久しぶりの海岸 海との関係 

2011年5月3日(火曜日)

 私は海が好きで当ノートにもしばしば海のことを書いてきた。

 

これまで見て来た海は荒れても、なんとか人生の波乱になぞらえ得るものだった。しかしこのたびの震災では行方不明者を含め2万5千人に及ぶ犠牲者の大半を津波が占め、地方を壊滅させ、国の危機に迫った。それは人に対して見せる生成、豊饒、浄化など海の正の側面とは反対の、攻撃的で決定的な負の威力だった。

 

地震以来、何となく海が鬱陶しくなっていた。今日の午前の晴れ間、思い直して一月半ぶりに出掛けた。海はどこかよそよそしい風をしながら鋭く白い波を打ち返していた。

 

写真を撮っていると横から来た波があっという間に膝までズボンを濡らした。慌てて下がったが足を取られて尻餅をついた。まだ怒っているのかなと思った。

 

あの日以来疎まれるようになった海。一方で原発に汚された土地や雨、そして直接排泄された汚染水の浄化を負わされた。そのことでも怒っているのだろうか。

 

ところでつい先日、樹下美術館で講演された堀口すみれ子さんと冬の荒海の話をした。すみれ子さんは葉山の海辺にすんでいらっしゃる。

「海が荒れるのは風のせいですよ」と仰った。

確かに、そして津波は地殻のせいなのだろう。

台風は眼に見えない大気の変動によるが、予報は正確。

地殻は実体があり、触れる事ができるのに、地震予知は進まない。

 

古来「海彦、山彦」として海は私たちに幸いなものだったはず。今後その脅威と備えの理解がもっと深まり、海らしい海として再び良い関係に向かうことを願っている。

  

午前の海 今日午前9時過ぎの柿崎海岸。釣り人以外閑散としていた。
地震が来たらまず高台のお寺に向かおうと考えながら歩いた

 

シーグラス 
見つけたシーグラスと陶片。珍しく黄色に出会った。

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