高尾と月影 そして雅楽

2011年11月24日(木曜日)

20年近く前に旧牧村(現上越市牧区)の診療所へお茶に呼ばれた。山中にかかるお宅で、自然を大切に暮らされるご夫婦のお話を聞き、奥様から茶のお点前を受けた。

 

その帰り道、山道を走ろうということになった。道すがら風情ある二つの地名に出会った。一つは「高尾」もう一つは「月影」だった。

 

高尾といえば江戸吉原で代々継がれた名だたる花魁・太夫の名であり、落語でも知られる。江戸中期、高尾太夫は遊蕩の姫路藩主・榊原政岑(まさみね)に身請けされる。しかし破天荒な政岑は幕府から隠居を命じられ息子の政永が家督を継ぐ。同時に親子はともども越後髙田藩への転封を命ぜられるのだった。

 

江戸吉原から温暖な姫路へ、さらに雪の越後へ。高尾たちは髙田で飢饉や大地震の洗礼も受けたというが、政岑は発起し開墾や産業振興に尽くしたらしい。後年夫に先立たれると高尾は江戸へ戻って出家したという。

 

さて牧村山中の高尾は小高くやや開けた所にあった。もしかしたら美しい側室はかってここへ月でも見に来たのか。高尾の余りの美しさに、まさか人々は地名まで変えてしまったのではあるまい。脇へ入ると小さな学校跡に可愛いグラウンドがぽつんと残されていた。高尾は良い地名だった。

 

月影雅楽月影雅楽(新潟県内各地の伝統芸能より)
 子どもならではの演奏と感動

 

山道を浦川原に向かって下る途中、右手の窪地に小さな学校(跡?)があった。校札は「月影小学校」。優雅な名に驚いた。この山中に月影とは?いいしれぬ旅情に包まれた。

 

何年か経って、浦川原村岩室の高台にある芸術家村のような一角で催しがあった。戸外にフランスパンを使った軽くてお洒落な食べ物が用意されていた。一帯から遠く日本海が眺められ、東京の建築家や芸術家たちの別荘・仕事場があった。

 

その日、烏帽子と伝統装束に身を包み、雅楽を演奏したのは月影小学校の児童たちだった。月影に子どもの雅楽!おごそかさと晴れやかさ、思いつけもない鄙の品格に打たれた。一体何がどうなっているのか分からなかったが、感動して涙が止まらなかった。

 

今後上越市は新たに舞も加えて月影雅楽をいっそう丁重に保護すべきだろう。このほか地域で子どもたちがかかわる伝統芸能や行事などもしっかり選んで保護してもらいたい。地域おこしなどではなく上越市の品格のために。

 

本日手にした月刊JACK LANDに月影雅楽が出ていた。月影小学校の廃校によって大人中心になったようだが、是非とも子供たちを沢山入れてもらいたい。月影雅楽の神髄は子どもたちの晴れやかな純粋さであり、それが感動を誘うにちがいない。

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