)

一昨日、新潟県上越市の頸北地域で長く医療をされたS先生が亡くなられた。享年85才、今夕直江津でお通夜があった。髙田の病院8年、当地で51年間の地域医療を遂行された生涯だった。 

 

先生には、医療の原点ともいうべきエピソードがいくつかある。以下思い出を交えて一部をご紹介してみたい。

●30年以上も前、当地で駆け出しの頃、よく先生とゴルフをご一緒した。先生に自分はゴルフは好きだが、患者さんが心配で仕方ないことがある、と言った。すると先生は「心配なら出かける前に診てくればいいんだ」と話され、自分はそうしていると仰った。医師の休暇とはそういうものだと明快に教えられ、眼からウロコの言葉だった。

 

●45,6年前のこと私はまだ学生で、往診中の父が交通事故を起こして手術をした。リハから復帰まで二ヶ月ほどかかった。その間、S先生から週に一度代診をしてもらった。後年お礼を言うたびに「お互い様さ、助け合えばいいんだよ」と仰った。これも後々まで地域医療の重要なキーワードになることを実感させられた。

 

●以下は最近私の患者さんからお聞きした話になります。
昔、私(患者さん)たちは町の医者まで一時間以上かかる山に住んでいた。ある冬、父が腹痛で苦しんだ。近くの診療所で診てもらったが、悪くなるばかりだった。

里の方に若い先生が来たというので、私が夜道を下って呼びに行った。どうか診てください、助けてください、と必死に頼みました。

「女の人にそんなに泣かれては仕方がない、行きましょう」と先生は承諾された。

上りの雪道を二時間歩いて案内することになった。診察すると、腸閉塞ですからすぐ町の病院で手術です、と言われた。男手が集まって父をソリに乗せ病院に向かった。手術で父は助かり、S先生は私たちの恩人です。

 

さて2007年7月に中越沖地震があった。医師会長職を汚していた自分は震央に近いS先生宅などを見て回った。「ふかし君、どこから手を付けて良いか分からないよ」
初めて聞くような力ない先生のお声だった。
薬棚ほかあらゆるものが倒れ、あるものは割れ散乱していた。先生はすでに80才ではなかったか、ややおぼつかな気な長身の白衣が印象的だった。翌日事務局から何人も出てもらって後片付けをした。

 

今日のお通夜、先生の白衣が入り口に置かれていた。

 

直江津港の夕景お通夜の帰りの直江津港。

2012年8月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

▲ このページのTOPへ