皆様の「お声」 病院船時代の倉石隆  母の外出

2011年7月3日(日曜日)

樹下美術館ホームページのコンテンツ「お声」に館内のノートに記された皆様のコメントを追加させて頂きました。3月から6月まで沢山お書き下さり有り難うございました。

“祖父が戦争中倉石氏と同じ船にのっていて、苦楽をともにしたとのことで、今日ようやく美術館に来れて喜んでいました”という書き込みを拝見致しました。

倉石氏は昭和18年から20年の終戦まで、舞鶴の海兵師団で看護兵として病院船に乗船されていました。病院船とは実際どんな様子だったのでしょう、画伯は優しい兵だったのでは、、、。お爺さまは貴重な経験をお持ちなのですね、有り難うございました。

 病院船時代の倉石氏
海兵師団当時の倉石隆
(写真:郷土作家シリーズ 倉石隆展 新潟市美術館©1995年)

“この地に、樹下美術館あり、上越の誇りです” “ここが自宅ならもうどこへもいかない

ほかノートに頂いたご感想は全て樹下美術館の大きな励みになりました。紙面をお借りして心から御礼申し上げます。

樹下美術館は、お陰様で5月中ころからお客様が増えました。さらにASSHの「居心地のいい場所へ」で紹介され、6月は前年より3割も多くお越し頂き(コサートを除いて)深く感謝致してます。

車椅子の母
去る5月27日に倒れて以来初めて母を戸外に連れ出した

午前中、20分ほど押して保育園の所まで散歩した。

 【追加です:病院船を少し調べてみました】
倉石隆氏は、あるいは終戦直後に舞鶴で自沈処分の運命を辿った第二氷川丸に乗り組まれていたのでしょうか。

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