2010年5月
この雨は嫁の涙か介護の家
連日冷たい雨に降られている。
先週、今週と在宅介護が始まったばかりのお宅への訪問があった。「大変ですね」とお嫁さんに声を掛けると、わかりますか、と言って二人とも突然ぽろぽろと涙をこぼされた。時と場所が違う二人に同じ涙。
先週のお宅ではおばあさんの足が不自由になって失禁も頻繁に始まった。しかしどうしても私にオムツを替えさせてくれない、とお嫁さん。下着や蒲団が汚れていると思ったら、あっという間にいくつも褥瘡が出来てしまった、と。
そして昨日のお宅では、おばあさんの認知症の様子を話しているお嫁さんが言葉に詰まった。「おばあちゃん自身、親の介護などほとんどしなかったのに、貴方にはああしろ、こうしろと言うのでは」、と話してみた。みるみるお嫁さんの眼が真っ赤になって涙がこぼれた。
しばしば介護の家でお嫁さんたちは涙をこらえている。始まったばかりではなおさらだろう。しかしもう一人辛い人がいるのだ。不自由になったご本人(おばあさんたち)だ。この認識は円滑な介護のためにとても大切だ。私たちは常に二人のバランスを考え、当事者たちがうまく近づき合うように配慮しなければならない。
全ては 「困ったことがあったらケアマネや私たちに何でも相談してください」としっかり告げることから始まる。最初のお宅にヘルパーさんが、次いで介護ベッドが入り、大至急で訪問看護が始まった。昨日そのお嫁さんが薬を取りに来られた。
「私にもオムツを替えさせてくれるようになりました」とお嫁さんの少々ほっとした顔。
「何かと便利になりましたが、お金が掛かるのも事実ですね」と私。
「本当にその通りです」
「しかし、オムツを替えれば床ずれはどんどん直りますから訪問看護は早めに終るでしょう、あせらないで」と足した。
いずれの介護も始まったばかり、これからも色々なことがあると思う。しかしどんな事態にも方法はあろう。私も精一杯支えたいと思う。特に始まりでは話を聞いて、時には涙してもらうのも私たちの立場かもしれない。
ナニワイバラ、より白く
降ったり止んだりしながら長雨の気配となった。寒暖に揺さぶられ風邪の方が増えている。
先日の晴れ間、妻が仕事場の車庫に懸けたナニワイバラが満開だった。
今日夕方の雨を恨みながら花は白さを増したように見えた。
あたりで田植えは終り、弟が帰った
朝から風雨に見舞われた日曜日。昼過ぎ宮城から来ていた弟一家が帰った。弟は「フォルテシモな豚飼い」を書いて以来面白い酪農家に加えて面白い文士の趣を漂わせ始めていた。
彼独特の風土感覚と養豚法が話題となり宮城県知事などとも面会したらしい。昨夜の食事では昨今の芸術背景の浅さを嘆き、ペンネームや続編などの戯れ言をのたまって楽しかった。豚飼いの家の若い姪たちは、テレビもゲームも無く団らんと本で育ったので天使のようだ。それがいきなり私のスキを突いてくるので油断できない。
樹下美術館のまわりは田植えの後、まるで湖と化した。しばらくは最も良い季節が続くだろう。
頸城野の田面に浮かぶ樹下の舟 さきくあらまし三歳(みとせ)旅して
sousi
陶齋最初のお弟子さん、志賀重人氏のお茶碗で、そして豊かな昔の写真。
午前中は田植え盛りの静かな雨。それが昼には上がり、落ち着いた光が窓から差した。その逆光を肴に母の日に届いた鶴屋八幡の棹ものをお相伴して抹茶を飲んだ。御菓子にはもうアジサイの色が付いていた。
お茶碗は陶齋(齋藤三郎)のお弟子さん、志賀重人さんの昔の作。陶齋ゆずりのおだやかな器だ。半年前たまたま上越市の道具屋さんで見つけた。え!と驚
くほど安価で、非常に幸せを感じた。
そこで思った、一般に品質が良くて価格が安ければ作品はもっと動くのではないかと。売れれば作家の作業は回転しさらに優作も期待できる。しかしこの時代、相変わらず法外な値札によって多くの展示会は冷え切っている。これほど作家、来場者ともに不幸なものはない。買い手に手が出るまで安くして頂ければどれほどファンは有り難いことか。価格次第でつらい時代であっても双方が幸せになれると思うのだが、、、。多くの場合不幸が続いていて残念だ。
さて気をとり直して、、、。お茶碗の作者、志賀氏は戦後高田で作陶を始めて間もない時期の陶齋に師事した。熱心な修行を終えると京都へ赴き、後にオーストラリアに招かれて同国で長く陶芸を指導された。
高田市(現上越市)後谷(うしろだに)の一行:濱谷浩氏撮影と考えられる。
実際はもっと大きいサイズです。
掲げた写真は陶齋、志賀氏ともに写る貴重な一枚だ。二代陶齋・齋藤尚明氏からお借りしたアルバムに後谷・筍狩と記されていた。今からおよそ60年前、季節は5月初旬だろうか。右端にリュックを背負った若き陶齋が休み、左端で荷を負った志賀さんが笑っている。
右の姉さんかぶりの女性は写真家・濱谷浩氏夫人朝(あさ)さんと思われ、撮影者は濱谷氏にちがいない。
国敗れて山河あり。若き日の一行にこれ以上ない角度で遅い午後の春陽が注ぎ、陶齋は正面からそれを受けている。貧しい時代だったのに人々のなんと生き生きしていることか。文化がそうさせていたと思いたい。映画も凌ぐ素晴らしい写真だと思う。
志賀氏からは、樹下美術館開館に際して貴重な資料やご助言を頂き感謝に堪えない。
モンクの映像、ああ良き時代
先週土曜日、たまたまWOWOWでセロニアス・モンクを見て和めた。実は60年代、ホレスシルバーに続いてモンクの東京公演も行った(会場は忘れました)。当日のモンクは何かふらふらした印象があり、どこかよそよそしく正直深い感銘を受けなかった(私だけだろうか)。
それでモンクは四角張ったホールで聴くのではなく騒がしいジャズクラブか、思い直してレコードで聴くのがいいのかなと感じた。
以前、ある友人がユーチューブのジャズは面白いと言ったのを思い出してモンクを検索した。さすがモンク、さすが昔、という映像がすぐ出た。曲は「Blue Monk」で1958年と書いてあった。映画「真夏の夜のジャズ」のニューポートジャズフェスティバルの年でもある。どちらが先だったのだろう。
テレビ用と考えられる短い演奏ながら大変興味深かかった。
惹かれたことを挙げてみた。
1.非常に大きな右足の動き。徹底してペダルを踏まない。
2.その分鍵盤を強く長く押さえて響きを作る。さすがにエンディングでは踏んだようだ。
3.ピアノの向こうでくつろいでいるお父さんは偉大なカウント・ベイシーではないだろうか(間違っていましたら申し分けありません)。
4.ちょうど真ん中ころに4小節も間があき、ひやりとする。見ている二人の男性にやれやれという表情。
5.もう一人サックスを手に少々戸惑い顔でカウントを取っているのはコールマン・ホーキンスかもしれない(間違っていましたら申し分けありません)。
6.カデンツァらしきものもなくエンディングは子どものように素っ気ない。
7.こともあろうにべイシー?はフルオープンのピアノに凭れてタバコを吸っている。
8.この日ご機嫌なモンクのおしゃれは靴と帽子と竹の弦の眼鏡。
古き良き時代、年のせいか映像にはとても癒された。
彼独特の風変わりで魅力的なアドリブは、文字通り昼夜を問わない研究のたまものと聞いています。
楽しかった音楽会、ジョリウ゛ェそして夏は来ぬ、さらに小山作之助。
樹下美術館主催、まちづくり大潟のご支援で無事に立花千春フルートコンサートが終了しました。皆様のお陰で盛会となり会議室の椅子までお借りするほどでした。お忙しい中ご来場くださった皆様に心から御礼申し上げます。
夏は来ぬは一つの譜面で
さて演奏されたフルートの立花千春さん、ピアノ伴奏の山田武彦氏ともフランスで学ばれた音楽家です。ナイスコンビネーションの演奏は、エスプリの効いたフランス曲中心のプログラムでとても堪能出来ました。
第2部一曲目は山田氏のソロでショパンの英雄ポロネーズ。ショパン生誕200年にふさわしい高らかな演奏でした。
最後のプログラムはジョリウ゛ェのリノスの歌でした。初めて聞く曲でしたが、神秘的な原始の森が歌うにも似た魅惑的な演奏でした。
さて昨日はセロニアスモンクのジャズを書いたばかりで、今日はクラシックの音楽会のこと。節操に欠けますが、ジョリウ゛ェの曲にモンクと同様、記憶の彼方の響きや突然性?を感じました。
アンコール曲の最後は夏は来ぬの即興。ワンコーラスずつ印象を変えて、転調に次ぐ転調はとても楽しめました。
音楽会が終わって夜空に月星(左上)、F氏が教えてくれました。
ところで夏は来ぬの作曲者小山作之助は小生の祖父・直次郎の兄です。作之助兄弟の母トヨは文久2年に私の家から嫁いだ人でした。ところがトヨの実家の兄貞蔵に子がなかったため、直次郎が貞蔵の養子として当方に戻る格好になりました。貞蔵のもとで直次郎は現千葉大学医学部を出て医師になります。また貞蔵は上京後、音楽家をめざすして困苦の学生生活を送る作之助の支援も行ったようです。作之助が貞蔵に届けた支出報告(お小遣い帖)が残っています。
申し分けありません、古い話になりました。皆様のお陰で樹下美術館はなんとか無事に三年が経ちます。あっという間でしたが、日頃のご支援に深く感謝いたします。
セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェーサー、そしてニカ男爵夫人
昨晩このノートを書くつもりが時間が無くて今日になってしまった。昨日、夕食の後でたまたまWOWOWをみると、帽子をかぶった大男の黒人がピアノを弾いていた。セロニアス・モンクだった。
1960年代中頃のモンクカルテットのヨーロッパ公演を中心に撮ったドキュメント映画だった。病で映画を禁じられていた自分の高校時代、禁を破って見に行った唯一の映画が「真夏の夜のジャズ」だった。全てよかったが、モンクのソロ「Blue Monk」の不思議な和音と彼の風貌に強い印象を受けた。
セロニアス・モンクの演奏は非常に独特だ。テンションコード、風変わりな間に突然の強打、意表を突くメロディ、不意なトレモロ。これらで聞く者を興奮やファンタジーへと自在にいざなう。多くのミュージシャンたちからも敬愛されながら1980年代後半、惜しくも64才で亡くなっている。
ところで1962年正月、上京して初めて聞いたジャズの演奏会がホレス・シルバーの東京公演だった。その時、力強いリズムで深くきらめくような「ニカの夢(Nica's Dream)」が演奏された。
動くニカ夫人を初めて見た。
曲のタイトルにあるニカは白人。ニューヨークで苦しむ数多くの黒人ミュージシャンたちのパトロンとして強力な支援を続けた女性だ。フランスの男爵夫人でしかもロスチャイルド家の人だという。多くのミュージシャンのなかでチャーリー・パーカーとともに彼女から最も手厚いバックアップを受けたモンク。ニカの庇護のもと彼らは新たな音楽の開拓者として歴史に名を刻まれるまでになる。
同夜の映画で何度かニカ夫人を見ることが出来た。てきぱきと知的で魅力的な人だった。お金の使い方によって世界を革新する文化の創造が出来ることを体現した希な人にちがいない。本当に素晴らしいと思う。
この映画「セロニアスモンク ストレート・ノー・チェーサー(モンク作曲の曲名でもある)」の総指揮はピアニストの前歴があるクリント・イーストウッドだということも知った。
テレビを見ている間、椅子で寝ていた妻が「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」だったかの所で「いいわね」と言って目覚めたが、すぐまた寝てしまった。
余談ながら、ホレスシルバーの時もそうだったが、昔のジャズ公演は演奏者も聴衆も男性はスーツが基本だった。今では想像も出来ないが、60年代、ダークスーツをキメる黒人の演奏は本当に格好良かった。この映画でもモンクの服装を母親のようにニカが誉める場面があった。
※1:ちなみにホレスシルバーの時の私は学生服で行った。当時学生はそれで十分OKだった。
※2:その昔、日本のジャズ界(モダンジャズ)にニカほどではないにしても、一種パトロン的な女性がいたようだ。その人はある石油会社社長のお嬢さん。ホレス・シルバーの来日に際して、彼女がメンバーたちを東京観光に誘い、食事をもてなす写真付きの記事を当時のスウイングジャーナル(だったと思う)で見たことがある。
忙しさ
美術館を営んでいると私のことをヒマな人と思われるかも知れません。しかし自ら言うのも恥ずかしいのですが、何かと本業(診療所)も忙しくしています。ちなみに昨日を振り返ってみました。
●午前の外来は40人ほどの診察。この間に心臓症状があって心電図に異常が見られた方を病院循環器科へ、またレントゲンに異常はなかったものの約一ヶ月カラ咳が続いている方を病院呼吸器科へそれぞれ紹介状を書いた。ほかに施設リハビリを受ける方の書類を終える。
※専門科への紹介は診療所の大切な役割だと思っています。
●昼近くになって、脳血管障害と認知症で長く在宅療養を続けられた方の急変の電話。緊急往診をしたが、処置の施しようがなく看取りとなって診断書を書いた。息子さんご夫婦は熱心な介護を続けられた。日中の看取りはあまり経験がない。
●午後から小学校で健康診断、150人ほどを診た。本日も続きがある。
●帰ってから在宅患者さんの往診と訪問で4カ所を回る。
●在宅まわりを終えて夕刻の診療。熱の下がらない旅行中の幼児を診た。インフルエンザとは考えにくかったが、昨年今頃の新型騒動が思い出された。明後日に帰る予定という、ぜひ元気になってほしい。
●午後7時から月一度の介護保険の要介護認定審査会へ。今回は20人分と少ないが100ページの資料を読み込んで臨む。3月にメンバーの組み替えがあったが、今回の委員もみないい人達だ。上越市には合計24チームの審査合議体があり、保健医療福祉の関係者144人が委員として参加し審査しています。
●審査会から帰ってから夕食(この間に妻は入所中の実家の母が痙攣を起こして施設へ呼ばれていた)。
●昼に要介護認定に必要な7件の医師意見書が新たに届いて12件となった。
忙しい日には「多くの人がもっと忙しくしているはず」などと思うようにしています。
(5月13日 木曜日 午前1時15分記載、すぐに寝なくては)
図録制作、そして水辺の町大潟区
6月中に齋藤三郎と倉石隆の各図録を出すことに決めている。収蔵作品はいつしか大小500点ほどになっている。全ての写真を撮り、別にサイズを小さくしたものを用意してレイアウトなどを考える。作品にはそれぞれカテゴリー、タイトル、材料、サイズ計測、制作年の同定作業が必要で、年表も入る。
焼き物、書画、油彩、版画なと分けている(やり方が古い!)。
想像はしていたが年のせいと目の弱り(網膜剥離)で作業はかなりきつい。6月中旬をメドにできるだけ良い物をめざし、完成の暁には中央のジャーナルやメディアに案内書とともに送付して反応をみたい。
さて昨日の日曜日、区内の施設でお年寄りが熱発され緊急に往診をした。手当を終えて施設の近くにある新潟県立水立大潟水と森公園を訪ねた。この数年、入園者が急増しているのが分かる。変化に富む地形はピクニック、散策、ウオーキング、観察に撮影と、様々な目的を吸収するスケールと内容を備えている。
管理棟では、昨年12月1日に見つけたリスが冬を越したことをレンジャーから聞いて嬉しかった。今年5月にレンジャーが撮った写真も見せていただいた。
点在する駐車場に多くの車。 | 園内の水上回廊から鵜の池のワンド(入り江)を見る。 |
半島の先の古墳の丘。ここは比較的大きな島になっていて小さな橋で半島とながっている。 |
|
樹木豊かな半島を行く道。 | |
近くの中谷内池で柿崎区の米山を望む。森の向こうは公園の鵜の池。 | 米山のすぐ右に吉川区の尾神岳。 |
上越市大潟区には大小6つの湖沼があって楽しめる。海と共に湖沼の水辺は命のはぐくみの場所で、ふと神聖な気持ちがよぎる。
ところで今年3月、農水省が選定した「日本のため池百選」に新潟県で4カ所が選定された。そのうち3カ所は上越市内だった。うち一つに大潟区の朝日池が選ばれた。同池は水と森公園の鵜の池と兄弟のように隣り合っている。また中谷内池と鵜の池も背中合わせだ。
朝日池は大きく、貴重な野鳥の飛来地としても有名。晩秋から数ヶ月間、全国から鳥ファンが集まる。朝日池で小中学校時代によく釣りをした。
※発熱の方は夜には回復されました。ご心配をお掛けしました。
戦後の5年間、伝票などに描かれた倉石隆のデッサン
こどもの日の昨日も、図録制作に向けて時間を費やした。倉石隆氏のデッサン類の整理でした。
実は当館には倉石氏のご遺族から託されたデッサンが多数あります。三年前の開館直後に持参してくださり、お預かりしている作品です。
描かれた時期は故郷高田に復員された昭和20年秋から再上京までのほぼ5年間に相当すると考えられます。困窮する戦後にあって、氏は身辺の紙という紙にデッサンを試みておられます。幸い洋品店だったご実家には様々な伝票類があったのでしょう。画用紙やチラシも混じりますが、目を引くのが数多くの納品書や仕切り書などへのデッサンでした。
街(伝票の裏) | 街(書類の裏) |
昭和16年、森永製菓宣伝部から画家に転身して4年。乾いた喉が水を求めるように紙を求めて描iかれています。
廊下の向こうに光が見える。
|
座ってほほえむこども(解剖図に) |
迫力あるクルミのデッサンで決意を語る。
「線は駆使するものであて(ママ)もてあそぶべきものではない
色は美しく附ければよいのではない 色は目的(感激)に対する効果である
技術は手段であって目的ではない」
思わぬ長いノートになりました。若き高田時代の100を越える作品は、小品ながら敗戦の空気と共に困難で遠い道に踏み出す画家の心と息づかいを至近距離のリアリティをもって伝えていました。
予定の図録はこの時代のデッサンにも十分配慮したいと思っています。
倉石隆作品の貝殻
この連休中は遅れに遅れていた図録の作成に没頭しています。今日も写真や作品ファイルの整理に忙しく過ごしました。
ところで収蔵している倉石作品の中に貝殻が描かれているものが二点あります。一点は貝殻そのものを描いたものですが、もう一点女性とともに描かれた作品です。迂闊にも今まで後者のそれが貝とはっきり気がつきませんでした(こんなことばかりでとても恥ずかしいのですが)。
ところでその昔、倉石夫人からアトリエに残された貝を頂きました。それをを取り出して絵と比べてみますといずれも頂いた貝殻と同じではないかと思いました。
頂いた貝殻
孤独な心に思い出の灯りを点させるロマンティックななきがら、、、。私も昔、佐渡の深浦で拾った大きな巻き貝や、青海町で採取した碗足類の瘢痕化石(大変ありきたりなもの)などを後生大事に本棚に入れていました。
母と美術館へ、そして95年の人生は長いか短いか。
予報が当たり朝からサツキ晴れとなった。仕事の後、今年初めての母と美術館へ。展示を見終わってカフェに座ると、これが最後かねとつぶやいた。幸せを感じている言葉だから、「また来よう」で十分なのだろう。
それから「95まで生きるとは思わなかった」と続く。「95年は長かった?短かった?」と尋ねてみる。いつものように「短かった」が答だ。多くのお年寄り(多分私も、、、)は同じように答えるだろう。しかし「長ーかったです」という言葉も聞いたことがある。沢山ご苦労をされた方の言葉だったように思う。
お茶の後、外へ出て盛りのヤマザクラを見る。10本ほどの桜は以前雑木林だった敷地に自生していた。その後、庭の花にやる肥やしが桜にも効いて前よりも元気になった。ヤマザクラの花色は多様で味わい深い。野に里に馴染むのでソメイヨシノよりもずっと和める。
随分ご機嫌斜めだった春が、一気に新緑へと急ぎはじめた。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「好き」だった。
- 妙高市はいもり池の近く「ギャラリー峨々」を訪ねた。樹下美術館も紅葉。
- 再び良寛椿の苗。
- 1本の木にキンカンとカラタチの実が。
- 秋晴れの日のゴルフ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 本日ジョケラさん初日。
- 明日からジョケラさんの展示会 高宮あけみ展のご来館有り難うございました。
- 別れ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その2。
- 講演会「良寛さんに学ぶ」が無事終了した。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その1。
- 来たる11月7日からラッセル・ジョケラさんの展示会 晩秋の花 近隣のコハクチョウ
- 先週末の種々。
- 高田高等学校創立150周年の秋 いたくら桜園 近隣の秋。
- 「ラッセル・ジョケラ木工展」 可愛いお子さんとおじいちゃん。
- 本日今年最後の同業ゴルフ。
- 今夜のコンサート カッチーニの「アヴェ・マリア」。
- 信州は須坂で江戸時代の料理を食べる 満月、私達の奇跡。
- 失った1枚 栗。
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