出るほど家は栄えるのか、DNAのおぼしめし

2010年8月14日(土曜日)

 今晩は妻の実家で17人の食事だった。そのうち平成生まれが8人で、一家は壮観のうちに栄えている。何がそうさせるのだろうと、帰りの車で考えた。

 

 「家を出る→異質(多様性)の受容」、もしかしたらこれは栄えの要点かもしれない。代々閉すればいずれ心身に近親相姦原理が働き、衰退が想定される。このことは純血のもろさ、母系志向の危うさと同一に見える。今から18年前までの悲しい13年間の読書で、かってそのことに触れたような気がした。

 

 今夜訪れた家は確かに皆が家を出ている。また夫婦、兄弟姉妹みな非常に多様で、かつそれぞれ曲がりなりにも夫や父親をありがたがっている。異質の原点は父であろうことまで物語るような光景だった。

 

 言うまでもなく永遠はDNAの悲願だ。好むと好まざるを問わず異質(多様性)を価値としている。結果としてその受容が力と幸福のチャンスをもたらすのだろう。試練とともに王者DNAはご褒美も用意しているように見える。

 

 中学2年生くらいまで親は子を文字通り思いっきり抱きしめる。そしてある年齢(これはさまざま)になったら上手に放す。
 「家とは実家や家屋ばかりでない。離れている親族がくったくなく集まることを家というのだろう」。

 

  最後にきむぶーさん、いつも有り難うございます。今日はお父様にもお目にかかれて嬉しかったです。そしてお子さんの宿題で訪ねて下さった長岡のお客様、とても詳しく見ていただいたそうですね。うまくまとまったでしょうか、美術館冥利でした。

 

本日は沢山お訪ねいただいて有り難うございました。

名残のバラ 
今日咲いていた小さなバラ

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