2010年12月

大晦日の蛍の光 Farewell Waltz  ハンサムな先輩

2010年12月31日(金曜日)

2010年が間もなく終わります。少し緩んでいたお天気が再び荒れ始めました。来る2011年がどうか健やかな年でありますように。

 

映画「哀愁」の場面から“Farewell Waltz”

 先日の“Till We Meet Again”は今年美術館終了のワルツに。連日you tubeで恐縮ですが大晦日は蛍の光“Farewell Waltz”を借りました。日本語タイトル蛍の光は古いスコットランド民謡で1780年頃バーンズによって詞を付けられ、同じ頃メロディも確立したようです。スコットランド語で、さあ友よ古き友情を暖めあおうと、いう意味が歌われているといいます。

 

掲載の蛍の光は、妻お勧めのビヴィアン・リーの代表作「哀愁」の一場面です。一生一回の人生、もちろん映画のようにはいきません。書きかけでもいい、自分なりの小さなドラマに憧れます。少なくとも一途さと良心だけは持っていようと思うのですが。

 

動画にダンスの場面を借りました。ダンスと言えばその昔、学生時代に複数の学生バンドが参加するダンスパーティがよくありました。私の学校のバンドにハンサムでピアノの上手い先輩がいました。
パーティでは前のバンドがラストにワルツを演奏します。そのワルツが後半になると次の出番の彼は前のピアニストの右側からそっと入って、腰をかがめて右手でメロディを弾き始めます。前の演奏者は左手を弾きながら静かに左に抜けて鮮やかに入れ替わるのを見ました。any number any key okでプロのようでした。

この先輩は絶えず挑戦を続けているように見えました。ピアノではどこへ出ても恥ずかしくないばかりか、ハワイで飛行機免許を取得すると、最後には合衆国の医師免許試験に合格して渡米しました。女性にモテて、まるで映画の中の人のようでした。

どうしてそんなに出来るのですか、と尋ねたことがありました。「ひたすら努力」が答でした。男前が並外れた努力をするのですから、もう異次元です。

 

Till We Meet Again

2010年12月27日(月曜日)


パティ・ペイジ「Till We Meet Again」

 今日、樹下美術館は皆様のおかげで無事に今年の営業を終えました。開館以来4年大賑わいというわけではありませんが、コンスタントにお訪ねいただいていて喜んでおります。

 来年の開館は3月2日(水曜日)です。何とか齋藤三郎、倉石隆両氏の図録二冊を仕上げて美術館らしくしなければと思っております。
また、2月18日から3月30日まで小生の拙ボタニカル作品の個展が新潟市・知足美術館であります。お近くにお越しの際にはどうかお寄り下さい(大雪でなければいいのですが)。

最後に今年一年、素敵な皆様にお訪ねいただきました。また多くのブロガーの方々に樹下美術館をお書きいただきました。心からの感謝をこめまして“有り難うございました”を申し上げます。

ノートは今後も書いて行きたいと思っています。
書き忘れる所でした。シーグラスのチョーカーは季節外れでしたが、15個売
れました。

おだやかな日曜日と感謝

2010年12月26日(日曜日)

今年最後の日曜日、思ってもみない穏やかなお天気でした。

午後の樹下美術館

 足許の悪い中、大勢お見えくださって、本当に有り難うございました。

皆様にはゆっくりくしていただいてとても幸せでした。


セリーヌ・ディオン“ラヴィアン・ローズ”

樹下美術館は明日で今年度を終了致します。

冬の雑木林 雀の群れ  

2010年12月25日(土曜日)

 今年いっぱい悪天候が続くようです。大雪が報じられていますが予報では上越地域の気温は数度のレベルということ。湿った雪かミゾレが続くのでしょうか、いよいよです。

林  水田のへりに続くハンノキ林

 

 ところで上越市大潟区・潟田という所へよく往きます。二通りの道があり、最近では岩野集落を回ります。岩野を下がって水田に出るきわのハンノキ林にほっとするからです。

 

 私が高校生のころまで大潟区一帯はフラットで美しい松林が連なり、それに混ってコナラやハンノキ、クリ、ヤマザクラなどの雑木も沢山ありました。

 

 当時結核に罹って、医師だった父に歩けと言われ毎日のように林を歩きました。長い時間歩いてもめったに人に会うことがないほど広大で美しい林でした。林を当時の映画「挽歌」のスチール写真の背景に似ていると感じたことがありましたが、勘違いかもしれません。

 

 草むらの群れ
地中にある草の芽、あるいは根を食べるらしい 

樹上の群れ 
近くの樹上にびっしり

 

 今日は往診の帰りに掲げた林の右端のところで雀の群れを見ました。昔から雀には特別なシンパシーを感じていますので、頑張れと心中叫びました。

 

 群れは今年生まれた若い雀たちにちがいありません。夏以後に見られる若鳥の集団には種の保存を担保する意味が考えられているようです。しかしながら厳しい越冬や移動に際して多くが失われるといいます。

・唐沢孝一 スズメのお宿は街のなか 中公新書1989年11月25日発行 

・佐野昌男 スズメ 人里の野鳥 信濃毎日新聞社 昭和63年12月7日発行

 を参照。

雨の日の色

2010年12月23日(木曜日)

 吹きたいだけ吹き、降りたいだけ降り、鳴りたいだけ鳴る荒天の祝日。美術館には友人夫妻が二組訪ねてくれた。こんな日だけに心温まる。

 

 夕刻の帰り道。晴れた日には見られない信号の色が、吹き付ける雨の舗道に写っていた。車を横道に入れて写真を撮った。あるか無しかの旅情だった。 

IMG_8100 

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IMG_8104   

  もうお一組、勇敢な三人のお客様がお見えになったと聞いた。その方たちは、前回、雪の冬期休館中に来館されて入れなかったが、今日はゆっくり見れたと仰ったという。もしかしたら雪や荒天は美術館日和なのでしょうか。押し詰まった大荒れの日、まことに有り難うございました。

 

後日追記:水たまりに写った信号を掲載しましたが、どこか似た情景の短歌があったと思っていました。赤い鼻緒が冷たい水溜まりに浮いている、というような感じで、、、。昔の本棚をみましたら石川啄木でした。時節、時刻、赤、などが少々似ていたようです。 

 

水潦(みずたまり) 暮れゆく空とくれなゐの紐を浮かべぬ 秋雨の後(のち) 

 

 貴重な啄木、お恥ずかしいことですが記事のタイトルを少し変えました。12月26日の追加と修正でした。

  

続:上越市大潟区の名菓 マルト歌代(うたしろ)商店のいちじく菓子

2010年12月22日(水曜日)

 昨日は我が町大潟区のいちじくの缶詰の写真を出させていただいた。今日はいちじくのようかんを食べた。どちらかというとゼリーの趣で食感はあっさりしている。

いちじくようかんお番茶は陶齋の器で、 いちじくようかんは黒岩卓実の小皿に。

 

 非常に小つぶながら、こんなにと思われるほど種の歯ごたえが心地よい。かんづめほかいちじくの菓子類は当地ならではの珍重な風味があり、ぜひ皆様にお勧めしたい。

 

 マルト歌代商店:上越市大潟区潟町159番地  電話025(534)2155

 

上越市大潟区の名菓 マルト歌代(うたしろ)商店のいちじく菓子

2010年12月21日(火曜日)

 上越市に美味しい物は沢山あるが、大潟区潟町のいちじくの御菓子は秀逸だと思う。今年は気候の影響で缶詰などは品薄となり私たちはキャンセル待ちだった。 

缶詰とバヴァリアのカップ 
  絶品のいちじく缶詰にドイツバヴァリアのカップで紅茶を飲んでみた

 

 拙診療所のすぐ前、歌代商店にはいちじくのジャム、缶詰、ようかん、最中、それにどらやきなどがあり、遠く高田・直江津にまで固定ファンがいらっしゃる。夕刻お店に寄ったら埼玉県から注文の電話が入っていた。

 

ラベル表 
 1907年創業と書かれているいちじくの缶詰ラベルはどこかアールデコ調

ラベル裏 
缶詰ラベル裏の品名に 「いちじくシラップづけ」とあり、 今どきでも新しい。

 

 歌代商店のいちじく製品の開発には親戚すじの故・歌代万吉氏の尽力が欠かせない。山林王とも言われた氏は現金収入に乏しい当地の振興にと各地を回って見聞を深めた。その折り、横浜と聞いたがいちじくが商品化されていることを知ったという。

 

 以後、現大潟区一帯においていちじく栽培を広め、且つマルト商店で商品化に向けた研究が続けられた。缶詰やようかん、最中などが作られるようになり、集落からいちじくの集荷も実現した。たしかその昔、どの家にも一本はいちじくの木があり、我が家にも古木があった。

 

 最後に、万吉氏は当館展示陶芸家・齋藤三郎氏をも支援している。かって三郎氏が窯を作るに当たって生命線とも言える薪が不足した。歌代氏は自らの松林から遠く高田まで薪の供給を続け、窯の火が保たれることになったという。振興について、地域を俯瞰するようなスケールには感嘆を禁じ得ない。

 

 マルト歌代商店:上越市大潟区潟町159番地  電話025(534)2155

バラの花の絵 その3

2010年12月18日(土曜日)

 雪は止んだが季節風が息をしている。このところデイサービスで倒れた患者さん宅へ毎日通っていた。ここへ来て小康が現れ、尿が出はじめて食べ物を口にされるようになった。

 終了1218 
 影のグラデーションは白を少し加えて伸ばしました。

 

 12月に入って描き始めたバラの花の絵その1バラの花の絵その2、を完成としました。恥ずかしながらこれを上越医師会報の1月号表紙と年賀状に使うつもりです。特に年賀状に間に合ってほっとしました。

 

 ところで来年のことですが、2月18日(金)から3月30日(水)まで新潟市で小生のボタニカル画作品展が開かれます。場所は県庁の近く知足(ちそく)美術館です。今回の拙バラも細い金縁をあしらった楕円マットを付けて出展するつもりです。

冬の来て道は喘ぎの場となりぬ

2010年12月16日(木曜日)

 昨日、初雪らしく降った。ここ海岸線の降りは控えめだったが、行き交う人に難儀が見えた。

12月6日 12月6日

12月16日 
12月15日、同じ場所

 新潟県に住んでいると雪が降って初めて冬を実感する。今年は夏があれだけ暑かったので、冬はどれほど寒かろうと大雪を恐れている。

 

 天気予報のせいもあって昨日の雪降りは会う人みな予想していた。一昨日、用事で妙高市へ行った妻も「こんなに温かいと明日は降る」と聞いて帰ってきたばかりだった。

 

 長めの予報では前半は例年並みという。しかし例年並みの内容がよく分からない。これまで思ってもみない暖かな日に恵まれていた分しっぺ返しがあるのでは、と疑心暗鬼で空を見る毎日。冬将軍という影の如き存在を思い浮かべながら、善人であれば、とつい期待をしてしまう。

 

 樹下美術館の駐車場はスタッフが雪かきして確保しています。この程度ならカフェの雪景色は貴重な眺めだと思われます。

 

 冬の来て道は喘ぎの場となりぬ 雪なき国の人は知らずや        sousi

 

マッシュルーム・けやき

2010年12月15日(水曜日)

ちょうど一年前のノートに名作椅子「マッシュルームスツール」のことを書かせていただきました。記事で当椅子が2008年12月パリにおける「日本の感性展」で好評を博し、09年10月にパリ装飾芸術美術館のパーマネントコレクションに選らばれた事を記しました。

 

この秋、デザインした山中グループは装飾美術館の選定記念に限定100脚のマッシュルームを制作しました。これまではマホガニーとクスでしたが、記念スツールはケヤキで制作されました。

マッシュルームけやき樹下美術館に加わった「マッシュルーム・けやき」(左手前)、フレッシュです。

 その昔1961年に家具メーカー天童木工は家具コンペを行いました。3人の学生、山中グループがデザインしたスツールが入賞を果たします。しかし作品は2003年の商品化まで41年間も眠り続けました。眠りを覚したのは昨今のミッドセンチュリーへの人気でした。マッシュルームは復刻後一気にパリ装飾芸術美術館の永久収蔵まで登りました。

2007年、樹下美術館開館の際に絵画ホールの椅子にと天童木工のスツールからマッシュルーム二脚を選びました。後で山中グループのお一人が当館収蔵作家・倉石隆氏のご長女と知って大変驚きました。

「マッシュルームスツール・けやき」には和やかな味わいがあります。どうぞご興味のある方は以下からご覧ください。 山中康廣建築設計事務所&YAMANAKA DESIGN OFFICE

今日から上越市一帯も今年初めての寒波に入り、降雪に見舞わました。

画家・篠崎正喜さん

2010年12月13日(月曜日)

 もう10年以上、画家・篠崎正喜さんとのお付き合いが続いている。氏の絵画はいずれも豊かな詩情と美しい色彩によって観る者を幸福にする。私たちも幸運なことに作品を所蔵させていただいている。

 

 昨日氏は東京から樹下美術館を訪ねて下さった。当地へのお越しは三度目だが、樹下美術館の開設後は初めてだった。

 

 前回は2002年の晩秋。当時すでにお母さまのご病気が始まっていて日帰りをされた。以後、看病に引き続き長く懸命な介護を遂行され、今年6月に看取られた。東京にあって97才の老親を在宅で看取るまでの道程は、見事というほかないほど透徹されていた。その間の貴重な起伏は氏のブログに詳しい。

 

午睡と篠崎さん カフェでご自分の絵「午睡」と対面された篠崎さん

 

 午後、樹下美術館をご覧になりカフェの後、近くの田んぼをご一緒した。すぐそばまで来ている雪の匂いを含んだ風が気持ちよかった。 見はるかす大気と山々や海と川、そして作り物でない旅情。都会の人が地方に求めるものは共通している。

 

 道の灯り

 

 夜は米山山中の水野・銚子屋さんを訪ねて尽きない話に時を忘れた。もう年末、帰りの代行車中から撮った道路の写真には昨年同様クリスマス風の光が写った。

バラの花の絵 その2

2010年12月12日(日曜日)

 去る12月5日のノートに、恥ずかしながらバラの花の絵その1を書かせていただきました。昨夜はその続き、つい先ほどまで彩色をしました。薄い絵の具を少しずつ乾かしながらやりとりして描きます。
 今回は分量が少ないので乾かす時間を節約して二枚並行して描くことにしました。

バラ1 

バラ2 

 小生の拙絵、特に彩色は全くの独学です。色を塗っては消し、乗せてはぬぐうを延々と繰り返します。今日は3時間でやっと掲載のところまで進みました。 

 以前花に比べれば葉を描くのは難しいと書いたことがあります。しかし今回バラを描いてみてそうではないことがよく分かりました。バラは花びらの美しいたわみや反りによって特に影が容易ではありませんでした。

 

 年賀状と一月号の会報表紙向けですので、あと一週間で描かなければなりません。 

ケ・セラ・セラ 映画「知りすぎていた男」 そしてドリス・デイからハリー・ジェームス

2010年12月8日(水曜日)

昨夜、遅いお茶を飲みながらテレビで1950年代の映画「知りすぎていた男」の後の方を見た。ジェームズ・スチュアートとドリス・デイが主役。監督がヒッチコックなのでどうしても最後まで見させられる。映画の中で懐かしい歌「ケ・セラ・セラ」が歌われた。

ケ・セラ・セラは中学時代に生まれて初めて覚えたポピュラーソングだ。高校から東京へ行ってしまった姉が休みに帰郷してこの歌を歌った。とても新鮮でおしゃれに見えた。しつこくせがんで教えてもらった。

 

Young man with a horn  ドリス・デイとハリー・ジェームスのレコード(パソコンに立てて撮りました)

 それがこの夜の映画で突然のように歌われた。ああ、実際はこんな場面だったのかと思われる意外なシーンだった。往年の大スター達と懐かしい歌、なんとも言えない嬉しい30分だった。

 懐かしついでに。1960年代の学生時代に大岡山(東京工大があるところ)に住んでいた。掲げたレコードは近くのキッチン「まりも」(忘れていた名を突然思い出しました)のご主人から頂いた古い10インチ盤だ。ジャケットの左下にドリス・デイ、右のトランペットを持っている男性はハリー・ジェームス。ドリス・デイのTHE VERY THOUGHT OF YOUが入っていてよく聴いた。

ハリー・ジェームスは1964年に来日している。新宿厚生年金ホールへ聞きに行った。ドラムスは名手バディ・リッチで女性ヴォーカリストが1人入っていた。
暗めのモダンジャズを喜んでいた当時、華やかなスウィング・ジャズオーケストラを表向き苦手にしていた。しかし、しばしばラジオで聴くハリー・ジェームスのSLEEPY LAGOONには特別な晴れやかさと郷愁が感じられて好きだった。目の前で本人の演奏が始まるとすぐに涙がぼろぼろこぼれた。

 当日、演奏が終わって出口へ向かう広い階段を降りる時に、何人かの男たちが賑やかに話をしていた。特別大声の男性がいて若き大橋巨泉だった。氏が司会をしたオスカー・ピーターソントリオの東京公演・有楽町ヴィデオホールにおけるコンサートも思い出深い。

 一旦昔話に囚われると、見境なく長くなるのは年のせいにちがいない。

サントリーの限定ワインCENTURYのサプライズ

2010年12月6日(月曜日)

 本日昼、岩の原葡萄園社長・坂田敏さんが貴重なワインを携えて訪ねて下さった。サントリーが営む「登美の丘」におけるぶどうづくり100周年の記念醸造ワインで、1200本の限定「CENTURY」。サントリーからの贈り物だった。何ページもの資料が付いていて、ほんの先だって12月1日発売とあった。

 

 シャトー ラフィット ロートシルトで知られるドメーヌ バロン ド ロートシルト社との提携25周年の祝いも込められ、両社共同で開発醸造されている。

 

ワイン・センチュリー 
樹下美術館のデッキで撮ったCENTURY 

 

 ぶどうは、日本で摘んだカベルネ・ソービニオン、プチ・ヴェルド、メルロを主力に川上善兵衛が確立したマスカットベリーAも入る。 「伝統的なボルドースタイルでありながら、日本をイメージするエレガントなワイン」を目指したと謳われていて、非常に楽しみだ。

 

 それにしてもサントリーホールディングス社から樹下美術館はいつも心に掛けて頂いて感謝に堪えない。2007年の開館に際して副社長・鳥井信吾氏からシャトー・ラグランジュの珍しい白を二本お届けいただいた。また今年7月の岩の原葡萄園120周年では氏みずから来館され1200mlの記念マグナムボトルを頂戴した。このたびは小生の県知事表彰の祝いということ、思ってもみなかった。深く痛み入り言葉もない。有り難うございました。

 

 岩の原 スパークリングワイン
夕食は岩の原スパークリングワイン「ブラン・ド・ブラン ローズ・シオター」で
牡蛎など

 

 頂いたワインはみな取ってある。齋藤三郎のいにしえの縁とはいえ、ささやかな当施設を気に掛けて下さるサントリーさんには心から勇気づけられる。樹下美術館もさらに先へ向かって成熟を果たして行きたい。

 サプライズと、良いお天気に恵まれた1日だった。

 

バラの花の絵 その1

2010年12月5日(日曜日)

 上越医師会報一月号の表紙の番が回ってきました。一昨年は白花デンドロビューム、昨年は椿の蕾を描きました。今年は夏にスケッチしたバラに決めて作業を始めました。うまく描けたら年賀状にも使うことにしています。時間が少々足りませんので花だけを描くことにしました。

 

 ところで拙ブログには植物画やボタニカルアートの検索から入って来られる方がよくあります。水彩画ボタニカルアートは思ったよりも難しく検索して研究されているのかもしれません。

 

 ボタニカルアートの困難のうち、前半の転写部分を上げてみました。
①本画となる厚いケント紙(ボード)には余分な鉛筆の消し跡などは残せない。
②そこでスケッチから得た輪郭線のボードへの転写には工夫が要る。

 

 今日は小生が行っているスケッチ→ボードの転写を説明してみます。昔の教則本にはトレーシングペーパーからボードへの転写は、トレース紙の裏を鉛筆でこすり、その上から輪郭をなぞってボードに写す方法が書かれていました。これですとボードが鉛筆の粉で汚れますし、それを落とすための消しゴム跡が彩色作業に不都合な影響を残しました。

 

 そこで画材屋さんに色々相談して、着物の型どりなどに用いるチャコペーパーを使うことにしました。チャコは水で消える性質があります。ボードに転写したチャコの輪郭線をペンシルでなぞって写し、余分なチャコは水筆で消すという方法を続けています。チャコペーパーは画材屋さんで求め、黒もあるようですが、私は青を用いています。

 

 パソコンが発達した今日、方法はとても原始的に見えます。しかし私の不明かもしれませんが、厚いボードに輪郭線をコピーできるプリンター技術を知りませんので現行を採用しています。作業は少々厄介ですが、工芸風の過程は嫌いではありません。

1スケッチ 
スケッチ
2輪郭線
輪郭線をトレーシングーペーパーに

3ボードにチャコペーパーとトレーシーペーパーを載せる
ボードにチャコペーパーを乗せ、その上にトレース紙を乗せてペンシルでなぞる。

4ボードに写し取ったチャコの輪郭線
見づらいですが、ボードに転写されたチャコの輪郭線。
5チャコの輪郭線をなぞる
ペンシルでチャコの線をなぞる 
6チャコを消してなぞった輪郭線だけ残す
水を含ませた筆でチャコを消しさる 
   

 スケッチは当初から一般の半紙(コピー紙)に描いています。画用紙にくらべればはるかに消しゴムが良く効くからです。スケッチはBの鉛筆で、トレースや転写には0,3㎜のシャーペンを使っています。そもそもモチーフには輪郭線などはありませんので、リアリティを高めるために出来るだけ細い線をと思っています。 

 

 今回は茎や葉を省略しました。厳密にはボタニカルアートと言えないかもしれません。また表紙や葉書のサイズを想定して上方の花弁を低くしましたら少々迫力に欠けました。我が手のけがれを反省して書き直すつもりです。

 後日、彩色から掲載してみます。彩色はいつも自信がなく戸惑います。

12月、イルミネーションとマジック

2010年12月3日(金曜日)

 ちょっと待って、と叫んでも暦は聞いてくれない。そっけなくさっさと行ってしまうので走って追いつくより仕方がない。今、昨夕のことを3日午前0時過ぎに書かせていただいています。

 

イルミネーション 樹下美術館のイルミネーション

 さて先週末から樹下美術館でもクリスマスイルミネーションを点けた。4年目になり痛んだ部分もあって少々追加した。静かな所のせいか暗くなると止まって見てくださる車もあると聞いた。来年はもう少し足してみようかなと思った。
 ブロガー「シャッターチャンスは今」さんには小生の写真よりもずっときれいに紹介頂き感謝しています。

 KAZさん
KAZさん

 ところで昨夕刻、ある納会があった。幹事の知り合いということで今大活躍のMagician KAZさんがゲストでこられた。各テーブルを回って楽しいマジックを見せてくださった。それぞれ趣向を変えて文字どおりあっと驚くパフォーマンスを披露された。

 

 ルックスも表情も良く手もきれいで手品は非常に魅力的だった。来る12月17日(金)にはデュオセレッソで世界的なジャグリングのパフォーマーたちを交えて氏がプロデュースするショウがある。クリスマスに相応しい楽しいステージが目に浮かぶ。

 きっと彼は世代を超えて愛されることだろう。膨らむ期待と楽しい時間を有り難うございました。

 

あふれる詩心ー版画と陶芸ー 川上澄生/棟方志功/齋藤三郎 展

2010年12月1日(水曜日)

 長岡市の新潟県立近代美術館で「あふれる詩心」展を観てきた。二人の版画家川上澄生と棟方志功、それに陶芸家、齋藤三郎(陶齋)の作品が堪能できる充実した企画展だった。

入場券 広い館内いっぱいに質の高い作品群。親切でわかりやすいキャプションが付いてとても楽しめた。心惹かれたのは三人の作家を貫く柔らかなキーワードで、上越との関わりだった。それは祖父母の故郷だったり、開けた愛好家の縁結びだったり、恩師の知己などだった。

 

 齋藤三郎(陶齋)は彼らを上越に迎える役割を大いに果たしている。高田を訪れて陶齋窯で絵付けする川上澄生の写真は非常に新鮮だった。また、戦前における若き陶齋と棟方志功の出会いも興味深い。 

 

 実は昭和30年前後、陶齋の案内で棟方志功が我が家でお茶を飲んでいる。母はその時の事を覚えていて、志功は面白い事を言っては皆を笑わせたという。
  

 「私が家に帰るとね、知らない人が居るのでコンニチワ、と言うのです。するとその人は、ボク、ボクだよお父さん、と言うんだ。息子だったんだね、ワッ、ハ、ハー」、と。志功は笑いながら自ら不自由な眼のことを、話したということだ。

樹下美術館が収蔵している米大舟頌(べいだいしゅうしょう)

 

 陶齋とともに棟方が当地大潟区を訪ねた時のこと。とある祭の境内で一帯に伝わる米大舟という踊りを見てとても喜び、上機嫌で踊りの輪に加わった。その折に米大舟頌という小ぶりな作品を残した。しぐさもお腹も溌剌として可愛い作品だ。

 

 最後に、陶齋は戦争で応召されるまでのひと時を、神奈川県の鵠沼(くげぬま)で作陶した。今回、当時の貴重な壺が展示されていた。明るい瑠璃色の地に釘で描かれたのは芍薬だろうか。澄んだ青に引き締まった造形、素早い描線。信じがたいほどの完成度だった。

 

 若い時の陶齋には神がかりと思われる作品がある。

 

館内の説明パネルと図録に樹下美術館が紹介されていた。

樹下美術館で齋藤三郎を飾れることを幸せに思った。  

 展覧会は来年1月24日(日曜日)まで開催です、ぜひご覧下さい。

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