何で年ゃとろろ

2010年7月20日(火曜日)

  昼、三泊のショートステイを終える母を迎えに板倉さくら園へ。車で40分ほどの距離だが、母が昔話をするのにちょうど良い時間だ。老人に元気を出してもらうには話をさせるのがまず一番だろう。たいてい初めての振りをして同じ話を聞いているが、最近は多少リードが必要になってきた。

 

昼の月 
下界は猛暑、空に涼しげな昼の月。
 

 昔話:何で年ゃとろろ

 母喜代は7才の時に台風の事故で父を亡くしている。祖母ヤイは行商に出て身を粉にして一家を支えた。乳離れしたばかりの弟の子守はもっぱら小学生の喜代の仕事だった。

 

 学校へは弟をおぶって通った。同じような生徒が6,7人いた。用務員さんの娘さんが子どもたちの世話をしてくれた。お昼は子どもたちの部屋で弟と一緒に食べた。たまに子守のない日があって、皆と食べるのが嬉しかった。お世話の娘さんは優しかった。

 

 通っていた佐賀県内・古枝(ふるえだ)小学校のお弁当時間には良い習慣があった。昼食中に生徒が順に教壇に立って、家の話や一口話をすることになっていた。
 ある日、恥ずかしがり屋のおよしさんの番のこと。「昨日、うちのバーちゃんが“何で年ゃとろろ”言いました」、と話したという。どうして年を取るのか、という老人の嘆きたが、「とろろ」が可笑しくて子どもたちは大笑いをしたらしい。

 

 喜代に家族のハンディはあったが、囃されることもいじめられることもなかったという。

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