終戦記念日に母と

2009年8月15日(土曜日)

  上越市板倉区のショートへ行って二日目の母。明後日には帰るのに、訪ねて施設周辺を散歩した。そんな時、94才の母はいつもながら佐賀の生家時代の話をする。

 

妙高や火打の山々が見える。

 

 母は7才で父を亡くしたが、父の姉に色白で綺麗な人が居た。農家に嫁いだその叔母を訪ねるのは、子ども心に楽しみだった。
ある夏、自分の家のスイカを風呂敷に包んで棒にくくった。それを弟と二人で担いで4里(16キロ)の道を歩いて叔母を訪ねた。長道中だったが、訪ねることが嬉しくて平気だった、と。

 

 今日は終戦記念日。母にはもう一人、少し年の離れた弟が居た。貧しかったが良く出来て、陸軍士官学校に入った。しかし卒業後、レイテ戦の突撃で真っ先に戦死した。子どもの頃から頭が良くて優しい弟だった、と。これは以前も聞いた。

 

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今日の夕焼け

 先の大戦でついに兵士は武器、食料もなく衰弱し、侍とも人とも言えぬ戦死が常態化した。戦争にかかわる死者への鎮魂は、「常に後人が、人間の希望を謙虚に約束すること」、ただ一点しかないと思う。 

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