倉石隆作「秋」の少女が樹下美術館へやってきました

2011年10月10日(月曜日)

倉石隆氏には可愛いお嬢さんを描いた絵が何枚かあると、奥様からお聞きしていました。それがこのたびたまたまのご縁でその一枚「秋」と出会い、彼女は樹下美術館へやってきました。

秋
「秋」:黒と強い暖色のたっぷりした洋服に守られた少女の秋。
F15号(652×530㎝)
二枚の木の葉が舞い、背後で謎のような赤がある種緊張と揺らぎを漂わせます。

月刊ボザール
1984年の絵画雑誌、月刊ボザール:絵とともに届きました。
油絵教室として6ページに渡り「少女像」の制作過程が掲載され、表紙にもなっています。

制作過程1
デッサン:倉石隆らしく様々にデッサンを重ね、緻密に構想が練られていく。

制作過程2
タブロー(油彩)にする:全体の調子を見ながら作者の方向が次第に現れてくる。

制作過程3
服の色彩、質感が変わっていく
「秋」は、「少女像」として誌上で完成とされた絵からさらに変化していました。

女性はより若く、背景は白く髪は黒く、頬と頸は細くデフォルメされ、表情に愁いが含まれていました。また単純化された画面は黒によるシンメトリーが強調され、服装の重厚感とあいまって迫力ある作品へと変化していました。
(ページ左の参考作品「悲しみの像」は樹下美術館に収蔵されています)。

デッサン
樹下美術館にあったデッサンは、当作品のため一枚だったようです。
倉石隆は人物画の探求を深めました。

「秋」を所有されたAさんは画家であり、かつ倉石隆の熱心なファンでした。その方のお父様も画家で、1950年代当時、たまたま持っておられた芸術雑誌に倉石隆の「めし」が掲載されていたそうです。雑誌を見た息子さんである若きAさんは「めし」に突き動かされるように倉石さんに傾倒していきました。
「めし」は現在樹下美術館に収蔵されています。

後に自らも画家になられたAさんは、ある日の展覧会で「秋」と出会います。氏は居ても立ってもいられないほど作品に惹かれました。会場には黒皮のコートを羽織った背の高い倉石氏がいました。近づき難い雰囲気があったそうです。
Aさんはついに胸の内を語り、絵が欲しいと告げました。汗した手に爪が食い込むほどの緊張と覚悟だったそうです。

分かりました、支払い方法はお任せします、と答えた倉石氏。喜びと敬愛が現実のものとなった瞬間でした。二人に親交が生まれ、A氏の作品について倉石氏のアドバイスを得たこともあったとお聞きしました。

お二人のことは、作家とファンの最高の関係ではなかったでしょうか。

ところで、1975年の絵画雑誌「アトリエ」にも制作の実際という倉石氏の18ページもの記事があります。近く内容の一部と氏の言葉を書かせて頂ければと思います。

大変長くなってしまいました。「秋」は高度な均衡と緊張、および愛着の魅力を放つ一枚であろうと思います。作品は来年3月からの展示を予定致しております。

司修氏講演会

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