陶齋の書簡 脇付のいろいろ 作家・ファンのエッセンス

2012年1月29日(日曜日)

このたびは父に宛てた齋藤三郎'(陶齋)さんの書簡を取り上げてみました。

 

氏は教養の人だけあって手紙の内容、用語とも味わいがあります。絵が添えられているものもあり、和めます。
以下はいくつかある手紙の一部です。候文で書かれた内容は、近況報告と支援など様々な相談がみられます。時代は昭和20年代中頃。窯を築き土を求め大量の薪を用意する、展示会のための手間と旅、水準を維持するためのお付き合い、そして税務署のことまで、、、。

戦後の困窮を引きずる時代にあって芸術活動はあらゆる不足と直面せざるを得なかったに違いありません。父とて無一文になっての満州からの引き揚げ者、決して楽ではなかったと想像されます。その支援に応えるべく、陶齋の文中には精進という言葉が随所に見られます。

二人は互いの切実な事情に配慮しつつ緊張感ある作家・ファンの関係を続けていたと考えられます。電話やメールと異なり、手紙には込められた思いが鮮やかに伝わるのを感じます。

1花が描かれた手紙バラと立葵が彩色画、墨絵で描かれた手紙

玉机下
上掲手紙の末尾部分。第四銀行の個展を知らせている。脇付は玉机下。

後刻の追加です:文中の日付「念九」は二十九日のようです。
手許の漢和辞典「念」の⑤意に「廿(ニジュウ)の俗音が念に近いので廿の代わりに用いる」とありました。念と廿、中国語の発音が類似しているようなのです。

玉案下
手紙の末尾部分。追伸に高浜虚子、星野立子両氏の名が見える。脇付は玉案下!

 

齋藤さん書簡御侍史見事な花瓶が描かれた末尾。脇付は御侍史。

上掲の手紙の後段は特に興味深く思われました。焼成が終わりいよいよ窯出しの知らせですが、一番手になりたい父への気遣いが微妙です。不勉強な自分に読めないカ所がありましたが以下試しに記してみます。

 

髙田の人達には窯のことを何も話し

いたし居らず 人は不来のはずにて候

ただ煙が出候へば人達は見て来るや

も不知候 煙はカクシ様に無く候

 

言葉、器の絵、署名、文字の起伏とリズム、手紙といえども立派な芸術ではないでしょうか。

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