最後が大変だった九州一周旅行、そして南国情話

2010年8月15日(日曜日)

昭和43、4年の昔、まだ駆け出しのころの夏、団体による九州一周旅行の医療斑のアルバイトがあった。
行程はきつく、一泊目は夜行寝台、途中2泊を湯の児と阿蘇に泊まって、最後の夜は別府ー神戸の深夜の航路だ。
班と言えどもあとは看護師さんだけ。その看護師さんは吐きそうな人を看ると自分が先に吐くような人で、少々心配だった。

一行は少なくとも10台のバスを連ねる教師の団体旅行。何度かタクシーで最後尾に付くことがあった。しばしばクーラーの故障によって長い車列が止まった。草原で止まった時など、西部劇の幌馬車隊を彷彿とさせた。

連日早朝からの強行軍で朝が苦手な私は車中眠ってばかりいた。目的地ではガイドさんの案内を聞きながらひたすら歩いた。長崎平和公園、湯の児温泉、阿蘇、磯庭園、シラス大地などを覚えている。一団の皆さんは毎日お元気だった。
比較的平穏な道中の最後に思わぬ修羅場が待っていた。別府で盛大な夕食をしてから乗ったのは、大きな船だった。玄界灘を通過して瀬戸内海へ入る航路で、朝焼けを楽しみに寝付いた。
しかしそれが暗転してしまう。深夜を過ぎて突然腹痛や嘔吐が一行を襲った。

驚くほど多くの人が床の上で苦しんだ。早々に青くなった看護師さんもなんとか一緒に船内を飛び回ってくれた。食中毒が心配された。

めいっぱい用意していた注射薬を大方使い果たして神戸港に着いた。下船後、岸壁で海へ吐く人が何人もいた。幸いなことに上陸してから次第に落ち着きはじめ、数時間後にはポートタワーの観光もこなして新幹線の帰路についた。病に加え、人の強靱さも見る思いだった。

部分的な潮流の変化がもたらした船酔いだったのだろうか、今でも判然としない。

慌ただしい旅の中で南国情話が懐かしい。タクシーの運転手さんが道中塩カラい声で歌ってくれた。何度も聴いて一緒に歌った。唯一の旅情はこの歌だったかもしれない。

 

  家族や個人的な旅行が中心の今、あのような団体旅行はどうなったのだろう。

2010年8月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  

▲ このページのTOPへ