南国・西国の小旅行Ⅳ:虹の松原で泣く。

2012年3月22日(木曜日)

3月18日(日)、九大病院からタクシーに乗り最寄りの地下鉄駅で降りた。地下鉄は姪浜から陸上へ出ると筑肥線となり玄界灘に添って走る。車窓は広く次々に変わる海の景色が美しかった。小雨が降ったり止んだりしていた。

 

筑肥線の車窓
筑肥線あなどるなかれ、これが普通列車。

若き日の母のことで、写真によって唯一場所が特定出来るのが虹の松原だ。西唐津行きの普通列車は11時半ころに当地へ到着した。小さな空色の駅舎は無人で、目の前にはすでに広大な松原が広がっている。何十万何百万本といわれる黒松が続く素晴らしい場所だった。

駅青く塗られた愛らしい虹の松原駅

19才・虹の松原左19才の母の虹の松原。学校の合宿のような行事があったらしい。

東に向かって延びる松原IMG_0186
東に向かって白砂と松原
西に延びる松原
西へも

 

多分ここへ来たら泣くだろうと思っていた。その通り松原を横断して白い砂浜に出るとすぐに涙がこぼれた。

また来ましたよ、背中の遺影に言葉を掛けた。ウオーキングの人たちは林の道を足早に歩く。砂浜を歩くのは自分だけだ。遠慮なく涙を落としながら歩いた。

カメラを見ていた日傘の母は77年経って車椅子の遺影となって背中に居る。しかし老若を駆け抜けたその人は、人生のはかなさだけを伝えているようには思われなかった。学び読み倹約し、老後も懸命に自立を続けた姿を私は脳裏に刻んでいる。

 遺影
享年96才、小さな遺影となって。

この人からもらった人生。はかなくはあっても美しい砂浜で泣いているだけで有り難いことではないのか。憐憫とともに深い感謝に包まれた。

 

感傷と言われればその通りだと思う。25年前の正月に、3泊4日の京都・奈良旅行を子どもたちとした。以来今日まで生きて、感傷旅行以外に私の旅は考えられなかった。

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