昭和7年、18才の齋藤三郎(陶齋)は故郷の新潟県栃尾から関西へと単身赴き、近藤悠三、富本憲吉に師事し陶芸の道を歩み始めました。修行の後、独立するとまもなく先進の洋酒メーカー寿屋社長の鳥井信治郎氏(サントリー創業者)から招聘を受けます。信治カ氏は宝塚に壽山窯(じゅざんがま)というやきもの窯を所有していました。陶齋はこれを受けて昭和13〜15年を同窯で制作し、信治カ氏の芸術集団・壽山荘同人の展覧会案内 で窯の責任者として紹介されるまでになりました。
不幸な戦争により陶齋は中国へ出征し、負傷して敗戦を迎えます。復員した陶齋は高田寺町(現上越市寺町)に窯を築きました。しかし時代は移っても佐治敬三氏(元サントリー社長)、鳥井道夫氏(現サントリー名誉会長)、らサントリーの人々との交流は続きました。文化ひらけた人々との交流は戦後ひとり奮闘する陶齋にとって貴重だったに違いありません。
両者の往来を通してある共同作業が結実します。サントリー社が上越市で営む岩の原葡萄園の名作ワインの一つ「深雪花(みゆきばな)」のラベルです。そこには陶齋の筆になる銘と晴れやかな紅白の雪椿図が描かれ、今日高い評価を有する同ワインの魅力をいっそう引き立てています。
陶齋作品を展示する樹下美術館の開館に際しましては、鳥井道夫氏ならびに現副社長・鳥井信吾氏から暖かな励ましと祝意が伝えられました。芸術に造詣深い同社の励ましは地方の小美術館にとって大変勇気づけられるもので、感謝に堪えませんでした。信吾氏はまた開館直後、週刊文春における作家伊集院静氏との対談で、ご一家と陶齋の親交について触れられました。中央において陶齋が言及されることは珍しく、記事を見た私たち一同は声をあげて喜び、開館の幸せをかみしめました。
当館では6月1日〜8月末日まで、今月のゆかりとして「陶齋とサントリーの人々」と題した小コーナーを設け以下を展示致します。来館者様には説明文と齋藤三郎の名が見える昭和13〜15年頃の大阪梅田阪急百貨店における壽山同人陶器書画作品展案内の写しをお渡し致します。
【展示品】
- 壽山窯(昭和13年〜15年)における陶齋作品:染め付け笹紋菓子鉢
- 壽山窯(昭和13年〜15年)における陶齋作品:色絵唐子(からこ)遊戯紋飾り皿
- 昭和20年代中頃、高田の陶齋窯で談笑される若き日の鳥井道夫氏と陶齋の写真
- 陶齋デザインのラベルになるワイン「深雪花」赤・白
- 鳥井道夫氏および鳥井信吾氏から樹下美術館宛頂いた封書2通
- 鳥井信吾氏が作家伊集院静氏との対談で、陶齋について言及された週間文春(平成19年7月5日号)のページ見開き
- 陶齋の椿図
陶芸作品一点は篤志家の、写真は2代陶齋・齋藤尚明氏のご好意による提供を受けました。 今からおよそ70年前、壽山窯時代の陶齋はまだ20代中頃だったはずです。しかし展示の二作品はいずれも抑え気味の作風に玄人好みの洒脱さが既に現れ、その才気と渾身の修行を垣間見ることが出来ます。
壽山窯二作品
壽山窯二作品裏面
壽山荘同人作品展案内
深雪花
椿図 陶齋画